自己を肯定したいね。ア、ヨーヨーヨー

 今日は急な雨のせいか、本当に何もする気が起きなくてずっと眠っていた。というと感受性豊かなエッセイストかなんかがしゃしゃり出てきて「ほんとうに雨は憂鬱なものと断じていいのでしょうか?今こそそういう思い込みから脱却すべきなのでは?ごらん、紫陽花は雨に濡れて綺麗だし雨音に耳を傾けると落ち着きますよ」などとケチをつけてくるが、いいんだよ雨は憂鬱なもので。ああいう手合いの奴らはほっとくと全身やけどや不渡り手形にも良い面があるとか言い出しかねないからな。

 きのう、近場の車山高原というところへ犬と山歩きをしに行った。霧ヶ峰と言った方がとおりはいいかもしれない。自然のなかに身をおくと、なぜか終わっている人間でも「自分はまだ大丈夫や」という気分になれるのでよい。行き会う人みんな穏やかな表情をしていた。去年おなじ山に登ったのは鬱で寝たきり状態が続いていた時期で、全身がなまっていたらしく登山靴の紐を結び直そうと屈んだ拍子に腰をバキバキにいわしたという苦い思い出がある。そのとき夫は私を指さしてゲラゲラ笑ってきた。基本的に夫は私が困窮してると心配せずに笑いものにしてくる。犬は澄んだ瞳をして岩の上に乗っていた。

 しにトリという、自分の生きづらさや死にたさがどういう理由からくるのかを分析してくれるwebテストがある。例えば周りにくらべて劣等感があるとか、近しい人たちに認めて貰えないとか、自己実現できてないとか色んな角度から死にたさの原因を説明してくれる。だいたいの人は複数の要因が洗い出されるようだが、私がやってみたところたったひとつ「社会がカス過ぎて合わせるのがだるいから」という結果だけがはじきだされた。こういう人はなかなか死なずにブーブー文句を言いながらもしぶとく生き延びるものである。

終わり

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