雑談の難

 斜に構えていた若いころは、雑談なんてくだらない何の意味があるんだ、時間の無駄だし黙っていたほうが得だと思っていた。私は思春期の頃本当に口下手で面白い話もできず、周りの人間からもそう指摘されて劣等感を刺激され「なんだいなんだい。用事がある時だけ必要最低限のことだけ喋ればええやろがい」と反発してことさら無口キャラに徹していたふしがある。たまに喋ったり笑ったりしたら「ちょっと待って!くふ王がしゃべった!笑った!」と囃し立てられるレベルだった。今思い出してもしんどい。

 それでも成長・老化するにつれ雑談の意義を理解し実行できるようになったというのはまことに慶賀すべきことである。

雑談=社会的グルーミング

と認識を改めたら、心理的にさほど抵抗なく雑談できるようになった。普段から大した用事がなくてもコミュニケーションをとることに慣れておけば重要だけどちょっと気まずい用件をきりだす時などに通りがよくてスムーズにいく、ちょっとすれ違いが生じたときも穏便に状況を修復できるというアレである。馬が合う人との雑談はまあ楽しいし自然にできると思うが、職場など避けにくいコミュニティにちょっと苦手だなレベルの人がいる場合、敢えて雑談レベルの接触を増やして苦手度の閾値を上げるのも自分が生き易くなるためのひとつの戦略である。そう思っていたら、悪い人ではないがちょっと気難しく話が長いので用心して接している人物につかまり一時間の社会的グルーミング時間が発生したので脳が極度に疲労し、帰宅してからその疲労を癒すべく蟹カマ・ポテトチップ・ドーナツ・ゆで卵を大量に摂取したのち布団で気絶。

生きづらい。

終わり

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