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世界こわい話ふしぎな話傑作集 20『森の怪人』レスコフ

 金の星社から刊行されている世界こわい話ふしぎな話傑作集(全20巻)を片っ端から借りて読んでいます。現時点で未読のものが13巻あります。今回読んだ第20巻はロシアのニコライ・セミョーノビッチ・レスコフが書いた『森の怪人』という中編がひとつだけ収録されています。


表紙絵を見た瞬間怪人だと恐れられていた人が実はいい人だったというような話なんじゃないかと想像しましたが、だいたい合っていました。豊かな自然に囲まれたとある村が舞台ですが、村人たちが迷信やうわさや思い込みで不当に迫害していた“森の怪人”セリバンが実は人助けをいとわない善人だったことが判明するまでの紆余曲折が、貴族の子供である「ぼく」の目を通して描かれています。複数のエピソードを読んでいると怪人ことセリバンは別に企みごとなどしておらず、彼が善意でやっていることを村人側が勝手に邪推して疑心暗鬼になって攻撃的な態度をとっていることにすぐ気づきます。つまらぬ噂に惑わされず、自分で本質を見極め暗愚をはらうことが大事だというのがこの話の主題だと思いました。しかし、読者としてのんきに物語を鑑賞している立場だからこういう岡目八目なことが言えますが、果たして私が物語中の一村民の立場だったとして、早い段階で「セリバンは悪い人じゃない」と見抜いてかばってあげられたか疑わしいものだと思います。見抜けたとしても、あいつをかばうお前も同類だとみんなに糾弾されるのがこわくて何も発言できないかもしれません。
 セリバンの身の上も大変示唆に富んでいます。彼は生まれつき赤いほくろがあるというので、気の良い働き者なのに「神様はほくろで食わせ者をしらせるというから、あいつには気を許さんようにしないとな」とコソコソ噂されていました。生まれつきの体の特徴で迷信を振りかざされあれこれ値踏みされるなんてたまったものではないですね。少年時代のセリバンがふつうに村のパン屋で働いていたころ、老いて退職した元・刑吏のボーリカが幼い娘と飼い犬をともなって身寄りのないこの村へやってきます。刑吏なんて罪人をあの世送りにしてきた鼻つまみ者だぐらいの認識しかない村人たちは、彼らを蔑んで家に入れようともしません。キリスト教のおしえに従って仕方なくほどこしをする人もあったようですが、キリスト本人が見たら怒って村民をぶん殴るレベルの非情さ・無思慮ではないでしょうか。そのうえ、勝手に「あいつらが連れている飼い犬は妖術をしこまれた化け犬だ」と言いがかりをつけ犬を殺してしまうのです。宗教ってのは人が善く生きるための指針ではないのか、こいつらは宗教をたてに、あるいは信仰のうわっつらを撫でて保身と異分子排除にいそしんでるだけじゃないかと腹が立ちます。極寒にやられて元刑吏のボーリカも死んでしまい、ひとりぼっちになってしまった娘を助けるため彼女を連れて人里離れた森小屋にすみついたのが怪人セリバンのはじまりだったというわけです。
 恐怖心や集団心理に振り回されず真実を見据えるというのは言うのは簡単でも実行するのは難しいですが、なるべく善処して生きていこうと思いました。

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