体が死にたがっているのか?

何気なくテレビをつけていたところ健康番組をやっていて、酷暑で老人があまり外出をしなくなり運動不足に陥ることへの懸念を述べていた。うろ覚えだがたしか介護学上の分類で、老人のコンディションを普通に出歩ける状態と完全寝たきりの状態を両端に据えたうえで何段階かに分けていたと思う。この中で、自力で歩けはするけれども歩幅がやたら狭いとか、足どりがおぼつかないなどの特徴がでてきた老人は要注意ですよということで、カタカナ語でなんとかという名称がついていたのだがそれは全く思い出せない。問題は、そのナントカという要注意状態にある老人の歩き方を若い男のモデルが実演してみせていて、寝て起きたばかりの私の歩き方と全く同じだったことだ。私は四十歳である。

今年に入ってから膝を痛めたり手の腱鞘炎になったり、立ち上がる時は体中が軋んで痛いので低い雄叫びを上げて気合を入れてからでないと立ち上がれないといった不調に見舞われている。若い時にはついぞ無かった不具合がこうも増えると、老化を思わずにはいられない。昔の人間は四十歳ぐらいが寿命で、それぐらいの歳になったら死んでたんですよということがよく言われていて納得もできるが、だからといってじゃあ先人に倣ってもう死んじゃお。というわけにもいかない。死ぬタイミングが自分の自由になると思ったら大間違いだ。死は救済だと思ってそれを頼りに嫌々生きている節もあるが、最近「この世界にいたら死人はすべてから解放されて安らかに眠っているように見えるが、我々には知覚できない別次元で延々苦しんでいるだけだ。生きている人間はみんなそうなる」という旨の創作を続けて読んだのでわりと嫌な気持ちにはなっている。死に関しては誰も見聞きしたことを他人に教えることは絶対出来ないのってすごいなと思う。死の淵から生還した幸せ者が語る臨死体験のたぐいは、生きている人間が語っている時点で生存者のフィルターを通した錯覚や幻覚や夢に過ぎないから。

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