舌鼓の打ちどころ

 腹を空かせ疲れながら帰宅する途中、なんとなくカバンのポケットをまさぐると数粒食べ残したガブリチュウ(よく駄菓子コーナーに売られている安価なチューイングキャンディー。ぶどう味)の袋を見つけ、昨日の自分を激賞してやりたくなった。

もともとは小型の棒状だが、食べやすく一口サイズになっているタイプを最近見かける

空腹だったせいかいつにも増して美味しく感じられ、糖分補給の快楽にやや痺れたようになった脳に「ガブリチュウに舌鼓を打つ」というフレーズが浮かび脳と口で改めてそれらを嚙み締めたところでふと妙な気がした。今までの経験上、舌鼓を打つという慣用句は手間暇お金をかけたご馳走・メインディッシュに言及する時に使われていることが多かったように思う。そのへんの売店で百数十円で買った菓子に舌鼓を打つのは妥当なのか、という疑問がわいてきたのだ。

 ためしにネットでコトバンク、weblioといった辞書サイトを見てみると

・食べている物がおいしくて思わず舌を鳴らす
・実際に舌を鳴らさないまでも、おいしいものを食べておおいに満足した様を表す慣用句

といった説明がなされている。そもそも食べ物がうまかった時って舌が鳴るだろうか?という疑問も出てきたが、今度自分がうまいものを食べる状況になったら確かめてみることにする。辞書サイトの例文もいくつか見たところ
「山海の珍味に舌鼓を打つ」
「舌鼓を打つような料理に出会ってみたい」
「めったに手に入らない新鮮な海胆(うに)に思わず舌鼓を打った」
などとあり、日常的に口にするわけではない貴重なごちそうにつかうものだという含みも感じられる。では、舌鼓を打ってもいい・あるいは舌鼓を打つとおかしい食べ物の線引きは存在するのだろうか。安くて用意するのが簡単な食べ物に使うとおかしいという感覚が妥当だとするとガブリチュウなどの安い菓子に使うのは変なのかもしれない。ではチェーン店のハンバーガーはどうだろう。スーパーの惣菜は。家で作る納豆ご飯やお茶漬けはどうなのか。大衆食堂で出てくる1050円のからあげ定食はどうか。山で遭難しさんざん飢えた後で渡された菓子パンはさぞかし美味く命の恩人レベルでありがたく感じるだろうが、安い出来合いのものだから舌鼓を打つのは変なのか。というところまで考えて「安かろうが高級料理だろうが食べ物があること自体がありがたいんだから全部に感謝しろよ」という、対象のわからない謎の怒りが湧いてきたので私はうまいと思った全ての食べ物に舌鼓を打つことに決めた。ちなみに今朝は日清のどん兵衛(天ぷらそば)に舌鼓を打った。おわり


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