文字の手書きは趣味になり得るかもしれない

 今は咄嗟の走り書きや公的手続きの書類などよっぽど必要に迫られた時ぐらいしか文字を手書きしないという人も多いらしいです。メモもスケジュール表も日記もメッセージのやり取りもスマホパソコン各種タブレットで事足りますもんね。そんな時代のなかであえて字を手書きする機会をつくるのは、もう立派な趣味と言っていいのかもしれません。私はふと思いついたことをノートに書いたり書写したり手紙をかいたりすることが元々好きで、「何気なく書いた字をもっときれいにしたい」という目的で今年の春からペン習字の通信講座を受講しています。字を書く練習はけっこう奥が深くて、山とか小とかのシンプルに見える字でもバランスのとりかた次第でまったく印象が変わります。いくつも文字が連続した単語や文章となればなおさらです。スヌーピーとかムーミンとかメロンコリニスタとかの一見すごく簡単そうに見える漫画・アニメキャラを自分で模写すると「思ったより似せられないな、やっぱりプロの技ってすごいんだな」と実感しますが、手本を見て字を書く時もそんな感じのことを思います。

 九月後半は精神的に不調だったり利き手に痺れの症状が出てふさぎ込んだりしていたのであまりペン字の練習をできずに過ごしたのですが、課題提出の期限が迫っているししかたないので清書してポストに投函してきました。課題文がうまく書けなかったのは想定内だったのですが、封筒に宛先を書くとき事業所名と住所の順番を逆にしそうになったり字のサイズや余白の配分をしくじったりしてそこに手の衰えを感じました。手の痺れが実感されて落ち込むので、いきおい手先の細かい作業を避けがちになっていたと思います。筋力が落ちるなどの不具合はなく単にジンジンする感覚が気になるというだけのことで、病院でも神経がちょっと圧迫されているだけでそこまで心配する必要はないと言われたので慣れようと思います。慣れるつってもけっこううざいんだよな~。いまパソコンでこれ打ってるけど右手がずっとジンジンしてて鬱陶しいです。診てもらった整形外科は四年前肋骨にひびが入った際かかったのと同じところなのですが、医師が私のことを覚えていてあああの時の、と言っていました。帰宅してから夫に「客商売ってのはすごい、四年前に一度だけ行った時のことをまだ覚えていた」と報告すると「それは君が変だから記憶に残ってただけだ」と鼻で笑ってきました。「そんな筈はない。レントゲン検査のために顔じゅうのピアスを外して行ったし、服装も地味だったし、四年前は話の流れで〇〇大学の研究室で働いているって言ったら何々先生知ってる?みたいな感じで少しつっこまれたし、なんとなくカルテの備考欄にメモってあったんだと思う」とむきになって反論すると「あのへんの地区なら〇〇大勤めの患者なんてごまんといるだろ。それに君からにじみ出るおかしな雰囲気は変な服とかピアスとか関係ないレベルだから、そろそろ自覚するといいよ」と言われ、さらに打ちのめされました。なぜ追いうちをかけられないといけないのでしょうか。いま思い出したのでついでに書くと、整形外科の前に行った神経内科で「こんなに詳しく書いてくださってありがとうございます、助かります」と初診問診表をほめられたのが最近のうれしかった出来事です。なんかもっと他にないのか?

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