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ほどく

〈 こぶし だったのかな〉

絡まった結び目を解くとき、どうするか 。人は、何かをみるとき、違う何かを

重層的に重ねてみている。気づいていることもあるが、意識していないことも多いしたくさんある。

たとえば 針と糸で縫いものをしているとき、糸が絡まった。そのときどうするか。ハサミで切ってしまうのか、解く(ほどく)のか。私は、なぜかできるだけ後者。毛糸のときも同じ。

さっき(コートの肩を直そうと) 長く糸をとってしまい、縫ったりしているうちにヨレてくるので絡まった。作業しながら曲を聞いていた。とても自分の単純作業の感覚に合うというか、元々「単純作業」が好きなのだが、

ある意味 作業用bgmとしてすごく '自分の世界'にはいれる演奏家のもの 。 いくら普段は「解く」私でも、まれにそうではない状況のときもある。きょうは そんな一歩手前のシテゥエーションだった ろう

。この音と共鳴して、自分のしている作業が思考の中に心地よく形を失ってゆくとき、

「解く」次元の'空間'があらわれる 。

音を聞きながら「解く」作業をしていると、ひどく絡まったところと、たまに、音が「泣く」ところとが重なるときがある。 このとき気がついた。その音に、自分の」泣き」をみてはいけない。「解」こうとするなら。その楽器の、その演奏家の「泣」きを感じる。そして、 偉大な演奏家であればあるほど、怖ろしいほど大きく広大な「普遍」性と繫がっている 。'解く'作業が「空間」の中で「自由自在」である。楽しくさえある。

音楽や演奏などに求めるもの、また好きずきは もちろん人それぞれだろうし、当然のこと だろう。私は単純作業が好きなのは、その軽い動きの中で何かを考えるともなく「思考」する、という状態が好きなのだ 、と思う。たまたま今回の 自分の中のその温度よりは「熱」といったほうが近いかもしれない部分と とても共振共鳴する音楽と「共同作業」して、ひとつの「結び目」が解けた。何の結び目なのかはわからない けれど、「解け」たあとは 楽しい。ひとつだけ、最後までやりきらず 残した小さな'ヒミツ'があるけれど、それも 楽しみにしたい 。覚えていて、「解放」してみるのか、時の経過とともに忘れて 何処かへゆかせてしまうのか、

今回ほどいた'こぶし'は 何のこぶしだろう。

( 今回聞いたのとは違うけど )

http://youtu.be/nyjqVWo-1pU

( '14/1/21 Facebookより)

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