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チキンラーメンは3分待とう


あれは中学生の頃だった。

お腹を空かせた私は学校から帰ると無性にチキンラーメンが食べたくなった。

丼に麺を入れ、お皿なんかで蓋をして
ハイ!3分!🍜
なのだか1分間煮るだけでも美味しくできる。
その日は珍しくチキンラーメンを煮ようと思ったのだ。

家には古い小さな両手鍋があった。
それがラーメン1個には程よき大きさでいつも愛用していた。
熱々のラーメンが煮上がり、台所から居間へと運ぶ。

そこには母がいておやつ代わりにラーメンを食べることに愚痴をこぼされた。
立ったまま私は母と少し言い合いをした。
その時・・・・・

母に叱られた事で両手がお留守になり、持っていた鍋が傾いて熱々のラーメンが私の右脚太ももに・・・・・
ジャバーッ!とかかったのである!!

「あっつうーー‼️」
熱さと激痛が走り、パニックになる。

「おかちゃんが喋りかけるからや!」
「おまえがそんなもん食うからや!」

事態はかなり深刻な気がするが、なぜか言い合いが止まらない母娘。
こういう時、母はどうしたらよいかという指示をくれず、ただただ迷い責めるタイプの人だった。

私は風呂場に飛んで行き、真っ赤になった太ももに蛇口の水を思いっきりかけ続けた。
ヤケドはとにかく冷やせ!みたいな情報をどこかで得ていたのだろう。
でも何分間 水を浴びれば良いのだ?

母は風呂場を覗きに来たが
「えぇぇ…  もう… ホンマに…」
「どうするんや…!?」
母は心配してるのか何なのか、私が起こした失態を愚痴るような言葉しか発しなかった。

何分間経っただろうか、右脚は冷たくなりすぎて感覚が無くなってきた。
今度は氷で冷やそうと思った。
ポリ袋に氷を詰め、太ももに当ててタオルで巻いた。

はて??
記憶が曖昧なのだがお鍋チキンラーメンはどうなったのだろう?
ヤケドを冷やすことに必死になり、居間に置いたままだったような…
私はビリビリする太ももを抱え、半分こぼしてしまってのびすぎたラーメンをすすった気がする…🍜

どれくらい時間がたったのか、そのうちに父が帰ってきた。
母がまた怒ったように
「あんこがラーメンでヤケドしよった」

するといつも厳しい父が血相を変えて
「見せてみぃ!」

すでに私の太ももには広範囲に水ぶくれができていた。
「こら、アカン! 病院行くぞ!」
「オナゴやさかい、ほっといて痕になったらアカン! 」

私は父の言葉に驚きつつもやっと助かった…と安堵した。


田舎で母は運転免許も持たず、病院も遠くどうすることも出来ないとは私もわかっていた。
ヤケドくらいなら昔は自力で治癒!
オロナイン塗っとけば治ると思われていたのかも…
でも今回は今までに経験したことのないヤケドだったので、いくら自分が悪かったとはいえ母の言動は今でも悲しい。

母はいつも父の言う通りにしていて、自分の意見や行動力を持たない人だった。
私はこんな母を見ていて、自分をしっかり持とう、自分の考えで生きていきたいと思っていた。

病院には何回か通い、だんだんと痛みも引いてきた。
そして茶色い瘡蓋のような薄い皮が張ってきた。
それが笑えることに「九州」の形そっくりだったのである🗾
しかし花も恥じらう女子中学生、この「九州」を誰かに見られたら…
恥じらいながらも私はこのヤケド痕を「九州」と呼ぶことにした。

体育の授業ではブルマを履かなくてはいけなかった。
今では消滅した太もも丸出しのおパンツだ🩲
私は「九州」を隠す為 脚も傷めてないのに太ももには大きめのサポーターをずっとはめていた。
「九州」はほぼ隠れていたが少し南の方が顔を出していた。
偽サポーター生活は2年くらい続いたように思う。


中学生から高校生になった🌸
昭和50年代中頃、制服のスカートはヤンキーのように長いのが流行っていた。
私にとっては好都合だ。
でもまた体育はブルマだ。
その頃に「九州」は茶色い色が薄くなっていたがまだその形をハッキリと残していた。
嫌やなぁ~と思いつつ、もうサポーターを付けるのも嫌だし思い切って太もも丸出しで走っていた。
幸いにして誰も「九州」には触れて来なかった。

高校を卒業して好きな人ができた。
初めて真剣なお付き合いをした。
「九州」を見られるのは恥ずかしかったがどんどん色が薄くなりあまり目立たなくなっていた。

その頃に流行ったのはミニスカートだ。
思い切って履いたスカートや夏の水着から出た太ももの「九州」は大人しくなっていた。

それから結婚して子供が産まれ、公園で遊ぶ時は膝上のキュロットパンツを履いていた。
「九州」は殆ど気にならなくなり私の太ももから約20年くらいでほぼ姿を消した。

子供が大きくなり、小学生の時に出来たてのカップラーメンを足に落としたことがあった。

私の脳裏には咄嗟に忌まわしいチキンラーメン事件が浮かび
「早よ 冷やせ~!」
「開いてる病院はどこ ⁉」
子供を急いで車に乗せ、連れて行ったのだった。
「お母さんもな、昔 チキンラーメンでヤケドしたんよ…」


子供のヤケドは軽度で済み、痕も残らなかった。
医師の言うことではカップラーメンはすでに100℃以下になっているから、そんなに酷くならないとのこと。
そうなんや、知らんかった…
ラーメンって何となく油が入ってるから熱いイメージがあったな…


今回はふとヤケドのニュースを見てチキンラーメンヤケド「九州」を思い出したのである🗾🍜

あの時の父の言葉が嬉しかったな。
不器用だったけど大事に思ってくれたんだろう。

こんな目にあって、チキンラーメンが嫌いになったかと言えばそんなことは全くない。
大好きで安売りがあれば飛びつくように買う。
袋の中の欠片はそのままポリポリと食う。
そのままでも食べられる、非常食なのである。
ちょっと味が濃すぎるけど…

ただ・・・・・
鍋で煮るのはもうやめた。

3分間 待つのだぞ~!🍜⏲

ひよこちゃんはのびたラーメンが嫌いらしいよ


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