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記録には存在しないが、記憶には存在する。そんな少女、中谷育。

タイトルを見て、まず意味不明だと思うだろう。私もわからん。
今回の記事で言う「記録」とは自分自身が過去に経験した事実とする。
「記憶」は実際にあったかは定かでない朧げなものとする。

私自身、へっちゃらプライドの覚醒前のような小さな子が雪の積もった所にボフっと倒れ込んでしまった場面に出くわした事は無い。当たり前に私に娘はいないし、ましてや小さな子と関わる機会もない。

でも、そんな場面に出くわしているかも知れない。
それでも、私はこの場面を知っている。
なんとなくだけどそんな気がする。


例えば、小さい女の子が花屋さんに母の日の贈り物としてカーネーションを買いに来る。
自分がこんな場面に出くわした記録なんてありやしない。花屋になどほとんど行った事もない。
でも、私は「小さい女の子が花屋さんに母の日の贈り物としてカーネーションを買いに来る」場面を知っているし見た事がある。

“当たり前にない当たり前の日常”を表現できるのが、中谷育のエモであると私は思う。

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