大学の魔の手
こんにちは。安藤一哉です。
去年の今は何をしていたか。
意味もなく振り返ってしまうことはありませんか?
僕は写真フォルダから「1年前の写真はこれです」のような通知があり振り返りました。
そしたらがっつり就活をしていた自分がいました。
リクルートスーツを見に纏い、履歴書の入った就活バックとともにいろんな会社を見ていました。
学校のキャリアセンターで自己分析をし、就活エージェント会社も活用し、家では常に面接練習をする。
大変だけどとても充実した日々を過ごしていました。
すみません。ウソつきました。書いているこの日は大学の友人と肉フェス行ってました。
(でも就活をしていたことは事実であり、もちろん両立していました)
今回はこのようにしてみました。
1.入学
東京農業大学に入学しサッカー部に所属した。
(下から2列目左から3番目)
東京農大に決めた理由はスポーツ推薦として迎え入れてもらったことが大きかった。
高校2年時の活躍を覚えてくださり声をかけていただけたのだ。
最終学年で試合にあまり出ていない選手をスポーツ推薦で取るのだから、珍しい事例の人間であった。
思い返せば高校3年の時、他の強豪大学の練習参加にすら行けない状況であったが、東京農大の方が熱心に誘ってくれたことがとにかくうれしかった。
練習参加やセレクションにすら行ってないのにも関わらず声をかけていただき、自分としても評価してもらえるところがあるならそこに行こうと思い決めた。(もちろん入学試験とかはあったよ)
2.大学デビュー
2016年4月、僕のキャンパスライフが始まった。
の前に大学入学前の自分のステータスをおさらいしよう。
・高校2年でスタメンを勝ち取るが3年でスタメン落ち。
・自分は本来もっとやれる選手である。というプライドが強い
・全国ベスト4という肩書き
大学での目標はもちろん
「プロサッカー選手」
一択。
「大学は誘惑がたくさんある、しかも都内なら尚更だ。相当な覚悟がないとすぐ潰れるぞ」
と先輩が言っていた。
「そんな奴らと同じにしないでください」
こんな風に思っていた。
当時の僕は前章でもあったように自信満々の尖りに尖った男だった。
道を踏み外すことなどあり得ない。
そう思っていた。
順調に大学での生活も慣れてきた。
トップチームに上がったりセカンドチームに落ちたりの行ったり来たりの日々が続いた。
そうしてようやく軌道に乗ってきたところでアクシデントが僕を襲った。
肩の脱臼癖があまりに深刻になってきたことだ。
サッカーで転び方によって外れるならまだ仕方ないと割り切れるが、この時期は両手を頭の後ろに組んで「ビクッ」としただけで外れるレベルだった。(衝撃映像を見たりしたらすぐ外れる)
サポーターをつけて試合をこなす日々が続いた。
(下段左から2番目)
サポーターをつけていたため右肩がすごいモッコリしてます👈笑
しかしこれでも脱臼を繰り返す。
「これじゃサッカーにならん」
7月に手術を決意した。(お見舞いに来てくれたのは2人だけ)
初めての入院に初めての全身麻酔。
マスクをつけられて「これ麻酔効かなかったそのままメス入れられるからめちゃ痛いじゃん」とか思ってたら手術は終わっていて無事成功していました。
全治4ヶ月
長いリハビリの生活が始まった。
しっかりとリハビリに向き合い、今後の自分を作るための大事な期間だ。
逆に楽しもう。と。
しかし、結局その期間で僕は「大学の誘惑」に負けてしまったのだ。
サッカーはできないしまだ復帰は長いとのことだから意識が逸れてしまった。
車の免許を取得したり、次の日が朝練で4時起きであろうと夜中まで遊んだりした。
またいつかサッカーに打ち込めるきっかけがくる。それまで遊ぼう。
変わるきっかけを他人や環境任せにしていた。
自分を変えることができるのは自分以外のだれものでもない。
当時はサッカーより遊びを優先していたかもしれない。
勘違いしてほしくないのが、別に遊ぶこと自体悪いことだとは思わない。
だが自分のように遊ぶことによって大切な何か(サッカー)を疎かにしてしまったことがいけなかった。
サッカーで初めてめんどくさいと思い練習をさぼったこともあった。
行っても大したリハビリもせず、ボール拾いをするだけなら...
そんな日々を繰り返していくうちに
大学でわざわざサッカーをする意味が見出せず、社会人サッカーを模索した日もあった。
現状に向き合えず常に楽な方を選択して逃げ続けた結果、戦列復帰はできずシーズンはそのまま終了した。(まぁいろいろと事情はあったけど割愛)
そんな甘さを持って入ったオフシーズン。
自分が遊んでいる間に高校のチームメイトは大学のリーグ戦で活躍していたり、プロでデビューをしていたりした。
「???」
1年を振り返ってみた。
「あれ、俺誘惑に負けてない?」
「先輩の言われた通りになってない?」
やっと気づいた。
ずっと変わるきっかけを待っていたけど、それは自分から作り出すものだ。
変わる勇気がなく、周りが変わってくれるのをただただ待っていただけだった。
このオフシーズン、とことん自分に矢印を向けた。
「もったいない1年を過ごしてしまった。けどもう終わってしまったことは仕方ない」
そう思い1年目の失敗をより意識して強い思いを持って2年目を迎えた。
3.大学デビュー(改)
2017年2月
2年目のシーズンが始まった。
監督が変わるというのは1年の11月ごろから知っていた。
明治大学のコーチを務めていた方でめちゃくちゃ練習きついらしいよ...なんて話をしていた(これは事実でした)
新しい監督の元、僕は絶対に変わろうと決心して望んだ。
すぐにTOPチームに呼ばれた。
監督の改革が始まり、サッカーに打ち込めるようになってきた。
このチームでやっていける気がしていた。
春先、関東リーグが開幕した。
5/3 第3節 青山学院戦。
後半20分、途中出場で関東リーグデビューした。
ポジションは左のシャドー(フォワードみたいなところです)
3-0で勝利。手応えは十分なほどに感じられた。
ここでも
「やってきたことが証明された」
と思った。
1年の頃よりも更に、筋トレや自主トレ、睡眠、食事のレベルを上げた(当たり前のことです)
変わることができたのかもしれない。
前期リーグ(前半戦のようなもの)は途中出場も含めて11試合中5.6試合出場し、後期リーグは全試合にスタメン出場した。
※丸を付けた所で試合に出ていました。
この年は1点しか決めることができなかったが、同年リーグを優勝した早稲田大学に対しゴールを決めることができた。
チームとしては関東2部リーグ5位で終わった。
昇格はならなかったが部の全員が期待を持って次に進めるシーズンとなった。
数多くの優秀な選手たちと同等に渡り合えている。
自分の武器に磨きがかかり、体と心のギャップが少なくなってきた。
ここでは高校での失敗である「過信」は全くなかった。
試合に出ていてもあの時と同じ間違いを繰り返さないよう、映像でのフィードバックを毎試合した。
また、周りの人々の意見を参考にしまくっていた。
サッカーの最終的な局面は「個」での勝負だ。
昔の自分はそこを強くフォーカスし過ぎていたのである。
失敗から学び、次に繋げられている感触があった。
高校2年の時とはまた違う「何か」を掴めた大学2年だった。
しかし翌年痛い目に遭います。
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