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過去の出来事

湧き出てきた、過去の出来事。
湧き起こる思い。

今振り返ってみれば、自分もかなり強引だったし、これは単純に良い悪いとか正しい間違いを決めたいという話ではない。ただ自分がずっとしまっていた心を、ここで解放したいと思って書く。

昔、一緒に組んで仕事した相手と決裂してしまったことがある。原因はギャラの取り分の問題。こちらが加算した代金について、事前説明したにも関わらず「聞いてない」とクレームが来た。その電話の中で相手はかなり激昂しており、私はその後に他のアポイントもあったため、相手の感情に巻き込まれないようにと、できるだけ淡々と接していた。その時点では私の中で特に大きく感情が動くことはなかった。その場はひとまず収めたものの、激昂した先方の放った言葉に私の方も意固地になり、最終的に自分の支払い条件を押し通した。そしてその相手との仕事も関係性も、ここで切れた。

初めてその相手と組んで仕事をした時、自分の取り分云々よりも相手の仕事への敬意から「手伝いたい」というボランティアのような精神もあった。けれど、回を重ね、かなりの集客をし御膳立てを繰り返すうちに、取り分に対する違和感が生じて来た。最終的に私の取り分を相手の取り分より上回らせた時点で、相手の怒りに火がついた。

ギャラの比率に関しては、徐々に交渉していった訳だが、私の取り分を増やす料金交渉をする際にはもちろん私の方にも緊張感はあった。どこかで相手に「それはないでしょう」と言われるのではないかと。けれど、相手はずっと私の要求を受け入れ続けた。矛盾してるようだけど「なんで断らないんだろう?」とどこか不思議に思っていた。この部分に関しては相手の課題でもあったのではないかと思っている。受け入れるだけでなく違和感を感じたら怒りに火がつく前に伝えるということを。

相手と私の取り分が五分五分になって、それでもまだ相手はそれを受け入れた。最終的には私の方が多くなるように設定をし、そこで決裂したのだけれど、今振り返ってみれば、私は、私が「何をしていたのか」が見える。単純にお金を多く得ることだけが目的ではなかった部分。

私は自分がギャラを相手より多く得ることで優位に立ちたかったのだ。自分の存在を価値あるものに。お金=評価。上に立ちたい、世の中に認められたい。評価されたい。勝ちたいと。

今ならそれが虚しい価値観だと解る。
けれど、当時の自分にとっては…自分を奮い立たせるために必要なことだった。

そして、この衝突のもう一面に「もうこの相手との関係も終わり」という流れがあったのだと思う。そう、続く関係性だったらこのような流れにはならない。互いが互いを通じて学ぶべきことは終わり、新しいステージに向かうため。そのために起こるべくして起きた違和感であり衝突であり決裂だったと思う。

後日。この衝突は、相手との関係が切れて終わりではなかった。

推測の域を出ない話ではあるけれど、どうも相手が共通の仕事仲間に私とのことを吹聴したらしく、一部の共通の仲間から進行中の仕事を具体的な説明もなく急にキャンセルされたり、ゆるく無視されるような場面に出くわすことになった。確証のある話ではない。けれど、どう考えても決裂した件絡みしか、それらの原因を考え難い状況だった。

私は、人との衝突があった場合、一方的に相手を悪く他者に吹聴することは卑怯だと思っている。特にそれが仕事絡みであれば尚のこと。飲み会での愚痴レベルだったらどうでもいいと思う。けれど、それが共通の仕事相手だったら…私の中では絶対やっちゃいけないことに属することだった。

被害者・加害者なんて、角度を変えれば紙一重。対立する2人がいれば、そのどちらから話を聞くかで印象なんてまるで変わってしまう。衝突があった場合、どちらか一方だけが100%悪い、なんてことはない。

だからすごく悔しかった。
悲しかったし、怒りもあった。

でもそれも、今思えば。そこで私に対し仕事をキャンセルしたり無視した人達は、相手の一方的な意見だけを聞いて、そこで確認することもなく「私を切る」という判断をした訳で。結局そこまでの関係でしかなかったとも言える。

そして私のすぐ近くには、そんな私を「あなたらしい」と励ましてくれる人もいたのだった。

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