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人は人、自分は自分

「この世にこんなにも愛おしいと思えるものがあったんかい?!」
と、毎日毎日その仕草の全てで私をキュンキュンさせてくれる我が子。

「この世にこんなにも耐え難い痛みがあったんかい?!」
という陣痛(痛みの感じ方は人それぞれですが、私は腰側に来るタイプで尾てい骨と仙骨をメリメリと万力で潰されているような痛みでした。)、
出産(周囲35cmの頭があんな所を通るなんて想像もつかなかったけど、分娩時の痛みは陣痛に比べたら屁でもありません。)直後の朦朧とした意識の狭間でさえも、
一目見た瞬間から踊るような幸福感を与えてくれた我が子。

そんな、この命をもすぐに差し出せる我が子ですが、それでも時々苛立ってしまう事もあります。

自分勝手な話なんですが、
私は不妊治療中の精神的にしんどい時、
「子供に苛々する」と言う台詞をSNSなんかで見かけると、
「産まれてくれただけでも有難いのに何故?!
何故そんな風に思う親の所にはすぐに子供が出来るの?」
と八つ当たりな感情が湧いていました。

それなのに、自分が母になったらなったで過去の自分は棚に上げて苛立つなんて言ってしまって、気を悪くされる方がいらしたら本当にすみません。

けれど実際、
1時間置きの夜泣きで全然眠れない時、
鈍器の様なもので鼻先をどつかれた時、
手間暇かけて作った食事を瞬殺でひっくり返された時などなど、イラッとしちゃいます。

まだまだ月齢も低い子なのでわざとやっている訳ではないのは分かっています。
冷静になって考えてみると、子供の行為に苛立つというよりは、自分の心に余裕がない時にイラッとしてしまうんですね。
余裕があれば鼻先をどつかれても笑い飛ばせるんです。

最近SNS、特にインスタとかで見かける、
「ママはいつも頑張ってるよ。イライラするのだって当たり前。自分を甘やかしていいんだよ。いつだって100点満点!」
みたいなキラキラ応援アカウントみたいなのを見ると、ちょっとゾワゾワむず痒くなってしまうタイプなのでこんな自分を擁護する気はないのですが、
イライラしてしまうのもまぁしょうがないのかな、と思っています。


それでも日々心穏やかにと心がけて育児してるんですが、
自分の幼少期の頃の記憶を辿ってみると、
私の母も絶対機嫌悪い時あったわ!むしろめっちゃあったわ!と思い出しまして。

そりゃ、4人も子供がいて、父はほぼ不在。
姑と同居。
今と違って嫁いだからには実家に頼ったりはしない。
そんな中でよく家事に子育てにやってくれていたんだなと思います。


子供が可愛くない親はいない、なんて言いますがそれは綺麗事で、
世の中には子を愛せない人もいるだろう。

しかし私の母はちょっと気分屋だったくらいで、色んな手料理も作ってくれたし、習い事の送り迎えもしてくれてた。
大切に育てられていたんだな、と思う。

一つ思い出したエピソードがありまして。
晩御飯におでんが出た時の話なんですが、そのおでんの具に好物のジャガイモが入っていなくて、

「ジャガイモが入ってないおでんなんかおでんじゃない。」と言ったら、
「じゃあ食べられん!」と言われ、私も意地っ張りなのでそのまま晩御飯を食べず空腹で眠った事がありました。
母は、後から「やっぱり食べなさいよ」などと言うタイプでは無かったので意地の張り合いで不貞寝をしましたが、
それから幾日かが経ってまたおでんを作ってくれた時に大量のジャガイモが入っていました。

そういう、ちょっと照れ臭くなるような優しさ。

そんな優しさにも触れていたのに、
子供の頃の私は、母は私の事は可愛くないんだ、いらない子なんだと思っていました。


一番多感な時期と言われる思春期よりも、
より人生を思い悩む苦しい時期は、
子供ではいさせてくれない。
大人にもなりきれない21歳頃だと持論ですが思っているのですが、
恥ずかしながらその頃の全てのむしゃくしゃした気持ちや寂しさを全て母からの愛情不足のせいにしていました笑

大切に育てられた私でさえ、愛情が足りなくて寂しかった、と思うならば、

もしももしも虐待を受けている子ならばどうなんだろう。
想像するだけでなんと悲しいんだろうか。
きっと早い段階で心を閉ざしてしまっているかもしれない。

悲しいニュースを聞く度に苦しみで胸がいっぱいになりますが、最近は虐待をしていた親の親はどうだったんだろう。そのさらに親はどうだ?と思ったりするんです。
海外のある国(忘れちゃった)ではイジメが起きた時に、いじめられた方のケアだけでなく、いじめた方もしっかりカウンセリングを受けるそう。

イジメは絶対にダメですよ、で終わりではなく、陰湿ないじめを行う子供達の家庭環境や精神面の問題を探り、原因を突き止める事が重要だからです。
よく考えれば当たり前なんだけど、どう考えたって人を傷付ける方が問題ありだもんね。

また話逸れちゃいましたが、
愛情が不足しています!と声高に叫んでいた私ですか、
24、5歳の頃にふと、
あー親も昔は子供だったんよな。
普通の人間だもんな、完璧じゃないよなぁと、
いろんな事が腑に落ちた瞬間がありました。

親と言えども一人の個人として見れば、
そりゃあ間違った事も言うし、いつも機嫌良くはいられない。
そう理解出来た頃から母との関係は良好というか、
なんだか素直に自分の思いを伝えられたり甘えられるようになりました。

そして自分が今母親となり、
子供の良いお手本となりたい、と思ってはいますが、
夫に対して理不尽な逆ギレもしてしまうし(ひどい)
テレビに出ている芸能人に、なんだこのおしゃべり糞野郎は!だとか、
危なっかしい運転をしている人に、どこに目付けとんじゃい!と口悪く言っちゃいそうになる時もある。

けれど誰も元々完璧なんかじゃないと思えば、
自分も完璧じゃなくてもいいんだ、とも思えるし、
何より相手に完璧を求めなくなる。

完璧を求めないと、
あらあら今日はおしゃべりが盛り上がっちゃっただけかしら?
今日はお目目が横に付いていたのかしら?
と色々な事をゆる〜く受け流す事が出来る。

以前よりずっとポジティブに生きていけるのです。

まぁ心に余裕があってこそなんだけどね。

というわけで例え親だとしても所詮人は人。
もちろん夫も友達も、そして我が子でさえも。

冷たい言い方にも聞こえるけど、逆にそれは相手にどんな部分があっても認めるって事にもなるのかな。



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