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結党記者会見①(2023年10月17日)

有本香:
それでは時間となりましたので、日本保守と結党の記者会見を始めさせていただきたいと思います。
本日はメディアの皆様方、連絡等々が、私どもまだ体制が不十分でありまして、連絡等が十分にできなかったことをお詫び申し上げますが、たくさんのメディアの方にお集まりいただきまして大変ありがたく存じます。
これから、結党の決意表明、様々なことをお伝えしていきたいと思います。
まずはじめに、日本保守党代表の百田尚樹より、結党宣言、そして一言、ご挨拶をさせていただきます。

百田尚樹:
私が日本保守党の代表の百田尚樹です。
そして私の右側におられますのは、同じく日本保守党の、役職は何でしたっけ、まだ決まっていなかった。

有本香:
東京荒川区議会議員、小坂英二さんです。
私は今日の進行も務めますけれども、日本保守党で事務、それから広報も預かっております有本香と申します。よろしくお願いいたします。

百田尚樹:
それでは、まず私が日本保守党とは一体どういう党なのか、何を目指している党か、党の理念とは何か、これを申し上げたいのですが、そういうことは全て、私が書いた、党が書いた結党宣言、ここに私たちの思いが込められておりますので、これを読み上げさせていただきます。
日本保守党の結党宣言です。読み上げます。

日本ほど素晴らしい国はないと私は断言します。
神話とともに成立し、以来およそ二千年、万世一系の天皇を中心に、一つの国として続いた例は世界のどこにもありません。これ自体が奇跡といえるでしょう。
日本列島は豊かな自然に恵まれていますが、反面、世界有数の地震国であり、台風や河川の氾濫、豪雪など、つねに厳しい災害に見舞われてきました。そのなかで日本人は互いに助け合う知恵を育み、和して穏やかに暮らしてきました。
古代の漢籍に「日本人は盗みをしない。争いは少ない」と記されています。幕末から明治にかけて日本を訪れた欧米人らも一様に、日本人の誠実、勤勉、善良さを特筆しています。
同時に私たちの先人は、痛手を受けても立ち直る逞しさをも培いました。
国難のとき、先人は勇敢に戦って国を守ってきました。刀伊の入寇、元寇、幕末も然りです。一九世紀半ばには、列強によって鎖国の扉をこじ開けられ、欧米の植民地争奪戦のジャングルに引きずり出されはしたものの、有色人種のなかで唯一、日本だけが独立を守ったばかりか、瞬く間に列強と肩を並べる強国となりました。
ところが、第二次世界大戦により、日本は木っ端微塵となりました。三百万余の尊い命が失われ、世界最貧国の一つにまで落ちぶれました。しかしそこから世界が驚倒するほどの復興を見せたのです。世界第二の経済大国へと成長し、戦後の日本は世界の平和に貢献し、多くの途上国を援助してきました。
これが、私たちの国、日本です。
その日本の海が、山野が、いま脅かされようとしています。
他国に攫われた同胞は、何十年も祖国の地を踏むことができません。野放図な移民政策やLGBT理解増進法にみられる祖国への無理解によって、日本の文化や国柄、ナショナル・アイデンティティが内側から壊されかかっています。
これらを座視していてはなりません。
断固として日本を守る――。そのための新たな政治勢力が必要です。
三十年間、国民の賃金は上がらないまま負担だけが増え、若い人たちが将来に希望を見い出せないでいます。早急に経済を確かな成長軌道に載せていく必要があります。
結成したばかりの私たちの党は、巨象のような与党の前では「蟷螂の斧」のごとき小さな存在でしかありません。しかし、「日本を守る」という堅い意志を持つ国民が一人、また一人と集えば、必ずや大きな力になると信じています。
私の残りの人生を、この党とともに歩むことをお誓いします。
「日本を豊かに、強く」。皆さん、これを合言葉に、ともに歩んでいきましょう。

令和五年十月吉日
百田尚樹

これが私たちの党の結党宣言です。
この理念をもって、今はまだ国政政党ではありませんが、一つの政治団体を立ち上げて、そしてこれをやがて国政政党に育て上げて、そして日本を、先ほど申し上げましたように、日本を豊かに強くと、この合言葉をもって日本を守っていきたいと、そういう思いで私はこの党を立ち上げました。

小坂英二:
素晴らしい日本の経糸というものを守り引き継ぐ中で、築き上げられてきた日本文明、そうしたものが私たちの幸せの根底にあると、そういう思いで、日本保守党の結党に参加をいたしました。
荒川区議会議員6期目を務めております完全無所属で活動してきました小坂英二と申します。
国と地方というのは一体不可分だという思いで、さまざまな課題に取り組んできました。
反社会的な朝鮮学校への補助金、カルト宗教やパチンコ依存症による大量の不幸の生産、そうしたものに目を背ける政治。
外国人が激増する中で日本というものが相対化され、混乱にも白車をかける、そうした状況にも何にも手を打てない政治。
さらに日本の国柄、性的少数者に非常に寛容な社会であるという特質を全く無視したLGBT法のような社会を歪める動き。
そうしたものと戦い問題提起を広げてきました。
こういう活動は無所属であるからこそ、今まで思うように続けてこられたと思っておりました。
既存政党では頭を押さえつけられ、首根っこをつかまれ、そういうことは言うな、活動するなというふうに制限をされてきた事例を20年間、幾度となく見てまいりました。
しかしこうした活動について自らが取り組むべきことを、日本保守党という場で百田代表、有本事務総長とともに進めていける、そう確信をし、結党メンバーとしてここに加わらせていただいた次第であります。
過去6回の選挙では全て選挙カーなし、直近4回は選挙事務所なし、3回の選挙では連呼行為や自分への投票依頼もしない、そういうスタイルで活動を続け、有権者との直のやり取りを大事にしてきました。
日本保守党が問題視をしている、金ばかりかけて本質を外している政治、選挙、そうしたものの在り方を社会の中で是正をしていく、そうしたモデルケースを自ら示していきたいというふうに思っています。
また、国民の大切なものを死守する矜持を失った自民党への失望感があふれる今、豊かで強い日本にするために堂々と旗を掲げ、今日、共に船出をいたします。
日本保守党の掲げる旗に共感、賛同してくださる皆様、それぞれの持ち場からぜひ広げていただきたいと心からお願い申し上げます。
そして、日本を主語とした政治を、日本を我が事として捉え行動する国民とともに、そうした社会を築き上げる、先頭に立っていくということを、結党のこの機会に決意表明をさせていただき、私からの言葉とさせていただきます。
以上です。ありがとうございます。

百田尚樹:
素晴らしい。党首と変わったほうがいいんじゃないかと。そう、つくづく思っています。

有本香:
今日は、この結党宣言、決意表明、また私たちの党はこういう党ですよということを知っていただくと同時に、きょう皆様にもう一つ重要な発表をさせていただきます。
今、皆さんのお手元にも並行してリリースをお配りしたいと思います。配られたものをご覧になりながら聞いていただければと思います。
本日、日本保守党を結党いたしました。それと同時にもう一つ重要なことをお知らせいたします。
今申し上げましたように、私どもは9月1日に政治団体日本保守党を立ち上げました。本部は東京、代表は百田尚樹です。
そして、きょう皆様の前でまた宣言をさせていただくわけですけれども、執行部の体制としましては、代表百田尚樹、そして党の運営広報まで含めた事務を総括しておりますのは、私、有本香です。
さらに、きょう同日、日本保守党は、かねてより協議を続けてまいりました地域政党 減税日本本部名古屋代表河村たかし、この減税日本さんと特別友党関係を締結したことを皆様に併せてお知らせいたします。
これに伴いまして、減税日本代表の河村たかし、現名古屋市長でございますけれども、河村たかしが日本保守党の共同代表に就任し、そして減税日本副代表、前の名古屋の副市長でございますが、広沢一郎が日本保守党の事務局次長に就任いたします。
すでに日本保守党は、現在、もうすぐ48,000でございますけれども、超の党員を有する団体となっております。
これに加えまして、河村、広沢、両氏という非常に豊かな政治経験、それから実績を有する優れたリーダーを迎えることによりまして、そしてさらに名古屋の市議会、愛知の県議会で活躍中の多くの仲間を得ることによって、さらなる成長を目指してまいりたいと思います。
これが今日皆様に発表させていただく重大事項、もう一つの方でございます。
そして今日、この大事なお話をメディアの皆様、そしてネットを通じてご覧になっていらっしゃる党員、国民の皆様にお知らせするために、
今日、減税日本からこちらの会見にお越しいただいたお二人をお迎えしたいと思います。

現名古屋市長の河村さんです。
そして、百田さんの右側にいらっしゃいます、広沢一郎、減税日本の副代表。
今日から私どもの共同代表、そして広沢さんが事務局の次長ということで、この体制で活動してまいりたいと思います。

少し経緯を私から説明させていただきますと、6月に百田さんが新しい党を立ち上げようということで進んでまいりました。
いろんなことを検討いたしましたけれども、既存の政党にはない新しいことをやろうということで、新しい試みをたくさん考え、そして実践もしてまいりましたけれども、しかしながら、やはりこれから現実の政治の世界で戦っていくために、百田さん、私に最も欠けているものは政治の実体験、経験、実績、こういうことでございます。
そこで、どなたか一緒にやっていただける方はいないかなというふうに思っておりましたところ、まだまだ暑い時期に、どうやら河村市長がいろいろとお考えのようだという、風の便りにそういう情報を聞きました。
私は2012年より河村たかし市長とはいろいろ知見を得て、いろんな折に交流をさせていただいてきました。
それで私の方から河村市長に電話を差し上げまして、そこから計3回、名古屋に百田さんと一緒に参りまして、こっそり密会をして、この4人で。
そして何時間もいろんな話をして、今日に至ったということでございます。

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