アイドル“マスター”の端くれの戯言。

 男には無性に何かについて語りたいときがある。

「マスター、一杯だけ酒をくれないか?」

 それが今なのだ。はい。そういうわけで今日は『THE IDOLM@STER』という作品を題材にして、ひとつ戯言を。

 最初にTHE IDOLM@STERのマスターとは"統べる者"的なものだと思う。まあ、プロデューサーというプレイヤーのことを指した言葉だと思われ。俺がアイドルマスターに登場するアイドルと出会ったのは恐らく、媒体としてならアニメが最初だったと思う。だけど俺はこのとき、そこまでアイドルマスターに関心は無かった。

「へえ、ゲームのアニメか」くらいのものである。(始まったばっかりなのに余談的なものを語ると、アニメの13話劇中内で流れた自分REST@RTのダンスを観ながら、変な踊りだな、これ。って思ったくらいあのときの俺はアニマスを舐めきって観てた)

 だけどここからですよ。ここから。アニマスと言えば、にわかでも必ず話題に挙げる20話の千早回。はい、約束ですね。ここからネガがポジに反転するというのがフラグというか、お約束というか、お決まりのパターンな訳ですが、俺は割と天邪鬼なので、その流れには乗らなかったんですよ。まあ、ドラマチックかなぁと思う程度で。(今なんか、タイトルみただけで泣きそうになるのにな?)

 んで、21話は録画してたつもりで録画出来てなかったもんだから、そこでなぜか"切った"わけです。それ以降、俺がアイマスに触れることは無かった。ああ、えっと、白状します。モバゲーのシンデレラガールズは、招待アイテム目的でやりました。すぐトレードしました(ぉ

 えっと、ここまでの流れでアイドルマスターにハマった理由が見当たらないいね? うん。俺はアイマスの存在なんてすぐに忘れた。アニメなんて終わればまた新しいやつが始まって、またそれが終われば似たような新しいのが始まって、またそれが終われば斬新さなんて微塵もない、ブームになることもなく、淘汰されるべくして淘汰されるアニメが始まって終わる……それの繰り返し。

 俺はヲタクだけど、何かひとつの作品を追いかけるわけでも無く、かけるべき情熱も無く、傾倒するほどの作品を探すことも無く。人生の張りを求めてとか、日々の潤おいを求めてとかじゃ無く、生活的に続けてきたサイクルだったからって理由だけで、漫画を読んで、アニメを観て、ゲームをやって、日常的な暇つぶしとしてヲタクを続けてた。

 仲間なんて居やしないのに排他的だった部分もあるかもしれない。バンドを辞めたときから、何でも良いから物事に没頭してしまいたい気持ちもあったのかもしれない。だけど、共通の趣味を持った仲間なんて居なかった俺は一人で完結するだけの閉鎖的な日常を繰り返していた。

 そんな中、ネットサーフィンに興じていると、ひとつのまとめサイトに足を止められた。惹かれたとか、目を奪われた、とかじゃなくて、本当に駅前で風俗の看板をぼんやり見つめる感じ。

 「なんだ、これ?www 電車でGOって名前はアウトやろwww しかも、『痴漢プレイ楽しめます』ってwwww 法廷プレイとかあったら神だなwwww」

 そんな、「入ってみたら意外と楽しめた」的なのが、SSとの出会い。所謂、ネット上に記された二次小説がメインで作者は年齢不詳、性別さえも分からない名無しの誰か。スマホでまとめサイトを巡れるからお手軽で、そのくせに週刊発行される漫画や量産されるだけのゲームに負けない情報量を得ることも出来るとあって、一週間もすれば恒例というか謂わば、寝る前の『眠るための儀式』と化したし、トイレのお供と化した。

 俺の主食は元ネタのある二次創作ではなく、勇者や魔王が主役のSSでもなく、主人公が幼馴染とイチャこらするだけのSSだったり、先輩と後輩が罵り合ったりイチャこらしたりする日常系のユルいのが好みだった。そんなSSの中には読んでがっかりするものも当然あったし、むしろ書いた作者を呪いたいときもあった。だけどそこそこ面白いものも多かったし、何より、暇が潰せた。

 色々読み漁ってるうちに、ひとつのまとめサイトの主食の備蓄が尽きてしまった。それ系のやつが全部既読になってしまったので、仕方なく(←※強調)、当時主流だったFateのSSやら、けいおん!SSやら、とある系列SSやらの二次小説を読み始めた。

 ……が、さっぱり楽しめなかった。理由は簡単。

 「二次小説って、キャラ紹介も設定解説も脈絡も無いから、元ネタ知らないとチンプンカンプンで感情移入が出来ないし、何より面白いと思えるツボが分からない!!」

 ……だったのですよ。うーん。知識(意識)共有の壁は意外と高かった。

 しかし! そんな作品群の中で、「お、これ面白いな?」と思えるSSがあったのです! それがアイドルマスターだったのです!! バーン!(効果音)

 ……ね。ようやく再登場したね、アイドルマスター。

 同時に、「でも、アイマスってアイドルの話だったような?」と俺氏、困惑。だって、アイマスSSのほとんどが、アイドルを(職業的な意味で)してなくて、貧乳キャラがPAD付けて事務所に来てみんながそれに耐える話だったり、クールキャラが突然「私、みんなのキャッチコピーを考えてきたの」だの、生真面目なあの子が「イタコに事務所のみんな(存命中)の霊を呼んでもらいましょう」だの……。

 たまに仕事してるなって思ったらゴリラとユニット組んだり、TVのドッキリ企画だったり、鬼ごっこしてたり、なんか格闘技しだしたり、内P出てるし、めちゃイケでいじられまくってたり。タイムスリップなんか平気でするし、もうむしろ最初っから江戸時代に生まれた設定になってたりするし。

 かと思ったら、プレイヤーキャラのプロデューサーという人物が主人公でリボンの似合うかわいいアイドル……に、よく似た風俗嬢を好きになったりするし、普通にプロデューサー争奪戦が始まってハーレム築いてるし、未来からアイドルとのあいだに出来た子供が来ちゃうし、足長おじさんになったかと思えば、人間やめちゃうし。

「アイドルっていうかプロデューサーってなんなんだよ!!!?」って、なったわけよ。EVAってなんだよ!!? って、なったシンジ君の如く。

  それからです。アイマスに興味を持ち始めたのは(ぉ

 当初、シリアスはスルーしたンゴ。感情移入出来なかったからね。こうやって、少しずつアイマスの(若干、間違った)知識を蓄えていき、より一層とSSを読む時間も増え、アイマスの魅力に取り憑かれ、気付けば【また既読じゃないSSが無い】という状況に陥りました。毎日更新されてたのに、だ。

 アイマスに飢え、アイマスを求め、ゾンビのようにネットを徘徊してたら、次に出会ったのがニコニコ動画。やよいのキラメキラリが可愛かったんだ。もうそれに尽きる。

 そこから、MAD、忙しい人のためのアイマス楽曲シリーズに行き着き、アイマスの楽曲にも深く触れていきました。やっぱり、視覚と聴覚にダイレクトアタックしてくる動画というメディア媒体の効果は大きく、時間を生贄にしてアイマスにズプズプとハマっていった。一番再生回数が多かったのはMADのアイマスカルテット。これはクオリティが高かった(現在は視聴不可)。

 コブラじゃねーか!とか見ろゾウさんだ!とか雀姫伝とかのシリーズモノの更新を待ちわびる日々が始まった。はい、ここで、勘の良い皆様はお気づきになられたかと思います。

 ま た 飢 え た の 。

 そんで、俺は【アイドルマスター XENOGLOSSIA】と出会った。めっちゃ面白かった。放映当時は「まったくの別物だ」やら「悪意ある改変」だの言われたらしいが、アイマスに詳しくなかった俺は偏見や感情に左右されずこのアニメを純粋にロボアニメとして楽しめた。ここで多くを語ると脱線するので、それはまたいつか別の形で。

 このとき、アイマスの間口の広さと共に、奥の深さにようやく気付いた。アニメなんて終わればまた新しいやつが始まって、またそれが終われば似たような新しいのが始まって、またそれが終われば斬新さなんて微塵もない、ブームになることもなく、淘汰されるべくして淘汰されるアニメが始まって終わる……それの繰り返しだと思っていたのに、アイマスは他のアニメとは違った。

『ずっと、現在進行形だった。』

 そもそも、THE IDOLM@STERの歴史はまあ、古い。それにも関わらず、である。ナンバリングタイトルのくせに毎回キャラが変わる王道RPG群よりはかなり新しいけども。

 文字、絵、音楽、動画、ラジオ、ゲーム、アニメ。どんなものであれ、終わらないコンテンツなんか存在しない。サービス提供者が配給を打ち切った瞬間、少しづつ"終わって"いく。ずっと"好き"という気持ちを持っていれたとしても、やっぱり情熱は冷め、思い出に変わってしまう。

 それなのにアイマスはOFAが発売され、映画の公開が終了し、ブルーレイが発売した現在ですら、終わってない。さらにシンデレラガールズのアニメが始まり、新作ゲームまで出る、とか。これもうわかんねぇなって感じで。 THE IDOLM@STERというコンテンツは俺にとって常に『分からない』だった。

 形容しがたい不気味に膨れ上がった熱みたいなものを感じ、白昼夢のようにあやふやで、いくつもの世界があって、本当に夢みたいに不確かで。 微睡みの中に居るうち、俺はまた気持ちを新たにアニマスを観た。

「あなたにとって、アイドルとは?」

 天海春香は、そう聞かれたとき少しだけ考え、こう返した。

「夢、ですかね」

 いつかアイマスというコンテンツが終わってしまう日が来るかもしれない。現在の765プロの面々に代わり、ニュージェネレーションがアイマスというナンバリングタイトルを受け継ぐかもしれない。サービスの提供元がアイマスを終わらせようとするかもしれない。いつか思い出の中の産物になってしまうかもしれない。

 だけど人が夢を見る限り、夢は終わらないという事実は歴史を遡り、人の歩みを見れば明白。もっと早く移動したい。海の向こう側に何があるのか確かめたい。空を飛びたい。ロボットと会話したい。宇宙に行ってみたい。宇宙の外側を見てみたい。

 夢を見る限り、夢は終わらない。当たり前な話だ。アイドルたちが夢を抱いて、その夢を叶えるためにプロデューサーが力を貸す。じゃあ、いつ終わるのか?

「アイドルはいつ引退すると思う?」

「CDが売れなくなったとき……?」

「違う!」

「週刊誌にスッパ抜かれたとき……?」

「違う!!」

「声が出なくなったとき?」

「違う!!!」

「プロデューサーに……忘れられた時さ!!!!」

 プロデューサーが忘れない限り、夢は夢のまま存在し、夢の写し身のアイドルは努力し、切磋琢磨し、挫折しても逆境を乗り越え、夢という抽象的な概念を実在性と観念性の両方からアプローチしていく。

 まがい物でもフィクションでも、そこに物語は存在し、点在し、遍在する。そこにアイマスというコンテンツの懐の広さが伺える。 作りこまれたモノだからこそ、それに魅了される。偶像とはそういうものだと俺個人は考えている。

 いつかTHE IDOLM@STERというサービス配信が終了しても、プロデューサーが夢を見る限り、アイドルも夢を見るのだ。

 いつだって、現在進行形の夢を。


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