見出し画像

いつも気になる長男のこと③

このままでは私もこの子もダメになってしまうと思いました。

やれるだけのことはやった。もう全て手放そう。
勉強しなくても部活で活躍しなくても友達が少なくても。
彼が元気に生きていてくれるだけで十分じゃないか。

長男が変わるきっかけ。。。それは私が変わることでした。

①彼を救ってくれた人⑴店員さん
中学2年生の夏休み期間中を利用して何かしてみたいことはないかと問いかけました。もうその頃には部活にも行かなくなっていたので、時間は十分にありました。
「パソコンが作ってみたい」
と言いましたが、部品を買い集めるだけでも結構な金額です。
私は手持ちの貴金属や使わなくなったブランドバックを長男と一緒に売りに行って資金を集めました。(この時に昔の結婚指輪も売ってしまった(笑)役に立ったからいいか^^;)
とりあえず5万円、絶対大事に使いなさい!と言って渡しました。

たまたま行った電機屋の店員さんが自作パソコンに詳しくて「今時の若い子が一からパソコンを組み立ててみようとしてくれるなんて嬉しい!」と言ってとても親切にいろいろアドバイスくださいました。(ケー○電機さんありがとうございます)

自分でネットで調べたり、店員さんに相談に行ったりして、オリジナルのパソコンが出来上がりました。

「すごいねすごいね!」と褒めましたが、自己肯定感の低い彼は「こんなこと誰にだってできる」と言ってました。でも少なからず彼の自信やこれからの人生の上で何かのきっかけになったと思います。

②彼を救ってくれた人⑵私の友人
彼を救ってくれたというか私の精神的支えになってくれた友人です。
長男の英語も見てくれていて、傾向をよく分かってくれていました。そしていつもとてもとても長男を褒めてくれていました。
長男が不登校気味になった時に相談した時には、
「1日1時間でも、保健室登校でも、途中で帰ってきてもいいから、今は毎日学校に行くリズムをやめさせないで!」と言って、励ましてくれました。
中学2年生の2学期はほぼ毎日学校の校門まで送り届け、校門で先生に長男を託しました。
もちろん行ってすぐに帰ってきたり、黙って抜け出して大騒ぎになったこともありましたが、3学期には自分で行けるようになりました。

③彼を救ってくれた人⑶長男の父親
当時私はステップファミリー真っ只中でしたが、1人で孤独な子育てをしている感覚でした。長男のことは当時の主人には課題が重すぎてお願いすることができませんでした。
長男のイライラが募りはずみで私のお腹を思い切り蹴ってしまったことがありました。私は痛みよりもショックが大きくて悲しくて涙が止まりませんでした。
時々前の夫には長男の相談をしていましたが、その時に言われたのが、
「大丈夫。あの子は僕たちの子供なんだから。」
という一言です。「私1人で長男をなんとかしなくては」と思っていた私の肩の荷がふっと軽くなったのを感じました。

冬休みには長男は夜行バスで父親の所に1人で行き、いろいろ見たい街を案内してもらい、2人の時間が過ごせたようです。

徐々に長男は落ち着いていき高校受験にも前向きに取り組みました。
ただ1、2年生の時の成績や素行は取り返しようがなく受験には失敗しました。
高校も楽しそうでもなく友人も作らず、ただ「大学に行って好きなことを学ぶ」ことだけを目標に皆勤賞を取り、今の大学生活は充実しているようです。

母として、というよりも「人間として」修行させられた、長男の育児でした。
彼が元気で生きていてくれたら、もうそれで十分です。。。

※余談ですが、発達障害の薬は高校1年の時に本人から「もう必要ない」と言われました。
薬の要不要に関しては私には判断しかねますが、いつかは脱却できるものだと思っています。