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自傷

初めて僕が生で見た自傷行為はリストカットでした。
伊勢崎モールを血塗れで徘徊する女性を見た時の衝撃を今でも覚えています。

そして、愛した人間が自ら手首を切っている光景は忘れられません。きっとこの先も一生、僕の瞼の裏側に焼きつく事でしょう。

あれから10年間近くが経ちました。今では僕の体にも、死のうとしたのか、ただ構って欲しかったのか自分にもわからない証拠が刻まれています。

こんな僕でも、初めて知人の自傷を見た時には驚きました。地元でぬくぬくと育った僕には無縁の経験だったからです。

ホストという仕事に就いてからの事です。1回目の経験の時は「死んじゃうかも知れない!」それしか脳を過りませんでした。とにかく不安で、落ちつかなくて、何に変えても早急に駆けつけなくてはいけない。そんな風に思ったのを記憶しています。事実、早急に駆けつけました。

それからしばらくが経ち、水商売界隈には一定数そういう方々がいる事を知りました。一括りにするとするならば、メンヘラってやつでしょうか。

水商売を始めてから、そういった人達と日々生活を共にしていた僕はいつの間にか感覚が麻痺してしまいました。

腕を切る人、睡眠薬を大量に摂取する人、安定剤を大量に摂取する人、ガスを吸う人、注射器を打つ人、泡を吹いてる人。幾度となく見ていくたびに、その人の心配していた僕はいつの間にかいなくなっていました。

構ってもらえて羨ましい。

そんな風に思うようになるまでに、大した時間はかかりませんでした。

今、僕の手首を見るとうっすらと誰に構ってほしかったのかも覚えていない、なんで死にたかったのかも覚えていない線がうっすらとあります。何本もありすぎてどれがどの線なのかも恥ずかしながらわかりません。

ですが、初めて手首を切った理由は今でも覚えています。目の前で手首を切る女性にも、僕はもう慣れてきた頃です。  

『こんな事で言う事聞くと思ってる?』

『そんな事でこっちが言う事聞くと思うな』

そんな風な考えを当時の僕はしていました。

僕が初めてリストカットをしたのは、僕への当て付けで手首を切った女性の目の前で、自らの手首を倍近く切りました。

一回目に剃刀を手首に入れた瞬間、その傷がとても浅く、なんだかビビってるみたいで格好悪く感じて、それから最も切れる角度を探して無心で切りつけたのを今でも覚えています。

血は止まりませんでしたが、痛みは特に感じませんでした。

「痛み」を伴う行為によって脳内物質が変化するらしいですね。

人間は怪我をしたり、過度な負荷が自身の体に掛かった時には、エンケファリンやβエンドルフィンというよく分からない成分が脳内で分泌され、痛みを感じないばかりか、安心感を得るらしいです。  

『余計な事を考えないで済む』

たしかに僕もそんな風に思い、自傷行為はどんどんエスカレートしていきました。後悔はしていますが、毎日アットノンを塗っても傷痕は完全には消える事はありません。

ですが、自傷行為については自らの体を傷つける方がマシだと思っています。本当に傷つくのはそれを見てしまった人間、知ってしまった人の方です。

本人は大して痛くもありません。だから心配もいりません。本当に死にたいのならきっと勝手に死にますよ。

僕が手首や腕を切っていた時の事を思い返すと、別に死にたくて切っていた訳ではないような気がします。

実際に入院沙汰になった事は二度しかありませんし、大体は自分で切りつけて自分で治療していました。なんの生産性もない無駄な行為だな、と今はそう思えます。本当に死にたいのであれば飛び降りか、首を吊っていたと思います。

信じてもらえるかはわからないですが、それでも僕は誰かに構って欲しい、心配してほしい気持ちで切っていた訳ではなかったと思います。

今思えば、学生時代から僕は自傷癖があったのかも知れません。今思い返しても理由はわかりませんが、タバコの火を自分の体で消していました。恥ずかしい事にこの時の傷痕もしっかりと僕の体に刻まれています。そして、爪を噛む、瘡蓋を剥がす、なんて行為も自傷に当たるらしいですね。

それから僕は半袖の服を着れなくなりました。プールや海や銭湯にも行けなくなりました。

1番哀しかったのは、大好きな後輩の家に遊びに行った際に着替えを渡してくれたのに、着替えが出来なかった事です。

ズボンとTシャツを渡してくれた彼の目の前でズボンを履き替えながら、自分の上半身を見せる事ができないことに気づき、「上はそのままでいいや」なんて苦しい言い訳をした事は今でも鮮明に覚えています。忘れもしない8月9日の事です。

後輩の前で格好つけたかったんですかね?それとも心配をさせたくなかったのか、自分でもわかりませんが、家に帰った後にそれがとても情けなくて悔しくて号泣した事を覚えています。

今でも嫌な事があると剃刀に目がいってしまう時があります。

それは死にたいとか構ってほしい訳じゃなく、目の前の現実から目を背けたいからです。

親からもらった大事な体

なんて僕は思いません。母親に産んでもらい、母親に育てて貰いましたし、感謝はしていますが、僕の命は僕のものであり、僕の体は僕のものです。別に僕が僕の体をどうしようが僕の勝手だとは思っています。

今は随分と長い間、自傷行為はしていませんがその理由は単純明快で『何の意味も意義もないからです』

僕は個人的に、過度な飲酒や喫煙も自傷行為だと思っているので、もしかしたらそちらにベクトルが変わっただけの話かもしれませんね。

この世界は生きているだけで嫌な現実が否応なしに降りかかってきます。時には現実逃避したくなったり、投げやりな気持ちになることもあるでしょう。

僕が住んでいた街、歌舞伎町では割とリストカットやODはそこまで珍しい事ではないような気がします。

それぞれの人がきっと言葉に出来なかった辛さや、受け止められない悲しみを紛らわせて、それでも生きているのだと思います。

切ってしまった傷はきっともう消えませんが、特に消す必要もないと思います。

どうか、人の自傷の傷痕を見てしまった時には否定しないであげてください。それでも頑張って生きてる事を褒めてあげてください。

そして過度な心配も、強制的に辞めさせる事もしないで下さい。

僕に残っている傷跡は恥でもありますが、僕が生きてきた証でもあり、誰に何も言われようとも消える事もありませんし、目を背ける事もできません。目を背けた所で体にはしっかりと刻まれてしまっています。

確実に良いことではないし、自分も周りも不幸にさせてしまっていますが、そのおかげかはわかりませんが今も僕は生きています。これからも刻まれた傷と共に生きていきます。

どうか、自傷癖を持つ人を否定しないであげて下さい。肯定をする必要はないです。

普通の精神状態の人に理解できないかもしれませんが、理解されない事が1番辛いのです。

人間なんて究極、分かってくれる理解者が1人でもいればそれで生きていけるような気がします。今の僕がそうなので。

そして、このnoteを読んで、共感や自分と重ねる事ができた人は、気軽に僕に連絡して下さい。あなたの痛みは僕がわかります。

それはODした時の胃の痛みとも違う、リストカットをした時の傷の痛みでもなく、あなたの心の痛みです。

ですが結局の所、自身の体を痛めつけても何も変わる事がありません。むしろ、そんなことをしている自分に後ろめたい気持ちが先行してしまい、余計に悪化していくだけだと、今の僕なら断言ができます。

産んでくれた人へ後ろめたい気持ちを感じる必要はないです。周りに心配を掛けてしまった事を恥じる必要もないです。

傷だらけでも笑えるような素敵な人間に一緒に成長しましょうね。辛い事や悲しい事があっても、傷を舐め合える人をどうか、探して下さい。見つからなかったら、僕がいます。僕はこれからも、生きていきます。

最後まで読んでくれてありがとうございます。一緒に強く生きましょう。今までの傷痕の分まで。

以上。長文、駄文失礼しました。

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