見出し画像

みにくいあひるのこ


"あひるちゃん"って呼ばれてた。理由はみんなには内緒だよ。

バーで初めて出会った日からしばらくはあんじゅ様って呼んでいたくせに、いつの間にかあひるちゃんにされてたね。きっかけはいつだったっけ。もうあんまり覚えてないけど、その頃のあなたは毎回別れ際にわざと冷たく「さようなら」って言うから「言い方悪いな、またね」っていちいち突っ込んでいたのはちゃんと覚えてるよ。

あひるちゃんって呼び方も、最初は嫌だったけれど、なぜだか今ではまあまあ気に入っています。

わたしは本名で呼ばれるのがとにかく大嫌いで、あんじゅって呼ばれるのはわりと好きだけど、そうは呼んでくれなかったな。きっと源氏名で呼ぶのが嫌だったのかね?わかんないなぁ。

今でもあなたのことはわからないことだらけだ。たぶん本当の名前すら知らない。

あなたがどんな気持ちでわたしといたのか。何が嫌で、何が幸せだったのか。わたしがそばに居なくなった今、何を思うのか。今でもほとんどと言っていいほど、なにもわからない。

でも一度だけ、わたしがいつものように五万で女に会いに行く間際に、発狂して泣きながら怒鳴ってお金を投げつけてきたの。覚えていますか?

当時は「それなら最初からお金をくれたらよかったのに」としか思わなかったけれど、寛容なあなたのことだから、きっと他の女と会うからって理由で怒っていたわけじゃないよね。今になって振り返って考えたら、あの時以外に感情をありのまま晒してぶつけてくれたことはなかった気がするから、少しだけ嬉しい思い出に変わりました。

でもね、気持ちはきちんと言葉にしないと、どうやら相手にはうまく伝わらないみたい。せめて普段から少しくらいは態度には出しなよ。まあ口には出さずに不機嫌な態度だけをとられても、結局のところわたしはそれにも腹が立つんだけどさ。

一度抱きしめ合うだけで溝を埋められていたと錯覚していただけで、きっとその場しのぎのごまかしにしかなっていなかったんだね。いや、本当は気づいていたのかもしれない。意地や恥ずかしさが邪魔をしてたんだと思う。もっと話してほしかった。でもそれはお互い様か。

『相手のしたいようにしたい』

それはわたしにとっても同じだったよ。だから二人して馬鹿みたいに言葉足らずだったのかな?

わたし、当時は全部が嫌になっていたの。何時に帰ってくるのかわからないのも、なにを作っても「美味しい」って言われるのも、遅い時間に酔っ払って帰ってきても「仕事だから」って言われたらなにも言い返すことができないのなんてわかってたから何も言わなかったし、くれるって言ったお金もどうせ次の日には覚えていないと思ったから何も言わなかったよ。そのくせにこっちが酔っ払った時の発言には敏感なのも、読書の邪魔をされるのも、セックスをしたがるくせに自分からは何もしないのも、どこに行くのにも付いてこられるのも、家が二個あるのに毎日こっちに帰ってくるのも、この曜日だけは一人にしてって約束すら守ってくれなかったのも、全てに疲れちゃったんだ。当時はただただ一人の時間がほしかったよ。気が狂いそうだったんだ。

もっと自由な時間がほしかった。なんだかあなたの全てが嘘ばっかりな気がして、一人でいる時にも、本心がわからないあなたのことを考える時間があまりにも長すぎて、だからいても、いなくても、一人の時間だと思えなくて、それがなにより苦痛だったんだと思う。

寝てる間にさ、あなたは叫ぶんだよ。それは言葉になっていない時もあれば、時には罵倒するような時もあって、本当はムカついてたのかなぁとか本当はきっと全部嫌なのかなぁとか、考えてもわからないし、聞いても「幸せだよ」って言うし、わかんないよ。そのせいかはわからないけれど、今ではすっかり寝言の癖はわたしにも移っちゃったらしい。わたしの場合はストレスが溜まっていたら叫ぶとかではないから、あなたもそうだったらいいな。

わたしのためにわざわざ家を借りてくれてさ、だからこそ出ていくのも悪いし、でもそこに居るのも悪い気がしてさ、ChatGPTに相談したよ。「あなたが決めることです」って言われちゃった。だから決めたよ。わたしがいてあなたが幸せかどうかがわからないのなら、わたしも我慢しながらそばにいるべきではないと思ったんだ。

もらう金額でしか愛情を図れなかったわたしのことを、それでも愛してくれた人は過去にはたくさんいて、それが愛じゃなかったとは思わない。でも、こんなわたしでも歳をとるにつれて不思議と良心とは芽生えるもので、自分よりもお金がない人からはもらうのを辞めた途端に、みんなわたしから離れていったんだ。

わたしこんな生き方しか知らなくて、ううん、本当は知ってるの。きっと本当はもっと上手に生きられると思う。良心、美学、道徳、倫理、全てを無視すれば、たぶん昔みたいに稼げるよ。だけどもう芽生えちゃったものは仕方がないし、せっかくそんな今の自分の事を前よりかは好きになれたのに、それなのに前よりも愛されなくなって、逃げるようにホームレスになったんだ。だってお金が無ければもらうことへの罪悪感も減るし、簡単なんだもん。そんなずるい考えすら全部知りながら、それでもわたしを拾ってくれて、愛してくれて、本当にありがとう。

ベッドがない所に住んでいた時、買ってくれてありがとう。使えないくらいペラペラの安っぽいガウンも一応ありがとう。業者かと思うくらいの大量の大麻リキッドに関しては本当にありがとう。あれはこれまでの人生の中でも一番嬉しいプレゼントだったかもしれない。そして、わたしのためにわざわざ家を借りてくれてありがとう。なによりも財布に三万円を常に入れてくれていたね、ありがとう。

それがあなたなりの愛だったのかはわからないけれど、それがあったおかげで今を生きています。それがあって、今の自分を形成しています。きっとこれからもだよ。

でも本当はもっとお金がほしかったんだ。財布に入れてもらっていた三万円も、ほとんど食材にしか使ってなかったよ。今さらになってお金がほしかったとか言うくせに、渡されたお金を断ったり、PayPayだって時には受け取らなかったのに、きっとあなたには理解不能だよね。

何にもしてあげられないのにお金だけもらうのは悪い気がしちゃって、でもあなたはなにも言ってくれないから、なにかしてあげられることも見つけられなかったんだ。

そばに居なくなってからも、いつでも戻ってきてもいいと言って鍵をくれて、二回ほど送金もしてくれたね。そのおかげで猫もわたしも今でも元気だよ。本当にありがとう。

たくさん助けてくれたのに、なにも助けてあげられなかったなぁ。辛いことも嫌なことも相談してほしかったな。でも余裕がなさそうだったわたしにはきっとできなかったよね。でもね、わたしも初めはあなたと居たくて、自分で選んで一緒にいたんだよ。他にも選択肢はたくさんあったと思う。だからこそ、せめてわたしはあなたの本当が知りたかったの。

それに比べてわたしは相談してばっかり、泣いてばっかり、そのくせに拒絶してばっかりで、なのにあなたは全てを受け入れてくれて、だから全てを見せちゃったんだ。きっと隠し事をするのだけが悪いわけじゃないよね。全てを曝け出されるのも、それはそれで辛かったのかなと、今はそう思います。

今では、もう泣く事も前に比べたら少しは減ったよ。相変わらずお金はないし、しんどいこともたくさんあるけれど、辛くなった時にはいつもあなたからもらった一番嬉しかった言葉を思い出す事にしているの。

あひるちゃんは少数派だけど、頭おかしくなんてないんだよ。


今思えば、大麻リキッドよりも素敵なプレゼントだったのかもしれない。あなたにそう言ってもらえたから、ここぞという時にわたしは間違ってないんだって思えるようになったよ。自分が間違っていないと思うことを、少しは貫けるようになったよ。

みにくいあひるの子と同じで、みんなと違うことに劣等感を抱く必要はないんだって、周りと違っていても、そのことで周りから見下されていても、馬鹿にされたって、それが間違っているわけじゃないって、教えてくれてありがとう。

わたしね、あなたの言葉のおかげで自分が思う『正しい』を信じることができるようになったよ。今いる場所でたまたま少数派だったとしても、この世界にはあなたみたいな人もいるってわかったから、もう流されたりなんてしないよ。一人ぼっちだって戦えるようになったよ。自分のこと、胸を張って大好きだって、最低なんかじゃないって、頭おかしくなんてないんだって、そう思えるようになったよ。

だからもうわたしのことは心配しなくていいんだよ。きっと立派な白鳥さんになるからね。遠くから見ていてね。

わたしは事実として結局あの家から逃げ出したのだから、本当はあなたのこと好きじゃなかったのかもしれないね。何度も好きって言ってしまってごめんなさい。一生一緒だよって約束したのも、ごめんなさい。

でもね、猫がいるご飯屋さんも、黒門市場も、チャンネルハウスも、あなたとの思い出でいっぱいだよ。あなたが居てくれたから、今のわたしがいるんだよ。

だから、いつの日かわたしがあひるちゃんから白鳥さんになれたらまた会いましょう。どちらかが死ぬまでにまたどこかで会えたら、一生一緒って約束も守ったことになるのかな?

なにか困ったことや助けが必要になったら言ってね。その頃に羽が生えてたら、飛んでいくから。

最後にほんの少しの意地悪くらいはさせてもらいます。「さようなら」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?