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セフレのきゅうりが腐っていた話。

セフレと一泊二日の旅行に行き、帰ってきた日の出来事です。たくさん遊んで疲れながらも、帰り道にスーパーマーケットに寄りました。

僕のセフレは生肉が好きすぎるがあまりに生の豚挽肉を食べてしまうほどなので、そこそこお値段のする牛肉ときゅうりと卵を買って、いつも僕が作っているユッケ風のものをご馳走してあげようと思ったのです。旅行先で行った焼肉屋さんのユッケがたまたま品切れだったということもありました。

そこそこお値段のする牛肉を選び、カゴに入れた後「家にきゅうりはある?」と僕は聞いた。彼女は「こないだ買ったやつがあるよ」と言いました。

家に着くと、彼女はいつものように買ってきたスーパーの袋を冷蔵庫に入れずに放置して、愛犬を少し可愛がった後、犬が来れない高さのベッドに避難をし、うとうとしていました。

きっと旅行でたくさん歩かせてしまったので、疲弊しきっていたのだと思う。

彼女の家の愛犬は、構って欲しい時に構って貰えなければ、吠えるし噛みついてくる。その犬がなんだかセフレに似ていて、僕にはそれがとても愛しかったのです。

昔から僕は素直に感情を出せる人が好きです。嬉しかったら笑う。腹が立ったら怒る。悲しかったら泣く。そんな犬と、そんなセフレでした。

彼女に放置された犬はいつものようにきっと寂しくて、構って貰う為に吠え、噛み跡が残るほどの力で僕の手を噛んできました。

僕は昔から手だけは綺麗だと褒められてきたのですが、そんなことも全く気にならないほど、愛しかったです。

仕方がなく抱いてやると、いつものように思いっきり顔を舐めてくれました。少し臭かったけれど、やっぱり可愛かったなぁ。

綿毛のようなふわふわの毛も、少し血走ったように見える真ん丸のお目々も、僕に少し似ている下の歯並びも、たくさん嗅いだお腹の匂いも、絶対に一生忘れないと思う。

そんな時にふと、初めてこの家に遊びに来た時の事を思い出しました。僕はその日、こいつの事を羨ましいと思ったのでした。

犬は何の役にも立たないばかりか、トイレすらシートで出来やしないのに、家で待っているだけで彼女からご飯をもらえて、自分が外に出掛けたいだけの欲求で好き勝手に暴れたら散歩に連れていってもらえる。そして気に入らない事があれば噛みついて、彼女に撫でてもらえるんだ。

ですが、この時の僕にはもうこいつの事が羨ましいとは思えなくなっていました。2日近くも彼女の帰りを待っていたはずなのに、これだけしか構ってあげないんだ。そんな風に思った事を覚えています。

セフレと言うと少し紛らわしいので、ここで少し説明をしておきます。

彼女と出会ったのはホストクラブで、シャンパンを入れて貰った事も何度もありますし、その後お店を飛んだ後には現金を貰った事もあります。

ホスト時代に、お客さんに急に切られた時には、泣いている僕を抱きしめてくれました。

初めて会った日にプレゼントしたとっくに枯れている花を、いつまでも飾り続けてくれています。

時には、風呂に入るのが嫌いな僕の髪の毛を洗い、乾かしてくれました。

大切な友達が、たまたま二人同じ日に自殺未遂をした9月11日、大きくも小さくもない胸の中で、泣いている僕の頭を撫でてくれました。

セフレであり、僕の飯でした。客って呼び方をしたら、きっとあいつは嫌がるからね。

実は今回旅行に行ったのは、もうこの人との関係を終わりにしようと思ったからでした。


自分で言うのも少し恥ずかしいのですが、彼女はきっと僕に依存しているのだと思う。昔から人に依存されるのは苦手です。

搾取するだけの寄生虫である僕に依存して、一体何になるのだろう。馬鹿な女だなぁ。と思うのと同時に、形は歪んでいても人を真正面から愛する事が出来る彼女と、利益のみでしか人と繋がれない自分を比較して、そんな自分が消えたくなります。

何度も関係を切ろうとした事はあったけれど、今回こそ本当に全てを終わらせようと思いました。

『もう終わりなんだな』と、身を引くタイミングをもはや染み付いてしまった肌の感覚で感じました。こんな自分にも嫌気が刺します。

だって、彼女が不幸そうだから。そして自分も、彼女と居る事で何故か無性に腹が立って仕方ないのです。そして毎晩この人の事を考えるだけで涙が止まらなかったのです。

だから最後に一つくらいでも、この人との約束を守っておこうと思い、かなり前々から約束していた旅行に行ってきたのでした。

僕は今まで何度も作ってきた、最後のユッケ風のものを作ろうと、そこそこお値段のする肉の表面を強火で焼き、そして肉を予熱で休ませている間にきゅうりを細切りにしようとした時、気が付きました。

そのきゅうりは完全に腐っていたのです。カビみたいなものも生えていました。

ベッドでうとうとしている彼女に「このきゅうり腐ってない?」と聞くと「腐ってないと思う」と彼女は眠たそうに、いつもの鼻にかかる声で言いました。

その腐ったきゅうりを見て、僕は悟りました。

自分はこのきゅうり同様にとっくに腐ってしまっている事、彼女はいつまでたってもその事に、気が付かないのだと。

なるべく勘違いをさせるような発言はしなかったつもりなんだけどなぁ。

僕が女性を養う事はおそらく今後もないと思うし、お金やセックスが目的以外で女性と会う事もきっとないです。

僕はもうあなたと出会う前からずっとこういう人間でした。元々腐っていたんです。

だから、期待されることも、正そうとされることも、否定されることも、とにかく腹が立ちました。

僕がいつか変わってくれると期待される事が怖かったです。僕がいつか彼女を助ける立場に廻ることが怖かったです。そしてなによりも、腐っている僕なんかが彼女の人生を奪う事が怖かったです。

でも、もう今の生き方も、染み付いている腐った性根も、今さら変えられないよ。

知っていますか?一度腐ってしまったモノは、冷凍しようが、加熱調理しようが、もう元には戻れないのです。

彼女の、当たり前の感情を当たり前に表現出来るところが好きでしたが、何故か段々とそれにも耐えられなくなってきてしまっていました。

ホスト相手になぜか嫉妬したり、本気で泣いたり笑ったり出来る。彼女は出会った時から、結局何も変わらなかった。

ですが、僕だって何も変わっていないつもりです。何度も何度も一応説明はしました。自分が粗悪品であることを。

女性からお金を貰えなければ関係を保てない事、一人の女性だけを愛する事が出来ない事、もうとっくに、僕は腐ってしまっている事を。

なので、嫉妬されるたびに腹が立ちました。これが仕事なんだから仕方ないじゃん。僕だってヒモの分際で彼女の仕事の邪魔は出来ないから、口にしないだけなのに。本当は僕以外の誰にも触れてほしくなかったのに。

目の前で泣かれるたびに腹が立ちました。僕だって本当は毎日のようにあなたに見せないように隠れて泣いているのに。

「死にたい」や「眠れない」や「寂しい」と言われるたびに、僕は苛立ちから彼女を怒鳴りつけるか、もしくは自分の腕を切りつけるようになりました。

鬱病で、不眠症で、ボーダーの僕は、そんな彼女の吐く言葉の全てに苛々していたと思います。彼女の助けてほしい気持ちも、寂しい気持ちも、解らないわけではなかったです。

ただ、助けてほしいのも、眠れないのも、寂しいのも、全部僕だって同じ気持ちだったんだよ。

「あなたがいないと眠れない」と少し前まではお互いに言い合っていたはずなのに、今では僕は彼女のLINEをブロックしなければ眠れなくなってしまいました。

ただの一通のLINEのたった一つの言葉にすら腹が立ち、テレビを殴って壊したり、家の壁を殴って穴を開けたり、彼女がしつこく掛けてくる電話機を壊したりもしました。

人を支える余裕も、人を助ける余裕も、僕には全くなかったのだと思います。

そんな事を繰り返すうちに、もう彼女と関わりたいとは思えなくなりました。

そして、それは彼女にとってもきっと同じです。僕さえ居なければ、僕が消えれば、寄生虫ごときの戯言に一喜一憂する必要がなくなるからです。

これ以上この人と居ると、相手も自分も壊れてしまうと思いました。僕が自ら切った二の腕はただの擦り傷程度ですが、僕の睡眠不足はもうこの時には限界だったと思います。酷い時には幻覚まで視えました。

僕は人とのお別れはあまり得意ではありません。それが一瞬でも、永遠でも。だから別れ際に抱き合ったり、キスをするのも苦手です。名残惜しくなってしまうから。普段から、なるべく向こうが寝ている間に静かに家を出たい人間です。

結局、ユッケ風のものはきゅうりなしで作り終えました。そして今日で最後と決めたこの日、静かに服を着てそそくさと家を出ようと思ったのに、帰る音を察知したのか僕の方に寄ってきて、彼女は玄関で僕の足にしがみついてきました。別に今日が最後なんて、一言も言っていないのに。

なんだかそれをとても哀れに感じるのと同時に、やっぱり何故か腹が立ちました。結局エレベーターの前まで見送りにきましたが、その事にも無性に腹が立ちました。

その後、すぐに彼女から一通のLINEがきました。

「わざわざご飯を作ってくれたのに寝落ちしちゃってごめんなさい」


きっと「眠れない」と言われるたびに僕が怒ってきたからでした。

「眠れない」や「死にたい」や「寂しい」と言われる度に怒ってきたのは僕です。

でも、そんな事で怒る人間だと思われた事は少し悲しかったし、本当にこの関係はもう終わりにしなければいけないのだと痛感しました。

今現在も、彼女は「ずっと待っているから」なんて言っています。本当に馬鹿な女です。

僕の家の付近には、今年二度目のキンモクセイがたくさん咲いています。それを彼女に直接伝えたい気持ちを押し殺しながら、彼女を忘れる為に安定剤をアルコールで流し込む毎日を送っています。

僕は彼女と一緒にいてもいいのでしょうか?それは彼女にとって幸せなのでしょうか?

答えは未だに出ないままですが、今日も僕はキンモクセイの匂いをなるべく嗅がないように、少し遠回りをして、息を止めながら、早歩きで、歩き続けます。

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