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鬱病

僕は今思い返せば子どもの頃から周りの子達よりも精神面が弱く、睡眠をとるのが下手な子どもでした。遅刻や欠席も特に多い方で、夜になかなか寝付けずに「寝ないで行こう」と思い、朝方に眠くなり夕方に目が覚める、そしてまた夜に眠れない。そんな事ばかりを繰り返し、まるで死んだように生きてきました。

寝ようとすればするほど、寝れなくなってしまうんですよね。今でも入眠は少し苦手です。

そんな僕ですが、睡眠導入剤なしでは完全に眠れなくなってしまったのは今年の夏でした。

「精神科ってどんな服を着ていけば良いんだろう?」

呑気にそんな事を考えながら支度を済ませたにも関わらず病院に向かうタクシーの車内ではなぜか震えと涙が止まりませんでした。

たぶん怖かったんだと思います。今まで騙し騙しで何とか誤魔化してきた自分に、ついに正式に異常者のレッテルを貼られるみたいに感じてしまって。

『鬱病ですね』

そう言われた瞬間に涙が止まりませんでした。理由は今考えてもわかりませんが、悲しい訳でもなくむしろ少しホッとした気持ちだった事を覚えています。特に何を思う訳でもなく、ただ目頭が熱くなってきて気づいたら涙が溢れていました。

『僕は鬱病なんですか?』

何故かそう聞き返した自分がいました。先生は即答で「うん」となんの悪びれもなく言いました。

あの日の事は一生忘れないと思います。

複雑な気持ちでした。別に今に始まった事ではないという気持ち、そして自分が今日から精神病患者と認める事がなんだかとてつもなく大きな事のような気がして。

帰宅して、薬を服用すると久し振りによく眠れました。頭が軽くなり、楽しい事にも目を向けれるようになりました。この頃はTVを見ると吐き気がしたり大好きな曲を聴いてもなにも感じなかったのですが、今ではだいぶ回復しました。

処方された薬はブロチゾラムとエチゾラムでした。

睡眠が出来るようになってからはだいぶ楽になりましたが、服用していくうちにだんだんと記憶力と思考能力の低下を感じ始めるようになりました。

投薬していた期間が3か月くらいですかね?そこから僕は断薬という道を選びました。

お酒をよく飲むし、はやく職場に復帰したかったので。

エチゾラムは『不安な時に飲むお薬です』と書いてあったので僕は「2秒毎に飲めって?アホかよ」と思って服用することはあまりありませんでした。

断薬が始まり、また眠れない日々がしばらくは続きましたが周りのみんなの助けもあり、最近ではやっと薬なしでも眠れるようになってきました。

完治したとは思っていませんが、精神的にも前よりは安定したのかな?と自分で思える程度には現在は回復したと思っています。

そして、僕が鬱病になった経験から思うのですが、よく鬱病の人に対して、周りはこうしてあげよう!みたいなのあるじゃないですか?あれって何か変です。

『鬱病は甘え』

なんて間違った知識を振りかざしてくる人は無視すれば良いとして、それよりも問題なのは鬱病だからといって鬱病じゃなかった時の僕と今の僕は別人ではないって事です。

そもそも、僕が自分で精神病を認め、自ら病院に行ったので診断されただけであって、いつから僕は鬱病なのか、いつまでは鬱病じゃないのかの境目なんて曖昧で、人の精神の事を他人が分かる訳がない。

それこそ病院の先生にだって、わかる訳がない。人の気持ちなんて誰にも見えないのだから。

僕の素人知識で正しいのかは解らず申し訳ないのですが、科学的には『鬱病』とはセロトニン、ノルアドレナリン、ドーパミンが足りていないらしいです。

なんだそれ?って感じです。

僕が実際になった経験から言うと症状としては「身体が重い」「三大欲求がなくなる」「焦燥感、不安」「妄想」「自己否定」でした。

でもこれって鬱病じゃなくとも、起こり得る事だと僕は思っています。

僕自身、鬱病と診断されていますが、本当に自分が病気なのかはわかりません。自分でもわからないんです。だから他人にわかる訳がないと思っています。

『鬱病は甘え』とあんまりにもガミガミ言われると、なんだか流されてそんな気もしてきてしまう時もあります。

でも例えば失恋や、大切な人が他界してしまったら食事は喉を通らず不安になり自分を否定したくなると思います。悲しい出来事が起きたらきっと誰でも、みんなそうなんです。

目の前の景色から色彩が薄れて、胸がソワソワして落ちつかない。あの気持ち誰もが一度は味わった事があるのではないでしょうか?

実際に鬱病と診断された僕ですら、僕は僕が鬱病かどうかなんてわかりません。目に見えないのですから

誰にもわかりません。

それでも鬱病患者は実在します。何度も言うようですが鬱病は甘えではありません。

15人に1人が生涯に1度は鬱病にかかってしまう可能性があると報告されているらしいです。

そして鬱病患者さんは年々増加しており、2008年には鬱病と躁鬱病とあわせて100万人以上になったとすら言われているのです。

100万人以上です。

僕はこの数字を見た時に、逆に安心しました。鬱病は特別な事でも、異常者でもなんでもないんだなって少し思えました。

どうか、僕のことを異常者だと思わないでください。

ただの病気なんです。絶対に完治させてみせます。

生きていれば辛い事があって、悲しい気持ちになって落ち込んでしまうのは当たり前の事であって、それは裏を返せば過去が幸せだったんだな。と最近はそう思えるようになりました。

最初から不幸だったら、現在を悲しむ事もないと思いました。裏を返せば、不幸がなければ幸せも感じられない訳であってそう考えたらとても楽になりました。

そして今回の記事で1番伝えたかった事は、僕は今めちゃくちゃ幸せだって事です!

noteをきっかけに、精神病である事を公言してから少しのことでも周りの人に心配を掛けてしまっています。

気にかけてもらえるのは正直少し嬉しかったりもするのですが、同時にとても窮屈に思ってしまうんです。

「悲しい」「助けて」「寂しい」

なんて言葉がなんだか言いづらくなってしまいました。心配を掛けてしまうんじゃないかって思って。

でも、断薬も無事に進み今は元気になったよ!
だからもう心配はいらないです。

どうか普通の人として扱ってください。欠陥がたくさんあるのは自覚しています。

普通に「辛い」と言いたいです。たまには「死にたい」なんて言葉も吐いてしまうかもしれません。

でもそれが普通の僕であり、病気だからという理由でそんな発言をする訳ではありません。

悲しかったら泣いて、腹が立ったら怒ります、悔しかったら愚痴をこぼすかもしれません、不安な時には他人に迷惑を掛けてしまうと思います。ですが、

僕が僕を病気だと思うことは、やめにしました。

そしてこんな湿っぽい文章を最後まで読んでいただいて本当にありがとうございました。

心配はいらないけれど、暇な時にでもたまには構って貰えると嬉しいです。人間に飢えています。少し寂しいです。僕は病気でもなんでもなく、ただ少し寂しいだけです。みんなからの連絡楽しみにまっているね。

長文、駄文失礼しました。

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