乙女の装い①

わたしはまあ平均点くらいの顔立ちである。

可もなく不可もなく

ブスまでいうとかわいそうな

努力を加味して及第点に及ぶくらいの顔である。

内面から出るはつらつさでカバーしているのだ。

高校の頃、わたしの卒業アルバムを見た同級生に「笑顔が完璧だね」と言われたことが

妙に真に迫っているなと感じて

ずっと忘れられない。

天真爛漫だねとよく言われるけど、それよりも、

けなげだと思う。

やかましい話だけど

少しだけ聞いて欲しい。

保育園児のころ、おゆうぎ会で鶴の恩返しを上演することになった。

年長さんのときなので、物心がつき始めた頃のことだ。

わたしはどうしても鶴の役がやりたかった。

主役であり、トゥルトゥルの羽を身にまとい、全身で己の可愛らしさを表現できる役だったからだ。

たかが保育園児のおゆうぎ会なのだがオーディション的なものがあって

人気の役は、その役に合う園児を先生が決めるのだ。

わたしは結果……

おばあさんの役になった。

黄色地に#のマークがついた忍たま乱太郎みたいな着物を着て

栗みたいな頭をつけ目がくりっとした、幼児らしい元気なおばあさんだった。

それはそれで愛らしい姿だったと思う。

だけど、身内的かわいさと世間が認めるかわいさは違う。

鶴の役に抜擢された女の子は、すらっと背が伸びてツインテールをしている、モデルさんみたいな子だった。

鶴の妖艶さまで醸し出し(言いすぎた)、
にこにこした笑顔が全大人を虜にする

それはもうかわいい鶴だった。

そのときはじめて

トゥルトゥルの羽と白タイツが様になる子って限られているのだと思った。

ここでわたしは完全な敗北感に打ちひしがれる。

と同時に社会に出るときに卑屈に振る舞ってしまう癖がついた。

なにかを希求するとき、まずそれにふさわしいかどうかを考える。

そうじゃないとき、それらしくならないようにふるまう。

かわいくないバイアスがかかったわたしは、
次第にそう考えることもやめた。

かわいいと思われることがふさわしくないと脳みそがインプットして

女の子っぽくすることがとても恥ずかしいと感じるようになった。

小学生に上がると、一年中半袖短パンを履いている

小学生の頃1人はいた元気スタイルを誇示する小学生になった。

この続きは、次の記事で。

つづく



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