呪いを綴る話②

さて、そんな日々を過ごしていた僕に一つの転機が訪れます。誰もが体験するあの、受験期です。僕はその当時特に行きたい大学もなく、学力もせいぜい真ん中くらいだったので進路をなかなか決められずにいました。そんなある日の帰り道、ふと思い立ちます。「そうだ!せっかくなら自分の行きたい道で生きよう!声優を目指そう!」あまりに突然すぎます。いくら前から興味があったとはいえ京都に行くノリで進路を決めるんじゃありません。そしてその足で家に帰り、親にそのことを伝えます。
当然、反対されました。そしてその時、一つの天啓が舞い降りたのです。そっか!なれないならしゃあない、もうこんな世界に用はない。死のう!確かにやり残したことはいっぱいあるが仕方がない。次の自分に任せよう!こう決めてからの判断は鱗滝さんに褒めちぎられるくらい早かったです。痛くない方法なんだろうなーと考え、まず定番の屋上から飛び降りを考えます。僕が通っていた学校は屋上があるにはあるが、普通は行けないところでした。なので、ずっと行ってみたかった屋上にも行ける、そして死ねる。一石二鳥です。日付は悩みに悩んで12月31日に死のうとしました。大晦日に死ぬってかっこよくないですか?そう、そんな私は厨二病。ただ、念のため保険をかけておこうと思いました。その時思いついたのが、カフェインでした。当時の部活の先輩に一人カフェイン中毒みたいな人がいて、よくモンスターとア●ゾンで買ったカフェイン錠剤を飲んでイキってました。彼がある時、1000mgとって生死の境を彷徨ったわwと言っていたのを思い出し、なら2000mg取れば確実に死ねるんじゃね?と思い、すぐにア●ゾンで件のブツを取り寄せました。死ぬ時に使うまで使わないぞと届いてもウキウキドキドキしていました。
31になりました。昼に死んではダサいと思い、夜になるまで待って、家を出ました。学校に向かって。学校は、閉まってました。そりゃそうです、年末年始に学校開いてたらブラックすぎます。少しのショックを受けてきた道をとぼとぼ戻り、カフェインの死に場所を探し、公園に行きつきました。公園のベンチに座り、道路を行き交う車や人を見ながら、僕は今どう見えてるんだろうなんて緊張しながら、残ると恥ずかしい履歴や写真をいっちょまえに消して。
最後に、実父にごめんねと送り、カフェイン10錠。2000mgを飲み込み、ベンチに横になりました。


結論から言うと、失敗しました。確かに気分の悪さは多少あるものの、死を感じることはない。そして何より公園が寒い!!!!!その段階で僕の覚悟は冷め、寒い中少々の具合悪さをひきずりながら家に帰りました。そして自分の部屋のベッドに横になり、そこから、生き地獄が始りました。
当時僕のベッドは弟と共同だったため二段ベッドで、僕は上のベッドに寝ていました。瞼を閉じた数十分後、吐き気と、ものすごい腹の痛みに目を覚まし、耐えられなくなった僕はその場で、ベッドに吐きました。そして声も出せずに、腹の中で暴れる痛みにうめきながらいつの間にか瞼を閉じる。それが一晩中、1時間に一回ごと吐いて、呻いて、また気絶する。もう腹の中からは胃酸しか出ませんでした。皆さんは、胃酸と一緒にベッドで寝たことはありますか?それはまさに生き地獄で、情けないながら母を呼んでいました。憎んでいた母を。滑稽です。しかし声が届くことはなく朝になり、耐えながら、一回のキッチンにおり、吐きながらも母に打ち明けました。自殺を試みたと。知ってました?胃酸って吐きすぎるとオレンジになるんですよ。まあ泣かれましたね。結局僕は、休日夜間診療所に連れて行かれ、ことなきを得ました。
 さて、この自殺未遂を行ったことで僕に二つの変化が現れました。一つは免疫がめちゃくちゃ上がり風邪すら引かなくなったこと。そして、カフェインに対してアレルギー反応が起こるようになり、カフェインを摂取できなくなったこと。もう一つは、しょっちゅう、見える世界が歪むようになったこと。勿論光の屈折で見える世界はなんら変わりありません。但し副次的に地獄絵図が見えるのです。道ゆく人の顔が、電柱が、あらゆるものが歪んで見えて、自分の耳元で、死んでしまえ、壊してしまえ、殺してしまえと呪詛めいたものが聞こえるようになりました。気が狂いそうでしたよ。自分の生活の選択肢に「自殺」が増えたことでちょっとしたことでそれに揺れるようになりました。
それを克服したのはここ1、2年ほどの間です。とてもいい人たちに恵まれました。
 

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