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芸術アンテナ

私には、私の「芸術アンテナ」の役割を担ってくれている友人がいます。

というのは、烏滸がましさにも程のある言い方で、当人に言わせてみれば、勿論「芸術アンテナ」なんてつもりはなく、ただ良質と思った映画や展示会、芸術についてを、健気に私へ共有してくれているだけの話なのですが、彼女の紹介で堪能する芸術は、いつも驚くほど見事で、私を(大)満足たらしめてくれます。
電車や駅を滅多に利用せず、情報収集能力も欠落した私にとって、かけがえの無い、こよなき友人です…。

そんな彼女から紹介されて、先日鑑賞して来ましたのが、【マン・レイのオブジェ 日々是好物|いとしきものたち】という展覧会です。
千葉県佐倉市に所在する、DIC川村記念美術館にて、1月15日まで特設されているようです。
端的に、常設展も含めてとても素晴らしい展示会でしたので、お好きな方は滑り込みで是非!


美術館という場所が、そもそもとても好きです。

日々を性急に暮らしていると、一つの事象について穴が開くほど見詰め、思考してみたり、自分も知らない自分の精神で、他者との会話を試みたり、そういう、あり得ないほど「ギュッ」とした、時間概念の無い世界線から、遠退いてしまうものです。

だからこそ、芸術に出会い、張り詰めた心に小さな穴をプスっと、刺し求めるようなひとがあちこちに存在する訳ですし、芸術がひとを救う、という事が、実は時にとても理論的であると私は思います。

お恥ずかしながら、マン・レイさんという芸術家を、私は存じ上げませんでした。
代表作品等についても認識しておらず、信頼し過ぎている友人からの誘いだった事もあり、下調べもそこそこの状態で、当日を迎えました。

表題化もされていますが、マン・レイ氏は「オブジェ作品」を多く生み出した芸術家で、絵画や写真なども多く出展されておりました。
中でも、写真家としての腕は抜きんでていて、その道で自身の経済を潤した時期もあったようですが、とにかく芸術家として存在する事に重きを置くが故、「写真は芸術ではない」という思考から、商業的な撮影依頼は断ってきたのだとか…。

作品と作品タイトルが、どこか相まみえない中に、ダダイスト感がメリメリひらいていましたし、作品説明も凄く美しい文体で、作品本体以外にも見どころ満載でした。

彼について、恐ろしく不勉強ですし、何を感想しても一般人の、およそ的外れな解釈しか閃きませんので、文章化は防ぎますが、作品ひとつひとつの凄味、唯我がけたたましく響く、素晴らしい展覧会でした。
私は単純に、彼の作品をとても好き好んだ、という事です!(ポストカードをたっぷり買い込みました。)

アイロンの熱し部分に鋲を羅列して貼り付け、「贈り物」とタイトルしたオブジェ作品。

(元)恋人の背面・腰部分に、バイオリンのf(髭のような)のマークを書き、女性を楽器と見立てる(?)かのような写真作品。

メトロノームの重し部分に、これも(元)恋人の眼の写真を括り付け、テンポを刻む(動く)度に、目が開閉するような仕組みを取り入れたオブジェ作品…

作品を言葉へとまとめて仕舞えば、明らかにクレイジーが突出する作品と響きかねないのですが、自分の想像を自分の現実にて創造し、落とし込む才能があったとしか私には信じられず、それを生業とするに至ったすべての境遇と経緯について、大歓声を送りたい気持ちになりました!


「無頓着、しかし無関心でなく」

という彼の口癖が、彼の墓石に彫られているのだそうです。
シンプルに、凄くいい口癖だな、と、身が解れました。
私も小さく前述した通り、情報収集に疎く、無頓着である訳ですが、本当は願って、そうあるようにしている気がします。

余りの情報を頼り過ぎると、苦しくなるのは自分だと、どこか経験しているから。

けれど、決して無関心でいたい訳ではない。
これは本当にそう思っていて、ちゃんと知って、価値のあるものに出会い尽くし、有意義に生きていきたいと、厚かましくも祈っている訳なのです。
だからこそ、信頼の友人伝てにて、このような素晴らしい展覧会に足を運ぶ事が出来ました。


日々是好物。
言葉で書くとシンプルに意味を発揮しますが、芸術家や創作家に於いて、はち切れんばかりの日々の祈りなのでしょう…!

またいつか、「芸術アンテナ」が私に幸いした日には、ご報告させて下さい。

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