アニクラファウンデーション

アニソンクラブイベントはいつアニソンクラブイベントになったの?

アニソンクラブ(DJ)イベントと一括りにしていますが、現状は大きく2つ
・原則アニソン等のA-POPカルチャー系ジャンルで構成され、原曲が主流
・テクノやエレクトロ、ハウス等他ジャンルに加え、アニソンも勿論ある
でざっくりと分けられるんじゃないでしょうか。

まあどちらも「アニソン(音楽)+DJ+コスプレ+パーティー」という構成要素のいずれかを含んでいて、アニソンの比重差の違いであり、もちろん優劣なんてバカバカしいことを言う気も言う意味もないです。

いきなり横道に逸れてしまいました・・・

話を戻すと、今多く開催されているアニソンクラブイベントについては、まずは2008年開始のヲタリズムに辿りつけると思います。
クラブで開催・基本原曲アニソン・1コーラス・曲被りなし・コスプレあり
近年開催されてる、いわゆるアニクラと呼ばれるイベントは、これらのヲタリズム要素を含んでいるんじゃないでしょうか。

では後者はどうでしょうか?
代表的イベントとして、ちへさん率いるリアニを挙げさせてもらうとして、そのルーツは2007年のGEKKO NIGHT(ゲッコーナイト)ではないだろうかと考えます。
元々がアニメ『エウレカセブン』をコンセプトに、同作品内でも多用されたテクノなどグルーヴ感のある音楽性に重点を置き、いいものを貪欲に取り入れる自由度の高さは、まさにクラブイベントの面目躍如といったところでしょう。

さて、ではこの2つ以前はどこに繋がっているのでしょう?
アニソン、DJ、コスプレ、ダンス

この4つのキーワードから出てくるのは、まずはコスプレダンパというジャンルのイベント形態ではないでしょうか。
ダンパについて軽く説明すると、アニソンとユーロビートとハイパーテクノの3ジャンルで構成され、振り付けで踊るディスコスタイルを基本としたコスプレダンスパーティーです。
80年代後半に黎明期があり、90年代初期~中期に現在行われているダンパの基礎、CDJ(当時はDNシリーズ)の導入、1コーラス、曲被りなし、のスタイルはほぼ完成したと思います。

90年代の格闘ゲームブームに合わせてコスプレブームは拡大し、これに呼応するかのようにダンパも規模を大きくしていきました。
90年代末には、コスパを始め、大型の企業系ダンパが首都圏を含め、全国の大箱で開催されました。覚えてるだけで、六本木ヴェルファーレ、芝浦GOLD、新宿リキッドルーム、新宿CODE、神楽坂ツインスター、渋谷O-EAST、六本木yellow、川崎クラブチッタなどなど。

しかし2000年代初頭、このコスプレブームも終焉を向かえ、ダンパは下火となりました。ここからダンパは生き残りをかけて独自進化の道を選択することになります。ノウハウの独自さ故、そうするしかなかったとも言えます。意図せず外界との交流はほぼ消滅したといっていいと思います。

ここで疑問が出てきます。

そこで切れるなら、2000年代後半の、アニソンクラブイベントにどう繋がっているのでしょう?そこでダンパ以外の流れが気になります。
2000年代前半に始まったイベント(団体)といえば、
 2002 クラブラバーズ
 2003 AVSS
 2004 オタククロニクル(※懐古系原曲)
とりあえず自分が知っているのはこの3つで、ミッシングリンクを明らかにするには、このあたりを調べるのが有効かもしれません。
人物としては、特に後藤王様やDa/Leさんは超が付くオタクでありつつハウスやテクノなどにも詳しく、彼らのパーティーにはそれらが必須要素でした。
そしてもう1つ、WIREという電気グルーヴの石野卓球さん主催で99年に始まった日本最大のレイヴイベントの存在も大きいのではないでしょうか。
※自分はハウス・テクノ系のクラブイベントにはほとんど行ってないので、こちらの潮流は先述のお2人やちへさんなどに聞くのがよいと思います。
※電刃/DENPA!!!(2007~)も外せない重要なイベントだと思います。


実は途切れたように見えただけで、人も歴史も続いています。実際2000年代に始まった上記のイベントは長く続き、たくさんのお客さんにその楽しい体験と記憶を種子のようにばら撒きました。

文化の伝播は直接だけではありません。
・アニソンのみを使ったDJプレイというディスコスタイル亜流のダンパ
・WIRE等のレイヴやクラブスタイルの流れが見えるDJイベント
イベントを主催したたくさんの人達が80年代90年代の音楽文化、クラブシーン、様々なカルチャーや遊びに影響を受け、自分の中で混ざり合い、経験を重ねることで解釈し昇華した結果、「偶然」生み出されたのがアニソンクラブイベントじゃないでしょうか。

偶然と書きました。しかしこれは偶然と言う必然でもあります。
細々とまでは言いませんが、知る人ぞ知る的な遊びだった両者がミックスされ、2007~10にかけて、なぜこれほど爆発的に広まったのでしょうか?
時間収斂:バックノズル
代替可能:ジェイルオルタナティブ
これを感じずにはいられません。

これについては、上手く説明できる気がしません。
偶然と必然と環境と状況が一度に揃ったのです。
2006~2008の間に、飛躍的にネットが高速化、PCの値段がリーズナブルになり、ニコニコ動画やmixiもこの時期に誕生しました。
同時にハルヒやらき☆すた、アクエリオンやグレンラガン、コードギアスやマクロスF等、クオリティの高い、アンテナ感度の高い若い世代が夢中になるだけではなく、90年代のアニメキッズが大人になり、ニコ動きっかけで再びアニメを観始める、謂わば大人の鑑賞に堪え得る作品がコンスタントにリリースされるという、凄まじい状況です。

そしてニコニコ動画という、紙媒体ではなく新しいネット動画というアクティブ且つインタラクティブな手段を用いることで、音楽・ダンス・コスプレが簡単に表現可能となりました。しかも同時期に東方と初音ミクの爆発的ヒット。

どれか1つの要素が欠けても今のようなアニクラは生まれなかったかもしれない。

innovateとevolutionとalterationが同時に来たんです。
歴史の転換期的Dynamic Transitionだったと。

これがあったからこうなった等の不可逆の関係性からは読み解けない、何か彼我縁起のような不思議な感覚。環境が状況を変え、状況が環境を変化させる。

超脱線しました。

アニメやアニソンやダンスやコスプレという文化熱量が蓄積されたタイミングでのエウレカ、ハルヒ、らき☆すた、グレンラガン等を始めとするアニメクオリアをTVではなくネットがその役目を果たし、音楽というベクトルで一本化することにより再構成される先にあったモノ。

今はヲタリズムやリアニメーションを体験した、当時お客さんとして参加してた人がDJやオーガナイザーとなり、また新しいイベントを初めています。

アニメで育った世代のアニソンDJから生まれたアニソンクラブイベントという種子が楽しいという風にのって広がり、世界に色鮮やかな花々を咲かせることを願って。


※DJ WANという個人の経験と観測範囲から見た内容です。コスプレダンパからのアプローチが強く、クラブサイドは弱いため、そちらは多くは言及していません。
※旧ブログから加筆修正

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