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昭和セピア色のこんなハナシ ep 01.「校舎の窓から見えた工事中の東京タワー、完成が待ち遠しかった」の巻。

鉄骨が少しずつ継ぎ足されて、「ハ」の字のように

小学校は、この界隈の高台にあった。児童数も徐々に増え、木造二階建ての校舎が増築されて数年後。

二階の教室の窓から見える景色の先に、東京タワーの工事が始まった。周辺には遮るものが無く、聳え立つ完成前から見ることができた。

ここからでは、さすがに土台部分は見ることはできないけれど、十数メートル位の高さまで工事が進み、丁度、「ハ」の字のように見え始めたときは、クラスの全員が歓喜し、工事が進むのを愉しみにしていた。

鉄骨を継ぎ足していく鋲打ちの音も、風の向きによっては良く聴こえたものだ。カンカンカン・・と。

ちなみに鋲打ちは「鳶(トビ)」というベテラン職人の華麗なるワザで成り立っている。鋲とは、およそ800度に焼いたリベット鋲のことだ。火鉢の中でリベット鋲を真っ赤に焼いて、長い鉄箸で摑み、10~20m先の職人に投げ送る。待ち受ける職人は、柄のついたバケツで真っ赤に焼けたリベットを受け取り、鉄骨の穴に差し込みハンマーで叩き潰して固定し、鉄骨をつなぐ作業を繰り返す。

あの、東京タワーの鉄骨の「イボイボ」は、現在のようにヘルメットや命綱(安全フック)など装着することもなく、職人たちの途方もない十数万個のリベット鋲打ちという、命がけの死のキャッチボールによってなされたのだ。

いつしか、四角く飛び出た部分が高く伸びたハの字の途中から見え始め、「あれ何だろう?」と騒いだりしたものだ。そう、それは展望台だった。

少しずつ伸びてゆくタワーを日課のように眺めながら、完成が待ち遠しかった少年・少女たち、楽しくも美しい思い出は忘れまい。

着工(1957年6月29日)から、わずか1年半(完成1958年12月23日)、延べ22万人の作業員らによって完成したのだが、言うまでもなく、事故で亡くなった犠牲者を忘れてはならない。


最後までお付き合いいただきありがとうございました。

良い一日に感謝。

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