2020.4.29 10万円はよ

いやぁ10万はよほしい。

なんかここ最近、人生について考えるんだが、考えるだけ意味ねえ気がしてならねぇなぁ。

会社がどうなろうと、金がなくなろうと、結婚もせず建設的に人生をステップアップできなかろうと、

なんかどうにでもなる気がする、というか、どうにもならない気がしてならねぇ。仮にすべて上手く運んだら、その先は?どうにもならんのよ。心が打ち震えるような感動を味わうとか、人の尊さ・ありがたさを味わうとか、そういうことを胸に生きていければ他になにかいるのだろうか・・・


と思うと非常に気楽だなぁ~~!!ってことに気づいた。

成功も失敗も、どうということはないよなぁ。



ところで、

TOHO(当方)、占いの類の話を全く持って信じていない。科学が世界を席巻するようになった現代、その化けの皮は剥がれつつあるようにも思う。

しかし2020になってもなお、一定数信じている人というのは存在する。そこの信じる信じないの差は何なのかなぁと考えてみるとしよう。

近しいところでいえば実父、これも何だか知らんが占いが好きなんだわ。

ここまでの言い方でお察しの通り、TOHO(シネマズ)、自らが占いを信じていないうえに、信じている人を少し敬遠がちなところさえある。良くないとは思うが、心理的距離を感じるのは正直な気持ちとしてある。

その「差」についてだが、信じている人はおおかた共通して、占いが当たるといったことを経験によって知ったから信じているのだと思う。

そう、「うわほんとに当たった!すごい!」→占いは当たる、正しい。と繋がっているのはまぁ当然と言えば当然のメカニズム。経験したことだから信じる。

ん~~これがやっぱダメ。
経験は偏った知識の定着になりかねないというのを意識できていないと、なんというか、ダメなんだよ。
俺はできた、できなかった。こんなことはその時その条件下で起こった一事象なのであって、その後の普遍性になんて到底結びつけていいものじゃないんだよ。

占い師が震災を予言していた?言ってもいない家庭環境を言い当てた?
だから全てが見えてて正しい?

正気の沙汰とは思えん。
経験が与えた知識だけで知ったように生きてる大人(年齢ばかり上がってしまった人)をいくつ見てきたことか。
自分もそうならないように生きたいものだ。


結論、占い🔮
今後とも信じません。







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