2020.4.30 終末の月末
自分の見た目が美しいというのは、誰からの賛辞がなくとも生きていて心地がいい。
今は肌の調子が最悪に近く、生きた心地もしない。生きているのだろうか。
哲学的ゾンビっていう言葉が昔から好き。
考えた人は天才だよなぁ、バイオハザードやっててピンと来たのかな?
「物理的化学的電気的反応としては、普通の人間と全く同じであるが、意識(クオリア)を全く持っていない人間」が定義とのこと。
痺れるね〜。知性でブン殴ってくる煽り方。
TOHO(当方)、これに近い言葉としてNPCというのをよく使っている。
ノンプレイヤーキャラクター、すなわちゲームにおいて出てくる操作性のない街の人のようなもの。
人生をゲーム世界と位置付けたときにめちゃくちゃしっくりきて、それ以降多用するようになった。
こういった考え方は、自分の頭の中をシンプルにするためにもかなり重要なものだと思う。なにせこの世界の全ての人が自我を持って、思考活動を止めることなく、今も世界が蠢いているんだなんて。
頭がパンクしそうになる。
驚くような攻撃的神経を持った人間の奇行種に遭遇すると、「思考活動をしていてこんなことになる訳がない!」と思うのだ。
あらかじめストーリーに起伏をつけるためにプログラミングされただけなのだ。
神の中にもゲームクリエイターは絶対にいる。すべての占いは出任せでも、これはいるんだよ。
多分そいつは神無月にも普通に在宅なのだろう。
あとは本当にマップが殺風景にならないためだけに配置された同じキャラモデルのNPCがパラパラと生きている。
とたん群衆となって大騒ぎや炎上騒ぎをしているのも、おそらくストーリー上のフラグを立てて所定の位置に戻ったことで開始されたムービーの一つにすぎない。
こうなってくると心がスッと軽くなる。
自分が好きに生きて良いような気がしてくる。
好きなようにゲームを楽しんだら良いだけ。
それが人生なのかな、と。
だからオンラインゲームってそんなに好きになれないのかな。
全キャラがプレイアブルに蠢く世界、非常に疲れる。
リンクスターート!!(第一層の中ボスでヘグって死)
キリトくんんん(遅いよぉ〜…スゥ〜)
なんちゅうオチやねんこれ。
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