少年の日の思い出

今でこそ虫が嫌いでマンションのエントランスに転がっているセミを見て飛び上がる私であるが、10年と少し前は平気で虫を鷲掴みにする子どもだった。特に小学3年生のとき、同じクラスに虫博士の男の子がいたので毎日のようにその子と公園へ行っていた。カブトムシやクワガタはもちろん、カマキリ、キリギリス、バッタ、カエル、ザリガニ(虫か?)に至るまで捕まえまくりであった。そしてその時期の一部の子どもたちと同様に、虫たちにとってはあまりに残酷な人間だった。

カブトムシ、クワガタ、ザリガニは比較的穏やかな生涯を過ごしていたように思う。甲虫類は2匹を向き合わせて戦ったりしないかと観察はしたが、無理にデスマッチを始めさせることはしなかったし、ザリガニはちゃんとペットショップでアカムシを買って与えていた。ちなみにこのアカムシ、性質上冷凍庫でしか保存できず母が悲鳴をあげていたのだがそれはまた別の話。
カエルについては、色のついた水に一時期住まわせて弱らせたことがある。飼っていたカゴに水性絵の具で色をつけた石を入れており、当然のようにそれが水に溶け出したのだ。当時の私は「カラフルな石の元で暮らせたら楽しいだろう」と完全に善意からせっせと毒を含んだ石をカゴに放り込んでいたのである。これに関しては母にしこたま叱られ、水を取りかえ、カエルはしばらくそこで生きた。その後死んでしまった時も、土に埋めた記憶がある。私は決して全方位に残虐的な人間ではなかったのだ。

しかしながらカマキリ、バッタ、キリギリスの類は別だった。虫取りにハマるよりも前に、カマキリのお尻からハリガネムシがぬるりと滑り出るのを見て以降、私の中でカマキリというのは観察対象であり可愛がるペットではなかった。そのあたりは当時小学3年生だった虫博士の彼も同じだったようで、カマキリを取ってきた後に入れる場所は空の500mlペットボトルであった。そこに閉じ込めて上の方に空気穴を開ける。即席虫籠だ。とはいえカマキリはペットではないので基本的に観察が済んだら離してやる。観察で何をするかといえば、バッタやキリギリスをそこに入れるのだ。カマキリにとっては降って湧いた餌、キリギリスたちにとっては降って湧いた災難である。カマキリがバッタやキリギリスを捕食する様子を、私たちは飽きることなく眺めていた。カマキリは器用にカマで相手を捕まえると、腹側を口元へ持っていく。その部位が柔らかいことは、キリギリスを捕まえた私たちもよく知っている。柔らかいところから食べるのか、と驚き半分納得半分の気持ちだった。そしてムシャムシャと(本当にムシャムシャとしか形容のできない食べっぷりだった)捕食した後、足は残してしまうのだ。カマキリの食事シーンは、虫が虫を食べているにしては美味しそうな光景であった。あまりにも勢いよく貪るものだから、私もそのキリギリスの腹の柔らかさを知ってみたいと思ってしまったほどだ。なおこの願望は1年と少し後、学童でイナゴの佃煮を食べたことにより実現する。肥えすぎた桜エビを食べているような食感だった。そして足は硬すぎて噛みきれず、当時のカマキリが足を残した理由に遅まきながら深々と頷いた。これはいわゆる骨で、食べられる部位ではなかったのだ。

虫たちへの懺悔というのは初めてしまえば限りない。きっと人生でマジの迷惑をかけた人間の数よりも、好奇心から殺した(あるいは殺しかけた)虫の方が多い。今地球上でテラフォーマーズみたいなことが起こって虫が突然巨大化したら102番目くらいに狙われるのが私、そういう感じである。真っ先に狙われると思うほどの烏滸がましさはない。

今はもう虫に触ることすら考えられないし、YouTubeが気まぐれに出してくる虫の動画も薄目で「おすすめに表示しない」ボタンを押している。というかYouTubeで飯の動画見てる時におすすめで虫の動画出されるの私だけ? ムシとメシで一文字しか違わないから? バカか? まあ、そんな話はいい。そんなすっかり虫嫌いになった私は、このところマンションのエントランスに現れるニイニイゼミに怯える毎日を送っている。去年など入り口で3度のセミファイナルを食らい、個室でセミと1人と1匹にされるのが怖すぎてエレベーターを放棄し、向かった階段先で2匹のセミに強襲を受けた。これも幼い頃に虫を蔑ろにした呪いだろうか。この規模の呪いを数十年にわたってかけられてやっとあの頃のキリギリスやバッタたちの恨みは晴れるのかもしれない。だとすれば向こう四十年くらい、セミファイナルを受け続ける覚悟である。


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