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8/30「声出し」の法と道徳

昨日(と言ってもジャニーズのアレが放流される前だが)このツイートがネット上で物議を醸していた。

このツイート自体のツッコミどころ満載ぶりには他の人も書いているので触れない。それに自分の興味は特にアンジュルムのような現場「盛り上げたい古参」と「新規」がどのように共存するかにある。それに関して、林拓郎さんがこんなことを書いていた。

これは確かにその通りである。「盛り上がりたい」人は周りに一言ことわりを入れるのが礼儀であろう。そして林さんはその後でこのようにも言っていた。


これもその通りだと思う。そしてそういう人たちが何故「面倒くさがる」かと言えば、「拒絶されるのが怖い」からであろう。おそらくそれまでの人生で周りの人に拒絶されてきた経験が重なり、他人に「お願い」することが極端に下手になってしまっている。なのでそういう人にとってハロプロの現場のようなところは、わざわざ「お願い」をしなくとも思いのままにできる貴重な場なのだ。

一方「お願い」された側にも断る自由はある。ただし、その際の態度や口調は不躾なものではなく、礼節を踏まえたものであるべきだ。そうでなければ頑張って「お願い」した側がさらに拒絶経験を重ね、ますます「お願い」が下手な人になってしまうからである。

そんなわけで、自分は以下のようにすべきだと思う。

①声を出したい人は周囲に一言「お願い」をする
②「お願い」をされた側はそれを断ってもよい
③断られた方は声を出してはいけない
④お願いをする時の態度は口調は、礼節を踏まえたものにすべき
⑤これを断る際も同上

以上のうち、①-③は「法」である。明文化がなされ、これを破った場合には退席など何らかのペナルティが課される。まあ実際には会場前のアナウンスを徹底するなどしておくだけで十分だろう。それだけでも、普段なら無遠慮に声を出すような人たちへの大きな抑止力になる。上述の通り、ことわりなく無遠慮な態度をとりたがる人たちほど、実は周囲に拒絶されるのが怖いからだ。

一方、④-⑤は「道徳」である。礼節云々は明文化が難しく、お互いの主観によって大きく左右されるものだから、法的なペナルティを課すことは難しい。なので人々が緩く共有する規範=道徳として設定しておくのが一番だと思う。

さて、そんな話を仲間内でしていたところ、ある人から「以前隣のヲタクから不躾な物言いで『お願い』をされ、嫌だったけど怖くて断りきれなかった」という話を聞いた。自分は一応「相手が不躾にお願いをしてきたのなら、こちらも容赦なく(そんなに礼節とかも気にせずに)断ってよい」という話をしたが、多分そういう人にはそれも難しいのだろうな、ということは思った。

上述の「法」と「道徳」を設定した場合、「怖くて断れない」人たちが怖い思いをする確率はグッと減るだろう。だが、完全にゼロにはならない。完全にゼロにしたい場合には、「大声禁止」を「法」にするのが一番なのだろうと思う。ちなみに自分は現場で声を出す人間ではなく、「大声禁止」が「法」になったところで構わない。ただし、そういうことが続くとじわじわと困ったことになるのでは、ということは思う。今の世の中では「少数者決」の原理が働きやすいからだ。

「少数者決」の原理とは、世の中のルールは一番不寛容な人に合ったものになりやすい、というものである。たとえば家族が4人いたとして、一人が肉が嫌い、一人が肉が好き、二人は肉でも魚でもどちらでもよい、ということであれば、その家族の夕食は魚になってしまうことが多い。「声出し」の件で言えば、自分は個人的には声を出さないが、他人が大声を出しているのは気にならない。私のように「どちらでもよい」人は結構多いはずである。そして「個人的には」別に大声禁止でも構わないと感じるだろう。

だが、「お願いされて嫌な思いをするのが怖い人」の権利が、「礼節を踏まえた『お願い』が出来て声を出したい人」の権利に優先されることは果たして公正なのか、という疑問は残る(これはそれが「間違っている」と自分が確信しているというより、まだまだ議論の余地がある、という話だ)。そして自分が確信を持って言えるのは、

①「他人に礼節を持ってお願いする」というコミュニケーション上達の機会が奪われる人が出てくる 
②「礼節を欠いた『お願い』に対しては断固として断る」という勇気獲得の機会が奪われる人が出てくる 

ということである。つまり二つのタイプのコミュニケーション弱者からコミュニケーションスキル向上の機会が奪われてしまうことになってしまう。そういうコミュニティというのは、口を開けば不躾な物言いしかしないような人と、こちらが何かを言う時には必要以上に気を遣わなければならない人ばかりのコミュニティということになる。そういうコミュニティに所属することは「個人的にも」嫌である。

そんなわけで自分は特に声出しをする人ではないにもかかわらず、「礼節を伴った声出し」を規範となすことを推奨する次第である。そして「礼節を伴った声出し」の好例として、劔樹人氏の見聞録を以下に付すことで本日の結びとしたい。

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