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「黒い白鳥」の行方〜Juice=JuiceとBEYOOOOONDSを「反脆弱性」から考える〜

はじめに:BEYOOOOONDS恐るべし

2023年に入って「TWO OF US」がスタートして以来、Juice=JuiceとBEYOOOOONDSの共演機会が増えるようになった。自分はアンジュルムとJuice=Juiceを主現場にしているヲタクだが、そんなわけで今年は自然とBEYOOOOONDSのパフォーマンスを目にする機会が多くなったのである。

考えてみると、Juice=JuiceとBEYOOOOONDSは非常に対照的なグループである。このnoteでも何度も論じている通り、Juice=Juiceはその歌唱力によって観客を圧倒することを宿命づけられた正統的なパフォーマンスグループだ。一方のBEYOOOOONDSはそのノベルティ・ソングに織り込まれる寸劇、様々な特殊技能を備えたメンバー、グループ内「ユニット」の存在と、かなり変則的な作りのグループである。その意味で「TWO OF US」の「C」グループの組み合わせはとても相互補完的で曲のバラエティにも富み、個人的にはアンジュルム+つばきファクトリーの「B」グループよりも楽しむことが出来た。

ところで「TWO OF US」にはお互いの持ち曲をシャッフルするコーナーがあったのだが、両グループの対照性が大きいCグループではこれが特に見所となった。Juice=Juiceは寸劇入りのノベルティ・ソング、BEYOOOOONDSは正統派の歌唱曲を歌うことになるわけで、両グループの普段見られない側面が見られることになったのである。たとえばJuice=Juiceによる「眼鏡の男の子」はグループの半数近くを占める関西人メンバーによる関西弁アレンジが付け加えられるなど、回を追うごとにアドリブが加速し、メンバーがこの趣向を心から楽しんでいるように感じられたものである。

と、ここまではあくまで余興の範囲内の話であるが、自分が瞠目したのは2月も後半に差し掛かった頃、大阪城ホールの「Girl's Castle」に両グループが招かれた時のことである。先に出番を迎えたのはBEYOOOOONDSの方だったが、彼女たちのパフォーマンスの迫力に自分は度肝を抜かれた。もっともこの日は、ハロプロのグループにとって初の「声出し解禁」の現場ということもあって、観客席は最初から異様な昂揚感に包まれていた。そうした会場の熱がメンバーに伝わったということはあるのかもしれない。だが、それにしてもこの日のBEYOOOOONDSの「圧」の強さは、そうした精神的作用だけでは片付けられないものがあったのだ。「芸は細かいがパフォーマンスの線は割と細いグループ」というBEYOOOOONDSに対する印象は、この日を境に完全に吹き飛んでしまったのである。「王道」グループのJuice=Juiceとツアーを続けてきた成果か、ということを一瞬考えもしたが、当時まだ発展途上の過程にあったJuice=Juiceも、「圧」においてBEYOOOOONDSに負けているのではないか、という印象すら抱いた。つまり、切っ掛けが「声出し解禁」の昂揚感であれJuice=Juiceとの共演であれ、それを奇貨となす形でBEYOOOOONDSというグループが地道に培ってきたものが一気に噴出したのではないか、ということを思ったのである。

もっとも自分はアンジュルムやJuice=JuiceのようにはBEYOOOOONDSというグループを観察してきたわけではないので、その辺りの経緯について解像度の高い形で論じる自信はない。ただ、傍目に見てもはっきりわかったのは小林萌花のダンスパフォーマンスと里吉うたのの歌唱力の向上だ。それぞれ音楽とダンスの「スペシャリスト」として加入した二人は、元々は一点突破型の「T字型」人材であった。ところがこの二人は各々の苦手分野を克服し、いわば「π字型」になりつつある一方、元々ジェネラリストだった高瀬くるみや山﨑夢羽らのパフォーマンスの迫力もぐっと増した。以前にも論じたが、グループアイドルというものはメンバー一人一人のスキル向上が、「足し算」だけではなく「掛け算」でグループ全体の底上げに繋がる。そしてそうした全てが絡み合い、ある切っ掛けで噴出する瞬間というものがあり、それこそがグループアイドルの面白みなのである。

でか美祭りで見えたBEYOOOOONDSの強靭性と脆弱性

そんなわけで推しグループというわけではないが、「BEYOOOOONDS恐るべし」というのは2023年上半期最大の発見だったのだが、先日、そんな自分にとって絶好の機会が訪れた。でか美祭りへのBEYOOOOONDSの出演である。共演者には和田彩花楽曲の主力作家の一人奥脇達也が牽引するアカシック、堂島孝平との共演曲「てんてん」も記憶に新しい奇才眉村ちあき、歌合戦の審査員にはお馴染み大森靖子とゆっきゅん、見事な「I WISH」でレジェンドぶりを見せつけた矢口真里、アンジュルムのヲタク内でも人気の高い空気階段、そしてお馴染み劔樹人氏がバンマスを務める「でか美ちゃんwithメガエレファンツ」という強力な布陣である。これは行かない手はないと、真っ先に申し込んだ。

ところが会場入りする頃に凶報が届いた。平井美葉と小林萌花がコロナ感染のため欠場するというのである。思わず自分は天を仰いでしまった。よりによって痛すぎる「飛車角落ち」だと感じたからだ。

まず平井美葉は総合力の高いジェネラリストであり、BEYOOOOONDS随一と言って差し支えないカリスマ性の持ち主である。たとえば「ニッポンノD・N・A」は、冒頭での平井による「玉音放送」がなければ成立し得ない楽曲だ。確かにノベルティ・ソングではあるが、コントというのものは、たとえそれがシリアス劇であったとしても成立しうるだけの力を持った役者が演じなければ笑えない。そして「玉音放送」で国民に語りかける役回りに違和感を感じないレベルのカリスマ性を持ち合わせているのは、BEYOOOOONDSでは平井しかいないと思うのだ。今回のような外部向けのフェスでは、「ニッポンノD・N・A」のようなブチ上げ曲は確実にセトリに入れてくるだろうから、平井の役回りを誰がやるのかというのは大きなハードルになるはずである。

一方、現在の小林萌花がグループ内で担っている「特異点」としての役回りはもはや論をまたないものがある。今のBEYOOOOONDSは、彼女の鍵盤パフォーマンスに依存する楽曲があまりにも多く、それらを全て避けるとすれば楽曲の多様性が著しく落ちてしまうに違いない。そして今回のような外部イベントにあって、初見の観客に対して確実に爪痕を残せる最強の「飛び道具」の不在は、BEYOOOOONDSにとって大きな痛手になってしまう。

ただ、そうしたどう頑張っても替えの効かないパートを除き、二人の不在をグループ全体としてカバーするBEYOOOOONDSの底力については、自分は全く不安を覚えなかった。そして蓋を開けてみればBEYOOOOONDSは期待通り圧巻のパフォーマンスを見せてくれた。特に目を引いたのは里吉うたのが見せた裂帛の気迫であり、おそらく唯一のSeasoningS出演者として、他の二人の分もという意気込みがあったのだろう。だが一方で、とりわけ小林萌花欠場の影響はどうしても隠しきれないものがあった。オープニングの「アツい!」をはじめ、本来小林の鍵盤パフォーマンスがステージ上でも重要な役割を担うはずの楽曲は全てカラオケ音源のみとなった。もっとも、本来「ほのピアノ」がないはずの「Hey! ビヨンダ」で清野桃々姫がAIダンスの代わりにシンセを爪弾いていた演出は「ほのピアノ」オマージュとして粋だったと思う。ただしその代わり清野のAIダンスが見られなかったのだから、結果的にはプラマイパラッパーどころかやはり収支はマイナスだったのではないか。つまりグループ全体としては欠場者二人の穴を十二分にカバーできる底力があるのだが、特に小林に関して、それも彼女が鍵盤に向かう場面において、その技能があまりに特殊しすぎて替えの効かない存在であることが明らかになったのである。

BEYOOOOONDSと反脆弱性

さて、アメリカの数学者にして哲学者であるナシム・ニコラス・タレブの著作に『反脆弱性』という本がある。言葉の使い方としては、「非」脆弱(Unfragile)ではなく、「反」脆弱(Antifragile)である点がポイントだ。「非」脆弱だと、「脆弱」ではないもの全般、たとえば「強靭(Robust)」も含まれる。予測不能な事態に遭遇した時にダメージを受けない、あるいはダメージを最小限にとどめる性質が「強靭性」だ。たとえば平井美葉と小林萌花の不在を、グループ全体のパフォーマンスとしては見事にカバーしきった今回のBEYOOOOONDSは強靭さを備えていると言えるだろう。強靭さというのは言わば「防御力の高さ」なのである。

一方で「反」脆弱という言葉の「反」には、何らかの反作用という含意がある。そこには予測不能な衝撃に対する防御にとどまらず、その衝撃波を利用してカウンターパンチを食らわす攻撃性が含まれてくるのだ。たとえば株価の大暴落を利用して大儲けするトレーダーや、台風の日にやってくるというと伝説の大波を利用して夢の波乗りを試みるサーファーのイメージである。そしてBEYOOOOONDSに話を戻せば、BEYOOOOONDSは平井美葉と小林萌花の欠場という「台風」に耐えることは出来たが、それを利用して大波に乗るところまでは行かなかった、というのが自分の印象である。

たとえば山﨑夢羽が代役を勤めることになった件の「玉音放送」のパートについて考えてみる。無論、実力者である山﨑夢羽という人選は順当であり、手堅いものだったと思う。あそこですぐにああいう人材が出てくるというのは今のBEYOOOOONDSの「強靭」さが表れている。だが前述の通り、平井があのパートを任される理由は彼女の実力だけではなく、そのカリスマ性にもあるのだ。そのカリスマ性はBEYOOOOONDS随一のものであるからして、本来彼女の代わりなどは誰にも務まらないはずだ。だが、あの日あの場所には、平井と小林の欠場によって発奮する里吉うたのがいたのだ。すなわち平井と小林萌花の欠場がもたらした最大の「反作用」を利用し、平井パートをあの日あの場所の里吉に任せることで、平井のカリスマ性に匹敵する最大瞬間風速を得ることができたのではないか、ということをどうしても思ってしまうのである。

そうした運営側の反射神経の鈍さは、BEYOOOOONDSのグループとしての安定性と表裏一体という気もする。BEYOOOOONDSは譜久村聖リーダー期(2019年7月以降)のハロプロにおいて、OCHA NORMAを除けば唯一の、メンバーの出入を経験していないグループである。よく言えば安定しているが、悪く言えば波乱に対する耐性が低い、あるいは言葉を選ぶならその対応力は未知数ということになる(実際、グループの波乱に際して何を口にし、どう振る舞うかにそのメンバーの真価が問われると考えている自分にとっては、BEYOOOOONDSメンバーの人となりは実のところ未知数である)。

もっとも同じメンバーでじっくりと研鑽を積んでいくことには、グループの「強靭性」を高める効果もある。ところが本当に「強靭性」だけを追求するにしても、BEYOOOOONDSの運営には一歩足らないところがある。たとえば今回小林萌花の不在に際して端的に表れていたように、メンバーの特殊技能に対して必要以上に依存しているのだ。このことは平時にあっては他のグループよりもパフォーマンスの多様性を高める変化球として機能する。だが有事においては強靭性を損ない、脆弱性を招くリスク要因にもなっているのである。

理想的な「バーベル戦略」

トレーダーとしても優秀な実績を残しているタレブによれば、最も効果的な資産運用はローリスク・ローリターンな金融商品とハイリスク・ハイリターンな金融商品を組み合わせることだという。しかも上記の図のように左右に異なった重りをつけるバーベルのように、前者に85%程度、後者に15%程度のロットを割り振るポートフォリオ編成が望ましいのだという。予測不能な金融危機などが訪れた時、後者を全て失ったとしてもリスクヘッジできるだけの前者の最小値が85%程度で、期に乗じて資産を大幅に増やしうる元手としての後者の最小値が15%程度ということになる。

さて、再びBEYOOOOONDSの話である。BEYOOOOONDSのポートフォリオには、既に小林萌花という「ハイリスク・ハイリターンな債権」が組み込まれている。彼女はその特異な立ち位置によってBEYOOOOONDSの地平を大きく広げてくれる存在であることが、ここ最近の対外進出やビヨフォニックによって証明されている。その一方で彼女があまりにも「替えの効かない」存在であり、有事の際にはリスク因子にすらなってしまうことが今回のでか美祭りで明らかになったのだとすれば、運営のやるべきことは「資産ロットの再編」なのではないか。たとえば小林への依存度が25%くらいとするなら、それを15%くらいに落とせばいいのでないだろうか

それは具体的にはどういうことなのか。たとえばノベルティ・ソングの比率を減らし、王道曲の比率を増やすことなのだと思う。ノベルティ・ソングはどうしてもメンバーのキャラクター性に依存せざるを得ず、とりわけ「アツい!」や「ショパン先輩」などでは小林萌花を欠く時のリスクがあまりにも大きすぎることが今回よく分かった。一方で最新曲の「夢さえ描けない夜空には」はおそらくBEYOOOOONDS史上初と言える正統派のメッセージソングであり、小林という媒介項を通してBEYOOOOONDSの地平を大きく広げた一曲であるが、当の小林はオーケストラと一体化していて、思いのほか彼女の「キャラクター」に対する依存度は低い。また冒頭こそ「りかみよ」のキャラクター性に依るところが大きいものの、曲全体としてはBEYOOOOONDSの「チーム力」で見せる作りになっており、彼女たちの培ってきた強靭性が十二分に活かされていると言える。BEYOOOOONDSの強みの一つは寸劇要素にあることは確かだが、幸いにしてコロナ禍も一段落し舞台公演も軌道に乗りつつある今、音楽は音楽、舞台は舞台と、ある程度切り分けた形で追求していった方が、BEYOOOOONDSの活動の幅が広がるのではないかということも思うのである。

また、BEYOOOOONDSは集団プロデュース体制下にある(モーニング娘。以外の)ハロプログループでは珍しく、野沢トオル一人の作家性が強いグループであるが、「夢さえ描けない夜空には」は野沢からの独立性の高い児玉雨子の作詞になっている点もポイントであろう。野沢一人が悪いということではなく、一人の作家性に依存することは出来不出来の当たり外れという意味ではリスクが高く、どうしても「脆弱性」が高くなってしまうものだ。その点、BEYOOOOONDSももう少し集団プロデュース体制を強めた方が、その「強靭性」は高まるのではないかメンバーのバラエティ(多様性)を見せるために楽曲が「バラエティ番組」ばかりになり、かえって楽曲のバラエティ(多様性)を損なっているのも、BEYOOOOONDSの弱点の一つである。そうしたことどもを踏まえれば、やはり「夢さえ描けない夜空には」はBEYOOOOONDS史のターニングポイントになりうる楽曲なのである。

Juice=Juiceの反脆弱性

さて、ここまで「BEYOOOOONDSのJuice=Juice化」というところから話を深掘りしてきたが、植村あかり体制下のJuice=Juiceでは逆に「Juice=JuiceのBEYOOOOONDS化」とも言うべき傾向もゆるく見受けられた。世代交代の過程でスキル的に発展途上なメンバーが増える中、以前よりもメンバーの特殊技能やキャラクター性にスポットを当てていく必要性に迫られたのかもしれないが、その中で小林萌花と同じ特異点としてのポジションを獲得したのが有澤一華である。TWO OF USでは小林のピアノと有澤のバイオリンが共演を果たし、5月の武道館公演では「Future Smile」でのバイオリン演奏からよりアドリブ的な展開を見せつけて客席を魅了した。有澤は寸劇仕立ての「イニミニマニモ」MVでは入江里咲とともにW主演を果たした。「POPPIN' LOVE」での入江の台詞などもその一環と考えれば、この二人は「Juice=JuiceのBEYOOOOONDS化」の牽引者と言ってもよい(なお入江は川原崎Pから「ドラマに起用するなら入江さん」と言われているほど寸劇向きのメンバーである)。

ただしこのグループでは長い歴史の中であくまで正統派の歌唱曲を望むファン文化が確立していて、最近では久々に真っ向勝負のパフォーマンス曲となった「プライド・ブライト」MVが、あっという間に「イニミニマニモ」MVを抜き去って100万回再生を達成したことも記憶に新しい。また、有澤一華のバイオリンにしても正式に音源化されているのは「Future Smile」一曲のみで、BEYOOOOONDSにおける小林萌花と比べればその依存度ははるかに低い。そう考えると「Juice=JuiceのBEYOOOOONDS化」とは、若いメンバーが成長してグループパフォーマンスの圧が閾値を超えるまでの幕間劇的なところも大きく、結果としてはあくまで飛び道具が一つ増えたという程度のものであろう。そして前述の「バーベル戦略」に照らせば、このバランスはここ一年のJuice=Juiceにおいてとても効果的に機能していると思われるのである。

ここ一年のJuice=Juiceには、ハロプロ内で最も「有事」に遭遇しやすい星のもとにあったグループだった。秋の武道館公演はメンバーのコロナ観戦で二月に順延となり、急遽決定となった川嶋美楓のグループ加入に際しては「みっぷるが本当に入りたかったのは娘。」という言われなき憶測を招いた。そして5月末の武道館公演後には有澤一華と入江里咲が負傷でパフォーマンス制限を強いられ、「FUNKY FLUSHIN'」MV公開の矢先には、曲の原作者山下達郎のジャニーズ絡みの炎上が勃発した。かつてのスマイレージ/アンジュルムほどの派手さはないのだが、「Juice=Juiceはいつもこうだ」とも言うべき波乱運に見舞われているのが最近のJuice=Juiceなのである。

だがこのnoteでも何度も触れている通り、そうした波乱運を逆手に取る「反脆弱性」を発揮し続けているのが最近のJuice=Juiceである。秋の武道館公演が2月末に順延になったことについては、その間にJuice=Juice全体のチーム力が大幅に底上げされたことで結果オーライとなったし、5月末の武道館公演では川嶋美楓に対して完璧なプレゼンテーションを示したことで、周囲の雑音に対する見事なカウンターパンチを食らわすことができた。また「FUNKY FLUSHIN'」については、ジャニーズ問題についての山下達郎のコメントに対する世間の耳目が集まった彼のラジオ番組で冒頭からON AIRされ、さらに「リードボーカルの方が変わったようで」という山下のトンチンカンなコメントに続き、山下がオリジナル版の「FUNKY FLUSHIN'」を流したことが、山下が「若手潰しの嫌味なおじさん」として批判される流れとなった。山下の意図がよく分からない状態でのそうした批判は牽強付会が過ぎるとは思うが、結果的にJuice=Juiceとしては「渦中の人に存在を周知してもらった上で同情票だけ集める」という一番美味しいところだけを持っていくことができた。

こうしたJuice=Juiceの反脆弱性の背景にはおそらく二つの因子がある。一つはJuice=Juiceがここ数年の世代交代(しかもその中には不慮のものが少なからず含まれる)を経て、「有事」に対して打たれ強いグループになっているということだ。とりわけ植村あかりは反脆弱性の権化のようなリーダーであるし、松永里愛もまだ若いながらに「反脆弱的であること」を自らの美学となしているところがある。特に川嶋美楓加入に際しては、植村と松永のしなやかなアドリブ性が大いに功を奏したことは他の記事にも書いた。また現在のJuice=Juiceには工藤由愛、有澤一華、石山咲良など、口を開けば何が飛び出してくるか分からないタイプのメンバーが増えたことも、グループの不確実性への耐性を向上させている理由の一つなのかもしれない。

そしてまた一方で、Juice=Juiceが正統派歌唱グループとしての「強靭さ」を着実に底上げしていることも大きい。二月の武道館にしても、三ヶ月の順延期間の間に彼女たちの総合力の底上げが間に合わなければ、あそこまで評価されるものはならなかっただろうし、「FUNKY FLUSHIN'」ON AIRで彼女たちが同情票を集められた理由としては、彼女たちのパフォーマンスが素晴らしいものだだったこともあるだろう。そして特に有澤一華の負傷に関して言えば、Juice=Juiceの有澤に対する依存度はBEYOOOOONDSの小林萌花に対するそれよりも低いため(つまりBEYOOOOONDSよりもチーム全体の強靭さで勝負するロットが大きいため)、小林の不在時に比べるとダメージをはるかに小さく抑えることができている。

BEYOOOOONDSとの比較という点で言えば、小林萌花のピアノや清野桃々姫のヒューマンビートボックスがグループコンセプトに基づいて人為的に埋め込まれたのに対し、有澤一華のバイオリンや井上玲音のボイスパーカッションは「たまたま加入することになったメンバー」の偶発的な副産物に過ぎないため(井上のボイパに至っては元々はこぶしファクトリーの遺財だったものをたまたまJuice=Juiceが継承したものである)、あらかじめ依存度が低く設定されやすいのかもしれない。小林のピアノはSeasoning(調味料)とは言え「カレー粉」なので無ければカレーを作ることができないのに対し、有澤のバイオリンはあくまで「七味」であり、それが無くても牛丼を作ることは可能なのだ

BEYOOOOONと伸びるバネの作り方とは

さて先ほど自分は、BEYOOOOONDSがメンバーの出入を経験してこなかったため、運営の「反射神経」が鈍っているのではないかということを書いた。しかし、だからと言ってBEYOOOOONDSに有事あれかしと望むわけにもいかない。何しろ不慮の「有事」は誰かの不幸を伴うことがほとんどである。また一方で、人為的に「有事」を作り出すようなリアリティショーめいたノリの弊害というのも、最近では散々取り沙汰されている。その意味で言えば、BEYOOOOONDSのプロデュースチームにはその手の前時代的ノリが若干残っていて、それが例の「こんなハズジャナカッター!」の歌詞にも表れている。

「私達どこに向かおうとしているのですか? 道が見えないのです!」
「せいや!」
「うっ…」
「うろたえるな汐里」
「道は探すのではない、作るものなのだ」
「その台詞私が言いたカッター」

こんな こんな こんな こんな ハズジャナカッター!
今では普通の曲じゃ 満足できない!
どんなもんだ これもいわゆるひとつの アイドルなんだ!
誰も見たことがない 唯一無二の存在!
変幻自在の凄いアイドル
想像以上にやり切るアイドルライフ マイライフ
思ってたのとチガッター!
「けど!」
逆にこれでヨカッター!

「こんなハズジャナカッター!」歌詞より

この曲の歌詞を見る限り、BEYOOOOONDSのプロデュースチームはグループの変則的な作りを通して、「反脆弱性の高いグループ」を人為的に作り出そうとしていることがよくわかる。その志を否定するつもりはない。だが、そのことがかえって「替えの効かないメンバー」を作り出し、有事に際してのグループの脆弱性を高めてしまっている。そしてまた反脆弱性を引き出す「有事」とは、プロデュース側が人為的に作り出し、自己言及的に「ネタ」にできる類のものではない。タレブ先生の言う通り、それまで存在すると思われなかった「黒い白鳥」がある日突然目の前に現れるように、人間が意図的に制御できるものではないのだ。だがBEYOOOOONDSのプロデュースチームは、リスクを回避してグループの安定を測りながら、反脆弱性だけを手に入れようとしているように見受けられる。それはポートフォリオにたとえるなら以下の図のようになるだろう。

BEYOOOOONDS運営陣の考える「バーベル戦略」

このポートフォリオでは、「ローリスク・ローリターン(グループ全体の総合力で支えるような王道楽曲)」のロットを減らし、その分を「中リスク・中リターン(メンバーのキャラクターや特技を活かしたノベルティ楽曲)」に当てている。ところがこの戦略でいくと、

⑴一見「ハイリスク・ハイリターン」よりはリスクが低いように見えるが、割かれたロットが大きい分。有事で失敗した時のダメージは大きくなることが多い

⑵割かれたロットが大きい分、有事で成功した時のリターンは大きくなるように見えて、実は「ハイリスク・ハイリターン」により小さいロットしか割かなかった時に比べても、トータルリターンは小さくなることが多い

つまり、案外リスクが大きい割に「大当たり」も出せず、じわじわとジリ貧になっていくのがこの戦略のお約束パターンなのである。とは言え、リスクへの恐怖と「大当たり」への助平心の板挟みになって、この戦略をとりたくなってしまう心理というのはよくわかる。だが、アイドルグループのプロデュースというのはプロの戦略仕事なのだから、この辺りの物事の機微には通じていてほしい。BEYOOOOONと伸びるバネを拵えたいのならば、強靭な土台をこしらえた上でしっかり伸びるバネを備え付けなければならない。薄くて不安定な土台に、中途半端にしか伸びないバネを備え付けたところで何の意味もないのである。

その点については、やはり模範となりうるのは小林萌花であろう。クラシック音楽とアイドルポップスの境界線に立つ彼女をハロプロ側から見れば、BEYOOOOONDSの地平を開闢するポテンシャルを備えた「黒い白鳥」である。だが彼女をクラシック音楽側から見れば、音大卒の素養という強靭な土台にアイドルポップスという反脆弱性のバネを備え付けた、「バーベル戦略」の見本のようなことをやってきた人なのである。そして彼女はそうした実績を盾に運営側への発言権を獲得しつつあり、BEYOOOOONDS武道館公演の舞台演出には彼女の意見も取り入れられているのだという。また最近では「優しい世界」というBEYOOOOONDSのスローガンが、小林をはじめとするメンバーの発案からヲタクに膾炙しつつある。ならばBEYOOOOONDSプロデュースのあり方もまた小林萌花の顰にならった方がよい。王道曲路線で強靭性のロットを大きくしつつ、トップダウンではなくあくまでボトムアップの形で、小林以外のメンバーの自主性をどんどん取り入れていくべきであろう。何しろ最もよく伸びるバネとはすなわち、プロデュース戦略の妙などではなく、メンバーたち自身なのである。

おわりに:黒い白鳥は飛び立つ

以上、BEYOOOOONDSというグループに対して、あくまで一介のアンジュースヲタである自分の思うところを述べてきた。この記事では改めて取り上げることはしないが、アンジュルムはJuice=Juiceに先んじて反脆弱性を身につけ、それをもはや自分たちの国是となしてしまっているようなグループである。つまり反脆弱性とは世代交代を繰り返しながら続いていくグループならば自然と身につけるものなのかもしれず、だとすれば今後のBEYOOOOONDSがどのような未来を歩んでいくのかは、大きな鍵となるだろう。BEYOOOOONDSがアンジュースのようなグループになるのなら自然と反脆弱性を身につけるだろうし、このままベリキューのようなグループとして全うするなら、実はそんなものを身につける必要もないのかもしれない。だとすれば、自分が論じてきたようなことどもは、どのみち「余計な御世話」なのかもしれないのである。

なので自分がBEYOOOOONDSについて語るのはここまでにしたい。2023年になって奇縁を得た同胞グループの明るい未来を祈りつつ、最後はいつも通りJuice=Juiceの話で締めようと思う。先日のロッキンの話である。

これについては既に林拓郎さんがまさに反脆弱性という観点から素晴らしいレポ記事を書いているのでそちらを参照されたい。悪天候とそれに伴うスケジュール遅延という「Juice=Juiceはいつもこうだ」案件がまたしても発生したが、Juice=Juiceはそれを逆手にとった見事な反脆弱性を見せつけたという話だ。なので自分の方は今回の自分の記事内容を踏まえ、林さんの記事にいくつかの点を付け加えていきたい。

まず反脆弱性の基盤となる強靭性の部分では、若手を中心にさらにスキルの底上げが見られた。自分が最後に彼女たちを見たのが新曲発売日のリイベ(7/12)であるから、ちょうど一ヶ月の間が空いたことになるが、そのくらいのインターバルでこれだけ目に見える成長を続けるグループというのも他にはいないように思える。目を引いたのは工藤由愛の高音の安定と松永里愛の声量アップ、そして江端妃咲だ。彼女は年齢的に考えてもいよいよ変声期を脱したのではないか。去年の松永を見ているような劇的な成長を感じた。

次に川嶋美楓について。今回のJuice=Juice衣装は最近のカラーシャッフルをやめ、自分たちのメンカラ衣装に戻すことで初見の観客も多いロッキン仕様となっていたが、その中に燦然と真紅を纏った川嶋がいたのである。それまで淡色、寒色多めのJuice=Juiceに「赤」という色が混じるとただでさえ鮮烈な印象を与えるものだが、偶然の産物である雨の夜闇という背景は、川嶋の衣装の輝きを一層引き立てていた。そしてアンジュルムのように新人としてMCで紹介されることもなく、川嶋は当たり前のように最初から最後まで歌い踊り続けた。「川嶋美楓を当たり前のように受け入れるぞ」という圧倒的な強靭性と、アクシデントを逆手にとった強烈な反脆弱性の一撃であった

次にセトリの二曲めで披露された「FUNKY FLUSHIN'」について。いわくつきの一曲になってしまったこの曲は、もしステージが平穏無事な状態でセトリ入りしたら客席に微妙な空気が流れたかもしれない。だが、今回の異様な昂揚感の中では、そんなあれこれはどこかへ吹っ飛んでしまった。おかげさまで「これから始まる夜を過ごそう」というには相応しい時間帯ともなり、いわくつきの一曲がある種のアイロニーとして機能するような状況が生まれていたと思う。

次に煽りを担当した井上玲音について。自分が初めて見たロッキンのJuice=Juiceは2019年の井上加入以前で、ロックフェスでの煽りという点では迫力に欠けていた印象があった。そこに加わった井上は、かつてハロプロ最強の武闘派集団であったこぶしファクトリーの生き残りである。そして今回のJuice=Juiceはこぶしファクトリーで培った彼女の煽りスキルを最大限に活かす機会に恵まれたのだと言える。他のメンバー以上に波乱万丈な歴史を歩んできた井上のこぶし魂は、荒天の中でこそ光り輝く強靭性を備えており、彼女のJuice=Juice加入自体が極めてアクシデンタルな出来事だったことを考えても、彼女はJuice=Juiceの反脆弱性を構成する重要な要素なのである。

次に有澤一華と入江里咲について。林さんも書いていたが、この二人が負傷によるステージの両翼に陣取ったことは、かえって彼女たちの存在を際立たせていたと思う。この二人は背も低く、高身長揃いのJuice=Juiceの中に混じると埋没してしまい、短期間で初見の観客に爪痕を残すのはなかなか難しい。今回、特に有澤がその鮮烈な歌唱力を印象付ける上で、グループから少し離れた位置どりが出来たことは大きなプラスとなったように感じる。

そして最後に。

さすがは反脆弱性の権化、植村あかりである。この記事を執筆中、いよいよ最後のJuice=Juiceロッキンの章に入ろうとした時になって、彼女の卒業の報が飛び込んできた。最後の最後でとんでもない種明かしをされた気分である。彼女の底知れなさを伝説の神獣にたとえた記事を書いたこともあったが、神獣ならばその最後のロッキンに相応しく、天候までも操ることができるとすれば納得はいくだろう

植村あかりが卒業後も我々の前で人の形を保ち続けるのか、それとも獣の姿に戻って悠々と野山に還っていくのかはまださだかではなく、それは人知の及ぶところではないのだろう。たまさかにオリメン最年少だった彼女は、それゆえにオリメン最後のリーダーとしてJuice=Juiceの強靭な伝統のメッセンジャーとなり、反脆弱性に溢れた新たなJuice=Juiceを築き上げた。すなわち彼女こそが、Juice=Juiceオリメンの中で最後に現れた「黒い白鳥」なのである。

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