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稲場愛香、カーテンコールのタイムトラベラー

いくつか卒業コンサートを観てきた中で、「グループから卒業するメンバーにとって、グループでの活動は卒コンの日にはある程度過去のものになってしまっている」ということを自分は学んできた。

卒コンのリハとは別に、グループ活動は卒業するメンバーを既に除いた形で進行し始める。卒業するメンバーの方も、既に卒業後の活動に向けてのあれこれが動き始めている場合だってあるだろう。卒業コンサートというのは、そうした複数の時間軸がせめぎ合う不思議な場所である。

昨夜カーテンコールで稲場愛香が現れた時、自分はまず彼女が何か言葉を発するのかどうかに注視した。

かつて和田彩花は何も言わず、短く頭を下げただけでステージを去った。逆に田村芽実は「皆さん大好き!」と言い放って消えていった。

話し言葉は共時性の高いコミュニケーションツールである。和田彩花はカーテンコールにおいてそれを封じ、さらに足早に立ち去ることで、その時点での自分が既に「未来」に属していることを暗に示した。一方田村芽実はその舞台女優的資質を全開にして、最後の最後で会場を共時性の中へとグッと引き込む形で去っていった。

ところが稲場愛香は何も言わなかった。その代わり、和田彩花よりも長い時間ステージに留まり、はるかに多くの人々に手を振っていた。やがて彼女が背を向け楽屋の扉が開くと、彼女を迎える他のJuice=Juiceメンバーが画面に映し出された。そして彼女がステージを去ると、後景に彼女の残したテキストが映し出され、会場が明るくなった。

ヲタクはこの先彼女と言葉を交わすことはできない。だが、Juice=Juiceのメンバーにはそれが可能だ。あの扉が開いた時にスクリーンに映し出された風景は、彼女の「未来」であろう。そして彼女の書き言葉は、観客の目に届いた時点では既に「過去」のものなのだ。その意味でカーテンコールでの彼女は、「卒業コンサート」という場に開いた時空の歪みから姿を表し、また別の時間へと旅立っていったように感じる。あの時我々が見た稲場愛香が、果たして我々と同じ時間に属していたのか、そこに共時性があったのかも定かではない。何故ならば彼女は一言も言葉を発することはなかったのだから。

彼女のことをそこまで深く追っていたわけではなかったが、極めて多義的なアイドルだったと感じている。Juice=Juiceでありカントリー・ガールズであり北海道人であるということもそうだし、ダンスメンとしての資質を持ちながら(たとえば佐々木莉佳子のようには)ダンスメンらしからぬ外見の人だった、ということもそうである。誰よりも「アイドル」らしく振る舞いながらも、決してそれに過剰適応するのではなく、凛然と自己の尊厳を主張することも忘れなかった。

総じて彼女の中では、常に複数の時間や空間がせめぎ合っていたように思える。彼女の出身母体であるカントリー・ガールズというグループがそういう存在だったということもあるし、それは今のJuice=Juiceがおそらくハロプロでクリアカットにしにくい個性を持ったメンバーが集まっていることにも繋がっているように感じている。稲場愛香は事務所には残るのだというが、願わくば彼女があの多義性を維持し、さらに発展させるような形で活躍できることを祈りたい。それが後進の道を開くことにもなるし、人間とは本来、複数の時空にまたがりながら、多義的なままに生きるものなのだから。

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