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「規格外」のアイドルポップ:宮本佳林『ヒトリトイロ』

昨夜、宮本佳林『ヒトリトイロ』のリリイベを観に、久々に池袋サンシャイン噴水前広場まで行ってきた。

既に先行シングルカットされている「未来のフィラメント」「どうして僕らにはやる気がないのか(2021)/氷点下/規格外のロマンス」「なんてったってI LOVE YOU/ハウリング」の6曲に加え、既にライブで披露されている楽曲8曲、さらに完全新曲1曲で計15曲という構成である。自分は彼女のソロライブに足を運んだことはまだないので、シングルカット曲に加えYouTubeで観たことのある「落ちこぼれのガラクタだって」以外の半分以上の曲はまだ未聴だったということもあり、イベントの開始前からオーロラビジョンに映し出されるMVに心を踊らせることが出来た。何しろ曲が多様で、どれもクオリティが高い。

作家陣の話をすると、児玉雨子、山崎あおい、中島卓偉、大橋莉子などのアップフロント御用達作家たちの作品が万遍なく散りばめられている上に、WACK楽曲を多く手がけるSCRAMBLESが関わる楽曲が4曲も、他にも馬飼野康二のようなベテランから、後で詳述する西野蒟蒻のような若手作家までが含まれている。アイドルポップは制作陣が多様であればあるほど良いと自分は思っていて、何故かというとそれぞれの作家性を楽しめる上に、その多様さを架橋するアイドル自身の個性が際立ってくるからなのだが、今回のアルバムはその点で構成上大勝利と言えるだろう。とかく制作陣が中央集権的になりすぎると、制作者が出しゃばってきてアイドル自身の顔が見えなくなるものである。

その中でも出色だったのは、完全新曲の「夜明け前のララバイ」である。残念ながらリリイベでは披露されなかったのだが、オーロラビジョンからショートカットで流れるのを聴くだけでも、他の楽曲との「格の違い」を感じさせられたものである。そして家に戻ってから改めてゆっくり聴いてみて度肝を抜かれた。歌詞・楽曲・歌唱、全ての面において、今までのアップフロント楽曲の中で異質な楽曲である。また、自分が常々言っているようにアップフロント楽曲自体が現在の邦楽界で異質であるから、「夜明け前のララバイ」は言わば「異質 of 異質」、「One and Only」な次元まで到達してしまっていると言えるだろう。 

「夜明け前のララバイ」の制作陣は「規格外のロマンス」と同じ、作詞は西野蒟蒻、作曲はCaroline Gustavsson/Chris Meyerである。「規格外のロマンス」については以前別記事でも論じたが、宮本佳林の道化師的なキャラクターを上手く隠れ蓑にしながら、その実ジェンダー論的にかなり先進的な内容の歌詞になっている。一方今回の「夜明け前のララバイ」は明らかにロシアのウクライナ侵攻を念頭に置いたメッセージ性の強い歌詞で、遠い国の惨劇に対して若い女性が最初はおずおずと、やがて力強い確信を持って口を開いていく様が感動的に描かれている。

こうして改めて振り返ると「規格外」布陣での宮本佳林楽曲は、実質ソロ転身後の和田彩花と同じようなことをやっていると言ってもよい。ただし歌詞楽曲共にインディーズ/オルタナティヴ的で、彼女自身の超俗的な個性をベースとした作りとなっている和田楽曲に比べると、宮本の「規格外」楽曲群はあくまで王道/ポップで、等身大の若い女性の実存に寄り添う形になっている。そのことを感じさせる背景には、ソロ転身後の宮本自身の成長ぶりもあるだろう。昨日現場でお会いした方も言っていたことだが、今の彼女はより繊細な手つきで己の歌唱を制御できるようになった。彼女のパフォーマンスの根底にある「切実さ」が、「どうして僕らにはやる気がないのか」においてはロックシンガーとしての開花に繋がった、という話を以前の記事で論じたものだが、「夜明け前のララバイ」では、彼女の声の「切実さ」と「制御能力」のせめぎあいによって、「戸惑い」から徐々に「確信」へと至る心理的なドラマ性が上手く醸し出されている。

「夜明け前のララバイ」に、「悲しみの意味も知らないまま大人になれる国で」という歌詞がある。宮本佳林の卒コンがウラジオストクで開催される予定だったこと、彼女の卒業後すぐに公開された「未来のフィラメント」の舞台が「ダーチャ」だったことを思わず想起してしまった。ここで自分が言いたいのは決して彼女に対する皮肉などではなくて、少なくとも2020年年末頃までの日本人の大半は、「そのようなもの」だったのではないか、と言うことである。だが宮本の道化師の仮面の下には、すこぶる知的な素顔が潜んでいる。彼女は和田のようにはその素顔をなかなか開陳しようとしないが、「未来のフィラメント」から「夜明け前のララバイ」までの軌跡には、この激動の二年間における彼女の成長が刻まれているようにも感じるのである。

リリイベのMCで宮本佳林は「グループ卒業後も事務所に残ってソロ活動をしたい後輩のために道を拓くことが自分の使命」と明言していた。彼女と並び立って同じ使命を果たしていたであろう金澤朋子が不運にして去ってしまった以上、宮本の孤軍奮闘はまだしばらくは続くだろう。だが彼女が着実に成長していること、アップフロント制作陣がこれだけのスケール感のものを用意できることは今回のアルバムで証明された。あとは別記事で書いた通り、宮本の後に続くJuice=Juice本隊が、「大アンジュルム」ならぬ「大Juice=Juice」的生態系を築くことが出来るか否かににかかっているのである。



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