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植村あかり、20時50分の名摂政

 いやはや、すごいものを見た。
 昨日の夜、21時前後のことである。スマホを見るとJuice=Juiceのブログ更新が告げられ、植村あかりがピースマークを掲げている画像が目に入った。彼女のブログは「ものすごい名文」か「単に更新することが目的の短文」のどちらかにはっきり分かれ、それがどちらなのかは画像とかタイトルの感じで分かることが多い。昨夜は一瞥して後者の感じで、「ああ、今夜は読まなくていいやつかもな」と思った瞬間、TLがざわつき始めた。 

 金澤朋子の芸能界引退を告げる記事が発表されたのである。
 その一報に触れた自分は、改めて植村あかりの記事を読んでみた。やはり予想通り、「何の変哲もない内容」であった。前リーダーの芸能界引退にあたり、彼女の長年の戦友でありJuice=Juiceの現リーダーである彼女が何も触れないわけがない。更新時間をもう一度確認すると「20時50分」とあった。やはりことがことだけに、明日改めて本腰を入れて触れるため、今日は軽く早めの更新をしたのかもしれないな、と思った。

 その後、宮本佳林が道化師の仮面の下から時に垣間見せる素晴らしい詩才をもって金澤朋子への思いを綴っていたものの、続々更新されていく他のJuice=Juiceメンのブログの中では金澤朋子の話は一向に出てこない。次第に自分は、「これは何かある」と感じ始めた。
 少し前に豫風瑠乃がコロナに感染し、ハロコンが中止になった時、植村あかりは他グループのリーダーでありながらいち早くハロコンの中止と豫風を気づかうブログを更新した。そして彼女の背中を見て、他のJuice=Juiceメンも続々とブログを更新していった。ヲタクを落ち着かせ、感染者である豫風を気づかう流れを作り出した完璧な一手であった。普段昼行灯然としている彼女は、ここぞという時に天才的なリーダーシップを発揮する。そして今回は逆に金澤朋子の引退に「何も書かない」ということで、何らかのリーダーシップを見せているのではないか、と感じたのである。

 そしてその予感は、一時間ほど経った時に確信に変わった。

 我が主君である松永里愛は、基本的に強烈なダンディズムの美学の人である。
 本当に辛い部分を韜晦してしまう。無論、全てをヲタクの前にさらけ出す必要などはない。だが、彼女は一方で言葉に嘘がない人だけに、「ああ、これはヲタクの前だけではなく誰の前でも韜晦しているのだな」ということが伝わってきてしまうのだ。そうした率直と韜晦、豪快さと繊細さの混淆が、彼女の佇まいの美しさを作り上げてはいる。だが、行き過ぎた韜晦は彼女自身のために良くない。抑圧した感情は、やがて何倍にもなって本人に跳ね返ってくるからである。少し前に彼女が広島でのLIVEでひどくグロッキーだったという話を聞いた時、何かそういうことが起きているのではないかということをまず心配した。多くの人も推測している通り、今思えばおそらく彼女はあそこで金澤朋子引退の報に触れたのであろう。
 ところが今回のブログは、ブログのほぼ全文が率直さに貫かれ、「人生イージーモードで行こうぜ」という最後の一文でようやく韜晦が浮上する、というものだった。一読して自分は安心した。我が主君は己の感情をきっちり受容できている。この前のようなことはもう起きないだろう、と感じたのである。
 金澤朋子の卒コンで他のメンバーが泣き崩れる中、松永里愛は常に笑顔を保ち続けていた。今回も、もし植村あかりが金澤に触れ、続くJuice=Juiceメンバーも金澤への思いを綴るようなブログを更新していたら、我が主君はまたしても己の思いを韜晦するようなブログを書いていたのではないだろうか。しかし今回、金澤の件は全て彼女に託されてしまったため、彼女は率直なブログを書かざるを得なかったのではないか。いずれ偉大な王になるであろう人ではあるが、同時に今はまだ十代半ばの少女に過ぎないのも事実である。今から必要以上に王者然と振る舞う必要はない。単に辛い時にも笑顔で振る舞うことではなく、振る舞おうとして振る舞えない様がそのままに美しい佇まいになってしまうところにこそ、彼女のとてつもないスケール感があるのだから。今回の彼女のブログがJuice=Juiceファミリーを超えて全ハロヲタに轟いたのは、まさにそういうことだと思う。
 では、この状況を作り出したのは誰なのか?
 マネージャーの采配とは思えない。あるいは松永里愛自身が「金澤さんについては自分一人に書かせてください」などということを言い出すとも思えない。リーダーたる植村あかりの差配としか思えないのである。おそらくはここ最近かなり落ち込んでいたであろう松永のために、彼女が韜晦に逃げず、己の感情を正面から受容せざるを得ないような状況を、植村が作り出したのではないか。
 そして昨夜のあの状況は、これで先代の王が完全に去ることで空位になってしまった玉座に、新たな王が駆け上がった瞬間でもあった。ゆえに他の者は口を開いてはならなかった。そしてJuice=Juiceのヲタクのみならず全ハロヲタが、若き王が涙を流しながら王冠を戴いた瞬間を目撃した。あまりにも見事な戴冠式であった。
 そしてそれは金澤朋子を失ったヲタクを救うものでもあったと思う。植村あかりが彼女の持つ言葉の力をもって金澤についての文章を綴れば、ヲタクの胸を打つものにはなるだろう。しかし、それはあくまで金澤の物語の伴走者としての彼女の言葉になる。古い物語を失った者を救うには、新しい物語が必要なのだ。そしてそれを紡ぐのは決して己の口ではないことを、植村はよくわかっているのだと思う。
 自分は10年代後半からハロヲタになり、それもあくまでアンジュルムをメインに推してきた人間である。金澤朋子がM-lineの主力を務めることを期待していたこともあって、今回の件はとても残念ではある。しかし、もっと古参のハロヲタ、Juice=Juiceヲタ、そして彼女個人を推してきた人たちの胸の痛みというのは、自分などには想像もできない。ただ、今回の件で確信できたことが一つある。
 それは、植村あかりという名摂政が卒業する時、自分は今までどのJuice=JuiceOGの時よりも、胸を痛めることになるであろう、ということである。

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