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みんな孤独なハリケーン

さて、今回の記事は以下の記事の追記になります。

今回は「何故自分はアンジュルムに興味を持つようになったのか?」という個人的な話(方々で話している話ではあるのですが)をさせてもらいます。何分こういう個人的なことというのは、それが何らかの汎用的な意味合いを持たない限り、あまり発信しても意味がないと思っているのですが、今回に関しては「大アンジュルム」という概念の話と絡め、ちょうどいい機会だと思い至った次第であります。

それは遡ること4年前、2016年の秋のことです。その頃、大学の後期授業が始まって一月ほど経ち、学祭休みに突入した頃のことでした。その一月に積み残した学事を学祭休みのうちに片付けなければならなかったのですが、何分雑事というのも積めば積むほど取っ掛かりに腰が重くなるものです。かと言ってそこから完全にそこから逃避するのも罪悪感が嵩むものですから、こういう時に人間は「建設的逃避」を行います。つまり「やりたくないこと」から避けるために、何か別の「建設的なタスク」へと逃避する。試験前に部屋の掃除が捗る、なんてのはまさにそれだと思います。で、その時の自分が逃げ込んだのは、「小説の新作について考えること」でした。と言っても、構想がはっきり決まっていたわけではない。ただ漠然と、昭和後期の日本を舞台にしたものにしよう、ということは考えておりまして、とりあえず何となくヒントになりそうな日本現代文化史関係の文献を齧り読む、ということを始めたわけです。

大塚英志氏の三島由紀夫論を読んだのは、そうした流れの中でした。そしてその中で自分が最も印象に残ったのは、「反米右翼のはずの三島が、渡米した時に何故かディズニーランドにハマった」という逸話でありました。(その理由を深掘りするとキリがないので割愛しますが)自分は「それはあり得る話だな」ということを思った。そして、そこで自分が何故か思いついてしまったのが、

「三島由紀夫が80年代まで生き永らえていたら、おニャン子クラブにハマったのではないか?」

ということでありました。この想像の背景には、「(同じく反米右翼である)小林よしのりが10年代になって急にAKB48を推し始めた」という話があったようにも思えます。見城徹の須藤凛々花推しなども含め、こうした48歳がらみの小難しいおっさんが「あえて(と言いつつ実はガチで)」アイドルグループを推し始める現象を、自分は「AET48」と名付けていたのですが、三島もひょっとして「AET48」になっていたのではないか、ということです。そして、あの時「この謎の文化現象をさらに深めて考え、論じる」みたいな方向性に流れていたら、その後の自分はまた別のルートを辿ったのかもしれませんが、自分はそこでとても安易で「小並感」な方向に流れます。

「そういえば、元おニャン子のメンバーとかって、今何をしているのだろう?」

何しろ元の動機が「雑事からの逃避」なので、水はどんどん低きに流れるわけです。こうして自分の学祭休みは、元おニャン子メンから80年代アイドルたちの「あの人は今」動画をYouTubeで漁ることに費やされていくことになりました。ただ、その作業は決して心地良いものではありませんでした。画面に映るのは、バブルの波に祭り上げられただけの平凡な女性たちの惨めな「その後」の姿ばかり、そしてそれに対するネットの悪意ある切り取り方も含めて、「ああ、世の中というのはやはりこういうものなのだな」という絶望的な気分になるものでした。それならばそんな作業はやめれば良いのですが、何しろ元の動機が「雑事からの逃避」なのでなかなかやめられない。しかし、さすがに気分が陰々滅々としてきたので、よし、ここらで何か区切りになるようなものを観てやめよう、と決意しました。そして、自分が今までの作業の中で、ずっと後回しにしてきた80年代アイドルの「その後」動画を観て終わりにしよう、と思ったのです。ちなみに自分が何故そのアイドルを後回しにしてきたのかというと、その人が既に難病によって夭折してしまっていたからです。そういう人のことを、己のこんな他愛もない逃避行為のネタにすることには、何となく気がひけるものがあった。しかし、だからこそ、この行為にピリオドを打つには相応しい、と思ったわけです。

そしてそのアイドルの動画は、思いもよらない形で私の行為にピリオドを打ちました。

いやはや、度肝を抜かれました。

本田美奈子. がミュージカル女優に転身した、ということは知っておりました。それは「旬を過ぎたアイドル」の一つのパターンではあったし、しかも彼女は昔から歌唱力に定評のあったアイドルでした。なので、彼女の「その後」に関しては、「まあ、そういうものだろうな」という形で自分の中で処理され、今まで特に注目もしてこなかった案件だった。しかし、この動画におけるアイドル時代を凌駕する歌唱力と体のキレは何なのか? 彼女の圧倒的な「若さ(それは他の「その後」のアイドルのような「若作り」とは全く異なるものです)」は何なのか? そしてその若さと反比例するような、彼女の自信と貫禄は何なのか? それを目の当たりにした私がまず感じたことは、

何か、「普通ならありえないこと」が起こっていた

ということでありました。自分がそれまでの動画で観てきたようなアイドルの「その後」は、この世の中で「よくあること」である。そしてその「よくあること」を切り取るネットの悪意も「よくあること」である。そして、そうした「よくあること」が積み重なってきたからこそ、この国はここまでおかしくなってしまったのではないか? だとすれば、この「普通ありえないこと」をもっと掘り上げてみることには、物凄く意味があるのではないか➖そう、私は思ったのでした。

そこで自分が真っ先に注文し、一気に読破したのがこの文献です。

この文献の中で著者の坪井氏は、本田美奈子.はロックから演歌、クラシックに至るまで、日本のポピュラー音楽の稜線を全て駆け抜けた類稀な歌手である、ということを論じています。そして読み進めるうちに、本田がアイドル時代から「既存のアイドル像」に叛旗を翻し「自律的なアイドル」であることを目指して試行錯誤していたこと、そして「自律的」であるために必要な強固なバックボーンとしての本格派歌手のスキルを、後から猛特訓して身につけたこと、そしてその強固なバックボーンを背景に、一切世の流れに右顧左眄せず、自由自在に様々なジャンルの音楽に挑戦し続けたことを学びました。そして、彼女の人生から読み解ける「普通ならありえない」事跡が多ければ多いほど、自分はまた陰々滅々とした気分になっていくのを感じていきました。この「普通ならありえない」教訓を与えてくれる女性が、既にこの世に存在しない、 ということもそうですが、彼女の夭折によって、彼女について語られる物語は全て「歌姫の悲劇」という色彩一色に彩られ、彼女が与えてくれたはずの様々な教訓がかき消されてしまっていることも、自分の気を重くするものでした。彼女の「悲劇」を語る者は沢山いても、時代の流れとともにアイドル歌手から歌姫へと転身を果たした彼女の物語を語る者はほとんどいない➖しかしその時、ふと思ったのです。

あ、そういや自分一応、物語作家だったな。

この際、本田美奈子.をモデルにしたアイドル歌手の話を書いてみるのは手かもしれない。時代背景は彼女がアイドルからミュージカル歌手に転身した昭和から平成の転換期、この際だから東西冷戦が終了した1989年の激動の歴史と連動させた、壮大なオペラ・ファンタジーにしてみたらどうだろう...

と、一気に新作の構想がむくむくと湧いてきたわけです。そして私はようやく後回しにしていた学事に手をつけ始めました(「具体的にやりたいこと」が確定すると、後腐れがないように嫌なことは先に一気に片付けたくなるのも私の習性であります)。そして全ての雑事を片付けた後、プロットとキャラクター表を作成、彼女や彼女以外のモデルになりそうな人物のキャラ造形を探るための文献、1980年代の歴史を総ざらいするための文献の読み込みがだいたい終わった頃、彼女の命日がやってきました。ちょうどその日大学の授業がなかった私は、彼女の出身地である朝霞の駅前にあるという記念碑にお参りに行ってみることにしました。

さて、朝霞に向かう東武東上線に揺られながら、自分は考え事をしていました。ヒロインを始めとする大体のキャラクター造形は固まっていたのですが、ただ一人、キャライメージが浮かんでいない登場人物がいた。それは物語の序章、2016年の時点に登場するアイドル歌手の女の子です。彼女はグループアイドルとしての活動に限界を感じながら、次の進路が見出せない状況にある。そんな彼女が、オフブロードウェイから凱旋を果たしたヒロインに出会い、彼女をロールモデルとして見出すところから物語を始めようということは決まっていた。しかし、当時の自分は現在のアイドル事情に疎かったこともあり、「本田美奈子.的ヒロインをロールモデルにするようなアイドル歌手の女の子」とはどんなキャラクターなのか、全くイメージが掴めなかったのです。

さて、そんなことをぼんやり考えながら朝霞駅の西口ロータリーに出て、彼女の記念碑を発見すると、そこに既にいくつものお花が添えられていました。持ってきた造花をそこに添えた後、私は彼女の育った朝霞という街をしばらく散策してみることにしました。ネット上の情報などで推測される彼女の実家のある辺り、彼女の通った小学校などをひとしきり回った後、自分は駅前のロータリー、彼女の記念碑の前のベンチに座って、お茶を飲みながら足腰を休めつつ、時々、彼女のファンたちが記念碑を訪れては花を添えていくのをしばらく眺めていました。

そうこうしているうちに、一人の、見た目二十歳に満たぬほど外見の女の子がやってきて、記念碑に花を添えました。白いオータムコートを羽織ったその女の子は、明らかに「2010年代の普通の女の子」ではない尋常ならざるオーラを漂わせていました。彼女が傍にいる付き人らしき人物にカメラを渡して記念碑の前で撮影を始めた時の「慣れた」表情を見て、私は彼女が「玄人」であることを確信しました。おそらくは若手のミュージカル女優か何かで、本田美奈子. に憧れている人なのだろう。まさに自分が探していたキャラクターのヒントになりそうな女の子が目の前に現れたわけです。彼女に「ひょっとしてミュージカル女優さんですか?」と聞いてみようかとも思いましたが、それもいささか不躾ですし、彼女が芸能人だとすれば自分の名前が知られていないのを知るのはあまり気持ちの良いものではなかろう、などと逡巡しているうちに、彼女は去っていきました。

さて、家に戻り、一休みしてからツイッターを開いた私は、「本田美奈子」で検索してみることにしました。先ほどの女の子が芸能人だとすれば、ツイッターをやっているかもしれない、そして、彼女が命日に記念碑を訪れて献花するほどの本田美奈子.ファンならば、ひょっとしたら先ほどの写真をツイッターにあげているかもしれない、と思ったからです。そして...


こいつだーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!


私は早速「田村芽実」という名前を検索し始めました。「スマイレージ」というハロプログループの名前は知っていたし、「寒いね。」という曲を耳にしたことはありましたが、当時ハロプロについての知識がモー娘。黄金期で止まっていた自分は、「ミニモニ」のごときモー娘。内ユニットだとばかり勘違いしていました。そして「スマイレージ」で検索しても何故か「アンジュルム」という検索結果が出てきてしまう理由を理解するのには、少し時間を要しました。そして「田村芽実」というメンバーが「アンジュルム」というグループの中で頭抜けた歌唱力の持ち主であったこと、グループアイドルとしての活動に限界を感じ、ミュージカル女優としての道を歩むべく、数ヶ月前にグループから卒業したということを、何とか理解しました。そしてそうした彼女の経歴は、私が想定したキャラクターのモデルとして想像以上にどハマりすることを確信したのです。

ですが、彼女をキャラモデルとしてサンプリングしていくうちに、微妙な違和感を感じるようになりました。彼女はとてもクソ真面目で我が強く、かつユニーク、私が想定していたキャラモデルに相応しい存在です。しかし、自分が違和感を感じたのは彼女自身ではありません。彼女が所属しているグループの方です。私は彼女をモデルとしたアイドルを、言わば「可愛い子ちゃんであることを強いられる(そのくせパフォーマーとしての能力は低い)アイドル文化」に叛逆する「現代の本田美奈子」として想定していた。つまり、彼女が「グループアイドルとしての活動に限界を感じ」たとすれば、そのグループアイドルというのは...まあ、誰とは言いませんが、あの人がプロデュースする一連のグループのごときものを想定していたのです。ところが私がまずぶち当たったのは、以下のような動画でした。

この動画では田村芽実のユニークすぎるモノマネに対して、普通ならドン引きしそうなキャラっぽいクールな外見のとんでもない美少女アイドルが、率先して狂ったように笑っている。しかもこの美少女はあろうことかこのグループのリーダーらしい。もう一人の、サブリーダーらしい少女こそ彼女に冷ややかな視線を向けているが、調べてみるとその少女は既にグループを卒業し、アイドルらしからぬ香ばしいツイートを撒き散らしながら、当の田村とは無二の親友であるという話である。また、何だか女子サッカー選手のような見た目のショートカットの少女もいる。このグループは、本当にアイドルグループなのだろうか...

そう思った私は、もしかしたらこのスマイレージというグループはアンジュルムに改名することで、より「アイドルらしい」新メンバーを加えることで、「アイドルらしい」グループになった。そして、そのことに窮屈さを抱いた田村芽実は卒業を決意したのではないか、と思い、「アンジュルム」の再デビュー曲「大器晩成」のMVを観てみることにしました。が、私はそこで、大サビ前に「どんな時代にも流されずにー」と咆哮する新メンバーのしたたかな歌声と、大サビ開始と同時に勢いよく跳躍する別の新メンバーの生体エネルギーに圧倒されることになります。このグループはキャラクターもパフォーマンスも、自分が想定していたものとは全くもってかけ離れたものであった。そして、そこで私が感じたことは、まさにその数週間前に本田美奈子.の動画を観た時の感想の「現在進行形」だったのです。すなわち、

このグループにおいては、何か「普通ならありえないこと」が起こっている

このグループは「本田美奈子.」が叛旗を翻すようなグループでは無い。それどころか、「本田美奈子.」が9人揃っているようなグループではないか ➖そのことに気づいた時点で、自分は「アンジュルム」というグループ全体を作品のためにサンプリングすることを断念しました。というのは、「田村芽実をモデルとするアイドルと彼女が所属するアイドルグループ」が出てくるのは「2016年」を描く物語の序章に過ぎず、本章はあくまで「本田美奈子.をモデルとするヒロイン」で出てくる「1989年」の物語だからです。このままサンプリングを続けると「田村芽実とアンジュルム」が物語をジャックしてしまう、その危機感を覚えた私は、「田村芽実」が所属するグループを「普通の量産型アイドルグループ」に設定することで「2016年」の物語を早々と切り上げ、「1989年」の本章へと物語を進めていきました。

ちなみに、この話は半分まで書いたところで諸事情によりお蔵入りになっております。結末までの道筋は完全に見えている作品なので、別の出版社に持ち込んだり、今の時代なら自費出版で出したりしてもよいはずなのですが、どうも当初のモチベーションを失っているところがあります。その理由としては、その後田村芽実が本田美奈子.を支えた高杉敬二率いる事務所に移籍し、まさに本田美奈子.本人の一生を描いた「minako -太陽になった歌姫-」でミュージカル女優としての本格デビューを果たしたことで、「語られなかった物語」がちゃんと語られたからというのもあります。だが、それ以上に大きいのは、そもそも現在進行形で「物語は続く」ということが明らかになりつつあることです。その場合、巷間言われるように、田村を「本田美奈子.の再来」として見ることで、「物語は続く」と言うことも出来るでしょう。しかし、私はその見方には否定的です。ただしだからと言って、「田村芽実は本田美奈子.の足下にも及ばない」などという「老害」的なことを言うつもりもありません。それどころか、おそらく現時点での田村はまだボイトレ猛特訓の前だった頃の同年齢の本田よりも優れた歌手であり、女優だと思います。そうではなく、私が本田の死とともに失われたものとして惜しんだものとは、田村が体現するもの「だけ」ではない、という言い方をしたい。それは、田村だけではない、田村を包含する「大アンジュルム」が体現しようとしているものに近いのではないか、と思うのです。

本田美奈子. という歌手はアイドル歌手時代、80年代の正統的なアイドル像に抗い、「ロック」なアイドルを目指そうと奮闘していました。そしてその奮闘虚しく80年代アイドル黄金期が終わろうとしていた頃、彼女はボイトレ猛特訓を経てミュージカル女優に転身、見事「ミス・サイゴン」のヒロインを演じ切った。先日の記事に則って言うならば(下図参照)、本田は⑴まず「左上」の古典的芸能界ゾーンに反発し、「左下」の現代ショービズゾーンを目指そうとした後、⑵本格的な修行を積むことで「左上」のさらに上のゾーンへと突き抜けたことになります。⑴はスマイレージがアンジュルムになった時と同じムーブであり、⑵はアンジュルムから田村芽実が卒業してミュージカル女優になった時と同じムーブです。私が田村とアンジュルムを作品のためにサンプリングしようとして上手くいかなかったのは、私が作品執筆の都合上勝手に⑴のムーブを期待したから、ということになるのだと思います。

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しかし、本田の面白さは「左上」を極めることで培った歌唱力を「左上」だけに留めることなく、リサイタルではその強化された歌声で「左下」のロック楽曲を力強く歌い、さらにクラシック・クロスオーバーという「右下」のハイカルチャーゾーンにも進出していったことでありました。また、残念ながら彼女は00年代後半の「サード・サマー・オブ・ラブ」という「右上」隆盛前に夭折してしまいましたが、選り好みなくアニソンにまで触手を伸ばしていたことを考えると、この領域に進出していたことも考えられなくはありません。つまり、本田美奈子.とは一人で「大アンジュルム」をカバーするような存在であった、と思うのです。そして田村芽実とは、多面体であった本田の「本丸」である「左上」、最も後世に残った「アイドル出身のミュージカル女優」というパブリックイメージの部分を継承した存在ということになるのかもしれません。でも、何事にも慎重で抜かりのない田村に比べると、もっと無鉄砲で無邪気な面を持っていた本田は実のところ和田彩花に近い部分も大きいし、日本酒をこよなく愛した享楽的な側面は福田花音に近いところもあるようにも思えます。


と、こんな具合に本田美奈子. と「大アンジュルム」メンバー一人一人とのアナロジーに拘ることもまた、あまり筋がよいとは思えません。というのは、本田に擬えて考えられるとすればそれはあくまで「大アンジュルム」であり、メンバー一人一人は、あくまでそのメンバー自身であるからです。そしてまた「物語は続く」ということを強調したいと思います。「大アンジュルム」という舞台においては、かつて本田が自身の物語の中で紡いだのと同じような教訓を見出すことが出来るかもしれません。しかし、和田彩花が歌う通り、そこに「歴史の反復」などを見出すことなく、「初めて生きたみんな」によって紡がれる「新しい教訓」に目を凝らしていくべきなのだと思います。そのことに関しては私自身、「田村芽実とアンジュルム」の物語を安易に「本田美奈子.」の物語に持ち込もうとして上手くいかなかったことで、すっかり懲りているつもりです。

さて、今回も長くなってしまいましたので、ここらで田村芽実も好んでカバーする本田美奈子.の「左下」時代の名曲を紹介することで、今回の「追記」を締めるつもりです。本田美奈子. という大いなるハリケーンは、既に空に吸い込まれて眠りにつきました。しかし、我々の眼下に広がる砂丘においては、また新たな数多のハリケーンが生まれ巡り会い、互いにぶつかり合うことでさらに勢いを増し、やがてそれぞれの地平線に向かって進もうとしております。そしてこの国では台風に対しては毎年同じ通し番号が付されるのみですが、欧米では必ず異なった女性の名前が付されていくのが通例です。

何しろ「歴史の反復」など、無いのですから。



































































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