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何故ヲタクは浅はかな「お気持ち表明」をしてしまうのか?

最近、自分はTwitterをめっきりやらなくなってしまったので、「Twitterに何かを呟くこと」が日常の一部だった過去の自分が、何だか別人のように思えてしまうことも多い。

Twitterというのは厄介なもので、呟きすぎると「ツイ廃」と言われ、逆に全く呟かなくなると「何かあったのでは?」と周囲に心配される。そのために思考のアウトプットを控えたり、逆に安否確認のために意味もないようなことを呟くようなのは実にバカバカしい話である。そう考えると、人間は無意識のうちにピアプレッシャーに衝き動かされてツイートの頻度を増やしたり減らしたりしているのかもしれない。そこに真の自由意志なぞ存在するよしもないというわけだ。

そんなこんなで、自分がTwitter垢を半休止状態にしておいてよかった、と感じるのは、界隈で何かトラブルが起きた場合である。こういう時普段からツイートの頻度が多い人だと、そのことに触れない場合に周囲からあれこれと「触れない理由」を邪推されてしまう向きもあるからだ。ちなみに自分がネット上で発言するのは、⑴口を出したいこと、⑵口を出した方がいいこと、の二つの条件を満たした場合である。一番困るのは、「⑴not⑵」のケースだが、ことハロプロ界隈のトラブルの場合には、口を出してはいけないことに口を出したくなってしまう類の強い衝動を抱くことはほとんどない。おそらくは自分が推しているメンバーやグループが自分を幻滅させるようなトラブルに見舞われることが今までなかったため、それほど強い感情に見舞われずに済んでいるのだと思う。ところがネット上を見回すと、そのメンバーやグループを推しているわけでもなさそうなのに、どういうわけか口に出さない方がいいような類の「お気持ち表明」をしている連中というのが実に目立つようになってしまった。

たとえば自分の場合、自分が推しているわけでもないメンバーやグループのトラブルというのは、口を出したい主題でもなければ口を出した方がいいこととも思えない。その理由はいくつかある。まず、これはいつも言っていることではあるが、結局真実が何なのかはヲタク側からは何もわからないからである。そうなると妄想や感情論に基づいて思考を組み立てていかなければならないわけで、そういう非論理的な営為は自分には耐え難く、「口に出したくないこと」である。また、妄想や感情論に任せたSNS上のネガティヴな発言は、常識的に考えて「口に出さない方がよいこと」であろう。短期的にはメンバーやグループの誹謗中傷になってしまうし、より長期的、構造的な形で公共性を大きく侵害しかねないからだ。これがポジティヴな発言であれば、何らかの仮想に基づいて発言してそれが的外れであったとしても苦笑いされるだけで済むが(なのでこちらは自分もよくやる)、その点ネガティヴな発言はあまりにもリスクが大きいのである。

ところが浅はかな「お気持ち表明」をしたがる連中というのは、往々にして複雑な思考力と十分な語彙力を持ち合わせていない。なので「お気持ち」を表現するために繰り出される語彙や構文も限られていて、大抵判で押したようなテンプレ文がずらりと雁首を揃える。最近の例であれば、「ゲイバーに行ったことは批判されることではないが……」というやつである。何故そこまでテンプレ化してしまうのかと言えば、少ない語彙力しかない連中が無意識に周囲を相互参照しながらその時点での勝ち馬に乗るための「最適解」に飛びつくからであろう。もっともその一糸乱れぬ反射神経の鋭さは、下等な群生生物の動きを彷彿とさせるほどの生命の神秘ではあると思う。もっとも同じ群生生物でもレミングのように勝手に崖から集団自決してくれる分には構わないのだが、群生相のイナゴどものように実害をもたらされてはたまらない。

たとえばイナゴどもが「ゲイバーに行ったことは云々」と一斉に呟いただけで、「ゲイバー」という言葉がTwitterのトレンドに乗る。そうするとイナゴどもは今度はまるで他人事のように「こんなに大事になった以上は一刻も早く釈明を……」などということをこぞってほざき始める。いやいや、大事にしているのはあんたら自身だろう、何を他人事のように宣うているのだという話である。やはりイナゴだけあって人並の脳味噌がないのか、そのくせ分不相応にプライドだけは高いので、自分が稲を食い散らかしているイナゴだという自覚を持ちたくないあまり、人並みの堪え性がないくせに形だけは良心派ぶりながらひたすら他責的になろうとするのか。頭が悪いのか性根が悪いのか、あるいは下手するとその両方なのかもしれない。

さて、イナゴどもが無駄に飛び回るほど、あの惨めな事務所の挙動はどんどんおかしなことになっている。自分は信賞必罰は大切だと思う人間なので、ルールに反する事案があれば何らかのペナルティが必要だとは思う(たとえば以前別記事でも書いたが、自分は一定の条件を揃えるならば「恋愛禁止」には賛成する立場である)。ところがイナゴどもが大騒ぎすると、騒ぎの度合いに合わせる形で事務所の裁定が常にぶれるため、肝心のルールが何なのかが分からなくなるのである。ルールが何なのかがはっきりしなければ、本当にそのルールに反する事案なのか、あるいはそのルールが本当に適切なものなのかを検討することはできない。無論、先方も商売なので、顧客の顔色をうかがわなければならないということはあるだろうが、それにしてもあの事務所の腰の座らなさはご存知の通りである。ただ、そのことを当のイナゴどもが批判する筋合いはない、という話だ。事務所にもう少し肝を据えてもらいたいと思うのであればまずやるべきことは一つで、まずはその薄汚い翅を大人しく畳むのが先決なのではないか。

そんなわけで、ハロプロにトラブルが起きるたび、自分が口を出したくなり、また口を出すべきだと感じるのは、トラブルそのものではなくトラブルに対するヲタクの反応の方なのである。何しろ前者の実相が結局のところヲタク側からはわからないのに対し、後者については田んぼを見ればイナゴがうじゃうじゃとたかっているのがよくわかる。そして前者に下手に口を出せば言われのない誹謗中傷になるのに対し、後者に駆除薬をぶっかけるのは適切な処置だからだ。まさに自分の信条である「アイドルを叩くな。ヲタクを叩け」というわけだが、自分はハロメンを全面肯定するタイプではない。あのイナゴどもはその言葉の意味を大して咀嚼もせずに「プロイシキーガー プロイシキーガー」と気色悪い鳴き声を立てているが、確かにかくもグロテスクな状況に置かれたハロメンには、ある種の特殊な精神的スキルが求められるのは事実である。そしてそのスキルを身につけているのは、全てのハロメンではないという事実は、しっかり指摘しておく必要はある。

どこかで話したことがあるかもしれないが、自分がアンジュルムに初めて興味を抱いた2017年初頭のこと、当時メンバーだった勝田里奈さんがブログに進路の悩みを書いていたことがある。そしてその悩みに対して、ヲタクたちがコメントに色々と意見を書き込んでいた。その頃アンジュルムについてかじり読み程度の見識しかなかった自分の勝田さんのイメージといえば、いわゆるヲタクに対する「塩対応」の人であったから、ヲタクがなんぼコメントを書き込んでも相手されないのではないか、と勝手に高を括っていた。ところがその翌日、勝田さんはブログに「コメントありがとうございます。全て読ませていただきました」と綴ったのである。自分は思わずハッとしてなって、改めて「九位一体」のDVDを取り出し、アンコールの最後のMCのパートを観返してみた。勝田さんは「アメリカがいたことを、忘れないでください」と言っていた。その声音は、とても真摯で誠実なものであった。ところがヲタクはそれに対し威勢よく「はい!」と応えたのである。すると勝田さんは一点苦笑いになって「い…いいお返事です」と返していた。そうか、これが勝田里奈という人の「構え」か、と、自分は静かな感動を覚えたものである。

勝田里奈という人はアイドル時代、自分とヲタクの間に強面なまでの線引きをする人だった。だが同時に彼女は、ヲタクに対して等身大の人間として人一倍真摯に向き合う人でもあった。前者だけであればヲタクにトラブルを持ち込まれることはないが、後者がなければヲタクはついてこない。そしてこのダブルスタンダードは勝田さんにおいてはとても極端な形で現れていたが、当時のアンジュルムの年長メンが共有していたものでもあった(和田彩花さんと竹内朱莉さんは当然として、中西香菜さんの撹乱的な道化師ぶりも、今思えばこのメンタリティの変種なのだろう)。この精神的スキルは今や、アンジュルムというグループの基盤的なマインドになっていると思う。

一方、あれから6年が経った今の自分に言えることは、このマインドは必ずしもアンジュルムに限ったものではない、ということである。たとえば植村あかりさんもまた異なった形でこのマインドを備えているし、自分が野村みな美師に帰依し松永里愛陛下に臣従している理由としても、やはりこのマインドの存在は大きい。なので理想を言うならばなるべく多くのハロメンにこのマインドを備えてほしいと自分は思っているし、逆に言えばこのマインドをかぎ取ることができないハロメンやグループには魅力を感じない。そしてその嗅覚のおかげで、自分は未だに「ハロメンに裏切られた」と感じないで済んでいるかもしれない。

だが一方で、全てのハロメンがこのマインドを備えるのは難しいだろうな、ということも思う。というのも上記メンバーがこの精神的スキルを身につけることができたのは、「後輩に自分たちのような思いはしてほしくない」という竹内朱莉さんの志に反し、グループがトラブルに見舞われながら事務所のテコ入れもない中で、メンバーが自ら築き上げた強靭な自生秩序と、特にアンジュルムとJuice=Juiceの場合にはそれを後輩に効果的に伝達しうるグループの階層構造があったからである。つまりそこには本人の自己責任ではどうしようもない環境的要因があり、しかもそれは本人たちの人生を狂わせかねないほどリスキーなものでもある以上、全てのハロメンがそうした環境に置かれるべきなどという無責任なことは到底口にできない。ただ、不運にもそうした環境に遭遇したハロメンに対しては、どうせならその環境要因を活かす形で、「超人」に成長してほしいと願っている。

ただし、自分のようなタイプの「超人推し」のヲタクというのもそんなに多くはないであろうとは思う。イナゴどもの認知フレームでは超人の誠実さは理解できないだろうし、あるいはイナゴどもの小狡さはない代わり、より間抜けな限界ヲタクたちのシロアリのような承認欲求を満たすためには、上記の超人たちは献身的なサービス精神に欠けるだろう。思うにヲタクの思考停止クリシェとしての「プロ意識」にもイナゴ型とシロアリ型があって、前者は「一切プライベートを見せずに自分にとって都合の良い虚構を演じきれ」という話であり、後者は「プライベートでも自分にとって都合の良い存在であれ」というものである。より現実的なのは前者で夢想的なのは後者であるが、前者は一見現実的な分、自分たちが良心的であると勘違いしているような性質が悪いところがあって、いずれにせよひどく愚かでエゴイスティックな生き物であることには何の変わりもないのだ。

なんであれ、超人たちはイナゴ型にとってもシロアリ型にとっても「都合の良い」存在ではない。なのでそうした連中に対してはより「超人」性の低い、イナゴやシロアリにとって「都合の良さそう」なメンバーが集まるグループが当てがわれ、そのようなプロデュース戦略が展開されることになる。大抵はどこかのグループでトラブルが起きた後に「それにひきかえこのグループは信じられる!」とヲタクたちが殺到するケースが多い。しかしよくよく考えてみればグループにトラブルを持ち込むのは大抵ヲタクなのだから、「信じられる」はずのグループも結局は貪欲なシロアリどもが齧り尽くされ、シロアリどもは自分たちがボロボロにしたものを目の当たりにしては悲憤慷慨して次に向かうということが繰り返されるだろう。実に焼畑農業的というか、あまりサステイナブルなモデルとは思えないものである。

もっともここで留意すべきは、ハロプロ全体を支えているリソースのある部分は、惨めなシロアリどもが接触のために積み続ける紙幣の山に負うところもあるということである。ちなみに自分は接触商売の倫理的側面については特に問題がないという立場だ。結局人間には自ら価値を生み出せる者とそうでない者がいて、後者が価値の代わりに金銭によってのみ共同体に貢献することはエコシステムとして理にかなっているからである。セブ島ではシロアリの蜜を食用にするところがあるそうだが、彼らも家屋を食いつぶすだけでなく蜜をもたらすことで、世の役に立っているところもある。ただ問題はそうしたシロアリの中に、自分たちが人道のものであると勘違いしているか、あるいは無意識レベルで自分たちがシロアリだと自覚しているからこそ過剰に自分たちの価値を高く保とうとしたがる個体が現れてしまうことで、これが往往にして甚大な蟻害の原因となるわけだ。これを防ぐには勝田里奈さんのような「超人」的な構えを持ったメンバーを投入するしかないが、そうするとシロアリを撃退することはできるものの、彼らがもたらす「蜜」は失われてしまう。たかだか一握りの「蜜」を手にいれるためにいちいち家屋一つ潰さなければならないとすれば、やはりこのビジネスモデルはあまりにも不経済なのではないだろうか

ただ、自分は業界のプロフェッショナルでもないので、ではどのようなスキームに代替可能なのかということを具体的に提言することはできないため、今回は現行スキームの抱える構造的な問題を指摘するだけにとどめたい。ちなみに自分は一介のノム門徒として生きとし生けるもの全ては尊ぶべき存在だと思っており、六道輪廻に従い徳を積んだ虫は来世には人に生まれ変わることも可能だと信じている。まあ畜生どもに道を解くが如き離れ業は我が師のような超人に委ねるとして、自分のような末弟にアヒンサー(不殺生)の教えはハードルが高すぎるので、何とか世俗的想像力の範囲内でサステイナブルな昆虫食のあり方を模索することで、イナゴやシロアリに徳を積ませる方法を考えるしかない。とりあえずは今度和処に行った時にでも黒木先生に良さげな料理法でも聞いてみたいものだ。イナゴの佃煮は古来よりあるが、最近新食材として出てきているというシロアリをどう料理するかなど、自分には皆目見当もつかないからである。

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