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8/31 ジャニー喜多川氏を泣いて斬るために

ジャニー喜多川氏の過去の性加害をめぐる報告書で世の中大騒ぎになっている。

ジャニー氏を非難する声がさらに高まる一方で、ジャニーズファンの間からは証言の信頼性などをめぐってジャニー氏を擁護するような声も挙がっている。折角なので71ページにわたる報告書を自分も読んでみたのだが、その中で自分が一番気になったのは、「何故彼がそのような行為に及んだのか」ということであった。

この件に限らず、批判対象の当該行為に対して仮説分析を試みる人は少ない。皆口では「何故…?」とか言うので試しに自分が仮説分析をしてみると大抵あまり興味なさそうな顔をされる。そして自分はそれを見て「何故…?」と思うわけだが、本日の仮説提示はいわば二重になっていて、一つはジャニー氏の「行為」についての仮説提示であり、もう一つはジャニー氏を批判する/擁護する人々の「態度」に対する仮説提示である

まず自分が最も気になった記述。それはメリー氏による「ジャニーは病気」という認識だ。そしてこの記述は一度しか出てこなかったのだが、メリー氏と親しかった新芸能学院の名和夫人によれば、「ジャニー氏は幼少期に同じような性加害を受けて育った」のだという。

確かにジャニー氏の行為は、単なる同性愛/小児性愛の発露とは考えにくい部分が多く見られる。そして、彼自身の性欲の充足ではなく、彼の心的外傷を「補完」することが目的だったのではないかということも推測されるのだ。

一つには数百件に及ぶ異常な件数の多さである。単に同性愛/小児性愛者であるなら、特定の「愛人」を作る行為が出てきてよいものだが、それが見られない。彼の行為は極めて平等で「博愛的」なのだ。また彼の行為の多くにおいて彼自身の性器が用いられていない。証言の多くは、ジャニー氏自身ではなく少年たちに性的快感を与える行為で占められているのである。

本来異性愛者だった人がその第二次性徴期、異性と接触する以前に同性から性的快感を与えられた場合、そのセクシャリティは混乱をきたすだろう。自分の仮説は、ジャニー氏が過去にそのような性加害を受けていて、「多くの少年のセクシャリティを自分と同じように混乱させたい」という強迫的な欲望を抱いてしまった、というものである。その目的は言うまでもなくスティグマを与えられてしまった彼自身の救済である。彼と同じようなスティグマを持った少年を増やし、しかもその少年たちが日本の芸能界を席巻するスタンダード的存在へと成長していくのなら、幼くして「規格外れ」にされてしまった彼の実存が救済されることになるのではないか?

以上は少ないエビデンスに基づく自分の仮説に過ぎない。ただ、もしもそうした心的外傷がないとすれば、彼は生まれながらの同性愛者兼小児性愛者ということになり、これはこれで非常に大変である。同性愛者ということでただでさえ性的パートナーが限られる上に、それこそ二次元的な「非実在」代替コンテンツで性欲を発散させない限り、犯罪でも犯さない限り性的充足が得られない体質ということだからだ。自分がそういう体質だったらということを考えると同情を禁じ得ないし、そうした体質であることの自覚が、他人に性加害を与えられたのと同じくらいの心的外傷になってしまう可能性も高いと思う。

さて、自分が上述したような話(ジャニー氏の心的外傷の可能性や同性愛兼小児性愛者に対する想像力)は、今までほとんど触れられてこなかったし、その理由もよくわかる。ジャニーズ側からは「禁忌」として封印されてしまうだろうし(ジャニー氏が上記のような倒錯した行動に走ったのだとすれば、それは逆説的に彼の「禁忌」意識が人一倍強かったことを意味するはずだ)、ジャニーズを批判する側からしても、そうした想像力は「都合が悪い」ものである。ジャニー氏に対する情状酌量の余地を与えてしまうからだ。

しかし、いかに氏が同情すべき存在だったとしても、犯罪は犯罪である(擁護論者の主張する通り、証言一つ一つを見ていけば信頼に欠ける部分も出てくるかもしれないが、それで氏の「無実」が証明できるのはせいぜい数名までであろう。数百人の場合は流石にありえない)。正義は断固として振るわれなけばならない。ただ、ここで思うのは、そもそも「正義」とは完全に「同情の余地のない者」に対して振るわれるものなのか、ということである。いわゆる「バイオハザード」問題という話を自分はよく例に出すが、この場合に振るわれるべき「正義」とは、「バイオハザードの原因」を取り除くのと同時に、バイオハザードのせいで既にゾンビとなってしまった人々をぶち殺すことである。彼ら彼女らには同情の余地は大ありだが、ぶち殺さないことには何も始まらない。

そして世の犯罪者というものは多かれ少なかれそうした「ゾンビ」なのではないか。あるいは「正義」というものは多かれ少なかれ、「泣いて馬謖を斬る」ものなのではないだろうか。人間できれば泣きたくないし、涙を流せるような相手を斬りたくもない。だが、自分が泣きたくないからと言って、斬る相手の「同情の余地」を完全に等閑視したり、逆に「泣けてしまう」からと言って斬るべき相手を斬らなかったりというのは、やはり公共的に有害な「甘え」だと思う。何故ならそうした「甘え」につけ込む形で他人を動員して誰かを吊し上げたり、逆に他人の同情を利用する形で己の罪を隠蔽しようとする輩が必ず現れるからである。

そして不要な禁忌意識ゆえに現実と正面から向き合えない心の弱さは、程度の差はあれジャニー氏のような倒錯した行動を生み出すものだ。つまりジャニー氏が「ゾンビ」だとすれば、「バイオハザードの原因」は、泣かずに氏を斬りたいがために氏を問答無用の悪魔に仕立て上げたり、逆に泣けるがゆえに氏を斬ることを躊躇したりする者たちの魂のありようなのだと思う。だとすれば、それは断固として取り除くべく、我々はジャニー氏の過去に想像力を巡らせる必要があるだろう。正義の完全な遂行とは、そのようなものだと自分は信じている。

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