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あねさきと有害性

人間は誰しも何らかの有害性を内包している。しかし、その度合いは個々人によって異なるものである。十年後のあねさきは、三十歳を過ぎても職に就かず、友人も趣味もなく、家庭も持たぬ一人の中年男性となるであろう。その存在自体が周囲に対して影響を及ぼす有害性を帯びることになる。あねさきが何を発言し、何を行おうとも、他者からは不信の目で見られることになるであろう。

イギリスの哲学者ジェレミー・ベンサムは、「最大多数の最大幸福」を重視する功利主義を提唱した。やがて、あねさきが生み出す幸福よりも不幸が上回る時が訪れるであろう。その時、功利主義の観点からすれば、あねさきは社会に存在してはならない存在となる。一貫した理論によって否定されたあねさきは、それでも社会の一員であり続けることができるのであろうか。

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