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思いの核が感情を支配する

先日、久しぶりに大切な人たちに会いに県境を越えてきた。こんな時代だからこそリアルに会うことの大切さを感じた時間だった。

何をしたというわけでもなく、ただ会って、おしゃべりしながら同じものを食べて、その場のエネルギーを共有する。
それが大事なんだ!!!


あれから少しずつ
ことばにはできないところで、わたしの内側が変わってきているのを感じる。

何がどう変わったかと、ことばにしようと思えば、なんとかできるかもしれないけれど、それはなんだかどこがでまだちょっと違う気がするので、いまはただ内側を感じながら日々を生きている。

そんなわけで
何がどう変わったか、うまく言えないのだけれど、
ふとしたわたしの行動に、自分自身驚き、内側の変化を感じることはできる。

今週は、町内会のゴミ当番が回ってきた。
ゴミの日に、ゴミ収集の後でそこを掃除する当番だ。

今日は可燃ゴミ(生ゴミ)の日だった。
このところ、ゴミ置き場がカラスに狙われて、ゴミが散乱していることが多い。
それを見るたび、わたしは嫌な気分になって、ゴミ当番の人は大変だなあと思っていた。

前回、わたしの当番の時もそういうことがあって、とても嫌な気持ちになって、そこらじゅうに散らかった残飯を掃除した。
またそんなことがあったら嫌だなあと思っていた。

さて、今週はうちの番なので、
今朝いつもより早くゴミ出しに行くと、ちょっとだけゴミが散乱していたが、ゴミネットの中に止まっていたので、ああよかったとちょっとホッとして、ゴミ収集車が来たあとで掃除に行こうと思っていた。

ところが、出社する時にゴミ置き場を見た夫から「ゴミがすごいことになってる!」とLINEが来た。

すぐにゴミ置き場に行くと、そこらじゅうに生ゴミが散乱していた。
(カラスに)やられたなと思った。

そして。

そのあと、わたしは、散乱しただれかの残飯を集めてゴミ袋3つに入れて、ネットの中に入れるという作業をしたのだが、
自分でも驚いたことに、ぜんぜん心が苛立たなかった。
ただ目の前の現実を受け入れて、いまわたしがするべきことをやっていた。

以前のわたしなら、腹が立ってしようがなかった。ゴミを片付けながらも心の中ではこのゴミを、ゴミ置き場のネットの中に入れずにポンと投げるように置いた誰かに対してものすごく腹を立てていた。

けれど、今日は心の中が泡立つということが全くなかった。自分でも不思議だった。

(今日は、みんながゴミ出しのルールを守るためにはどうしたらいいかということを考えるのは置いといて)
わたしの内側をもう少しのぞいてみよう。

以前のわたしは、特定できないゴミ出しのルールを守らない人に対してものすごく怒っていた!
その怒りをもう少しよく見ると、
「なんで、ルールを守らない人のしたことを、当番とは言えわたしが尻拭いをしなければいけないの?」と思っていた。
「よりによってわたしの当番の時に!
なんでわたしが!
なんでわたしだけが!」
という思いがわたしの中で渦巻いていた。

今日のわたしの中にはそれがなかった!

つまり、
わたしの中には
「なんでわたしだけがこんな目に遭うの?」という怒りがずっとあったことに、今日気がついた。

それまでは、町内にゴミ出しのルールを守らない人がいて、その人のためにルールを守っている人が大変な思いをするのは許せない、と思うのは当然だし、みんなそう思っていると思っていた。

でも、違った。

わたしの中に
「なんでわたしだけがこんな目に遭わないといけないの?」という怒りがあったから、
ゴミ出しを守らない人に対して怒りがおさまらないということが起きていたんだ!


さて。

長くなったが、
先日大切な友だちと過ごした時間の中で、
ふとしたことから、
「わたしはずっと愛されていた」という気づきがやってきた場面があった。
それは、気づきというよりは、
「わたしはずっと愛されていた」ことを思い出した、といった方が正確だと思う。


詳しいことははしょるが、
そのあと帰宅してから、その気づきを引き金に、わたしの中でいろんなことが癒やされていった。

その過程で、
わたしが固く握りしめていた
「なんでわたしだけ?」という思いが昇華していったのだろう。
(この「なんでわたしだけ?」という思いを抱くきっかけになった出来事はハッキリと思い出せる)

わたしの中に思いの核がなくなったので、その思いを誘発する現実が現れても、もうわたしは反応しなくてよくなった。

そうすると、
あれほど嫌だったゴミ出し場の散乱した生ゴミの掃除も淡々とこなすことができるようになるんだなあと、今日はちょっと感慨深かった。

これは一つの例に過ぎないが、こんなふうに、あれからわたしの内側が少しずつ透明度を増している。
おそらく「わたし」というエゴが少しずつ削がれていっているのだろう。

これからどんなふうになっていくのか、楽しみだといえないこともない。




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