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人工股関節置換手術のあとさき25 結局この人に救われる

前回の記事で、思ったようにリハビリが進まなくてこんな状態で退院できるんだろうかと気弱になったことを書いた。

今日はその続き。

元気をなくしたままで夫にLINEをしたら、
「退院してからもリハビリにいくから大丈夫でしょう」という返事が届いた。

いつもながらの沈着冷静な返し。

この人は、わたしを元気づけようとか、慰めようとか、そういうことは考えていない。

現状をそのまま受け止めて、そして良い方向に進むことしか考えていない。

退院してリハビリに行く、ということはその送り迎えを自分がやるということも織り込み済みの返事なのだ。

そして、もし思うような結果にならなかったとしても、その時はその時で冷静に現状を受け止めて、その時できる最善を尽くす、というスタンス、それが彼の現実との向き合い方である。
どんな状況に置かれても決して無駄に悲観的になったりしない。
彼はそうやって仕事の困難も超えて人生を切り開いてきた。(きっと無意識にだろうけど)

振り返ってみれば、時に悲観的になってしまうわたしは、こんな彼の態度にいつも救われてきた。

さて。

翌日、面会に来てくれた夫と話していて、
「ほんとだったら、退院の翌週に石の買い付けがてら小旅行するはずだったのにね」とわたしが言うと、
夫はとても楽しそうに
「そうよなぁ。手術前は、手術したらすぐにスイスイ歩いてどこでも行けると思っていたよなぁ。何も知らなかったからね、大間違いやったね」と言って笑った。

そんな彼のあっけらかんとした笑い顔を見ているとわたしもなぜだか楽しくなっていっしょになって笑ってしまった。

思うように進まないと思っていた現状も、彼の手にかかるとそうでもないと思えてくる。
回復が少しくらい遅れたってゆっくり時間をかけていけばいいんだと思えてくる。

さっきまでネガティヴに思えていたことも(決してポジティブとは思わないが)フラットに受け止めることができる。

夫は、わたしの退院後週2のリハビリを5ヶ月間、送り迎えをすることを当たり前のように思っている。そして彼は本当に、嫌だとも義務だとも思わず当たり前にやってくれるだろう。(できないことはできないとハッキリ言うけれど、できることは全力でやってくれる)

いつだって彼はそうだった。

わたしたち、これからも年齢を重ねていろんなことがあるだろうけど、彼のこの現実との向き合い方は変わらないと思う。

わたしが気弱になっていても、共感したり、慰めたり、励ましたりはしないけれど、気がつけばわたしはいつも彼のこの明るさに救われている。



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