人工股関節置換手術のあとさき27 初めての入院手術で得たもの(前編)

術後4週間目に入った。
退院までまであと少し。

まだ入院中だけど、現時点でのわたしが自分でわかる変化を記録しておく。

この4週間はひたすらわたしに集中する時間だったと思う。

わたしが、10年来の痛みに耐えかねて、ずっと避けてきた手術をする!と決めた時からそれは始まっていた。わたしにとっては、もろもろのリスクを考えた上での大きな決断だった。

思いが現実を創っていく。
わたしが手術を決めた時から、わたしの全エネルギーがそこに向けて集中していった。

家の内外の準備。
夫も仕事の調整をしてくれた。
そしてなりよりわたしの仕事の整理。
ささやかな個人事業主としての物販の仕事だが、定期的に購入してくださるお客さまが少なからずいらっしゃる。
そのお客さまに極力不便をかけないように、1ヶ月前にお休みをいただくことの告知。そして、感謝とお詫びのセールなどを次々と打っていった。
そのため5月は発送に明け暮れた。
それをしておかなければ6月の入院手術に集中できない。わたしは淡々と作業をこなした。
仲良しの友人からのお誘いにも応えてよく遊んだ。わたしの股関節も最後とばかりがんばってくれた!

6月に入ってからはモードを切り替えて、入院の準備と、しばらく離れる夫とふたりの暮らしを充分に楽しんだ。

そして6月半ば、入院。手術。

術後のことは詳しく書いたが、
わたしの全エネルギーが身体の修復に集中する時期を経て、現在はリハビリで身体を整えながら、わたしの内面を感じている。

そしていまココ。

入院前と比べて大きく変わったのはsnsの重要度である。
以前は、仕事関係のことも含めて頻繁に投稿していたし、ついたコメントには必ず返信コメントを入れていた。ちょっと時間があればスマホを見ていた。ちょっとした依存症だった。
発信することがわたしの存在証明のような感じだったかもしれない。

けれども今は以前ほどsnsに興味が湧かない。(まぁでも時間潰しに見てるけどね笑)

病院の中だけの生活で発信材料が少ないからだろうか?
そうかもしれない。

退院したらまた日々の細々としたことをあげたくなるかもしれない。

でも!
わたしはわかってしまった!

外側に向けてわたしを発信すること、外側からどう見られているかを気にすることよりも、何よりも何よりもまず内側のわたしを満たすことがいちばん大事だということを!

この入院は、強制的にこれまで外に向きがちだったわたしのエネルギーを内側に向けて自分に集中する時間だった。

一日に何度も「痛みはないですか?」「傷跡はいたまない?」「熱はないかな?」「何か変わったことはないですか?」「気分はどうですか?」などと聞かれる。「何かあったらすぐに教えてくださいね」とも言われる。
その度に、わたしは内側に意識を向けて身体の声に耳を傾ける。
どんな小さな声を聞き逃すまいと内側に集中する。
病院では「痛みは数字で言ったらmax10のうちどれくらい?」という聞き方をされる。聞かれるたびにどのくらいかな?と感じる。
そう「ちょっと痛い」「かなり痛い」といったようなアバウトな感じ方ではないのだ。
これはわたしの内側を感じるとてもいいワークになった。


それは、言い換えれば、
ていねいに自分を感じること、 すなわち何よりも自分を大切にすること。
自分を充分に満たすこと。
それが基本だった!
語弊を恐れず言うと「自分ファースト」とも言える。


そんなことはこれまでもわかっていた。だから、そのように生きてきたつもりだった。けれどもわかっていたのはアタマの中だけだった。

snsの発信も、また友人のあげた記事に半ば自動的に、あるいは義務的にいいね!を押すことも、本当にわたしがしたいと思ってやっていたことだろうか?
もちろん友人の記事を見ていいなと思ったらいいね!を押すけれど、
なんだか義務的に「見たよ!」の代わりにいいね!を付けるとき、それはわたしの気持ちを大切にしているだろうか?もっとていねいに自分の気持ちを感じたいと思うようになった。

これまでも、自分としてはわたしの気持ちに沿って生きてきたと思っていたが、今回の入院では身体が不自由だったので、より厳密にわたしの気持ちを受け止めることができた。

昭和時代のわたしたちは、まわりと調和をとることを第一に教わってきた。相手を傷つけないように、自分が浮いてしまわないように振る舞うことを最優先にして、往々にして自分の気持ちややりたいことを抑えることがあった。そして、それが人としての常識だと教わってきた。

そのためにないがしろにされて寂しい思いをしてきたわたしの中の小さな子どものような純粋なわたし。
(インナーチャイルドともいう)
そのわたしを何よりも大切にし、満たしてやることで、わたしの命が輝く。

そういうことを、アタマではなく、経験として腑に落とすことができたのが今回の入院生活だった。

(続きます)




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