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風は見えないけれど風の姿は、なびく草の上に見える

『風は見えないけれど
風の姿は、なびく草の上に見える』

確かに、とそう思う。

地吹雪のことを『タテる』とこの地では言うが
いつもは見せない神?がその姿を顕したのだと、感じていたのかもしれない。

『今日はたてとるじゃ、早めに行くか…』
年寄りがよく言っていた。

『心も同じ、表そうとしなくても行動に染み出してくるもの。』

僕には、言葉も同じに見える。
腹の中にあるそれが表に表れ出でたのが言葉なのだ。

ところが、近年は「言葉」が腹から離れ「言葉」だけが飛び回っている。

そりゃ、軽いよね。
どこにもつながっていないもの。

言葉を聞くんじゃなく、腹を感じることなんだよね。
人と会うと言うのは。

僕が山裾に沿い東に向かう県道35号線は、昔、名古屋や飛騨方面から立山に向かう道だった。

道の先に見える山の向こう常願寺川を渡ったところに岩峅寺の雄山神社がある。

わかりにくいだろうが真正面に雄山が見える。


表紙に置いたのは『御前山』

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