見出し画像

知る努力(あね)

読書感想文、好きだったなぁ。

小学校一年生の冬、親子読書感想文コンクールのプリントを、「これやりたい」と言って母に渡したのが最初。誰に言われるでもなかったし、感想文なんてどうやって書くのかも知らなかったけれど。どうして書いてみたいと思ったのか、そこに、私の無垢な創造性が存在したからだと思う!(気づき!)

選んだ本は、ポプラ社文庫の、「魔女になりたいわたし」。大筋こそ忘れてしまったけれど(あなたは忘れないよね、本の内容。)お母さんが再婚するということについてのくだりをよく覚えている。主人公の女の子が、それについて、「私とお母さんが座っていたベンチに、知らない男の人が割り込んできたような感じ」と例えていた。そりゃあ嫌だろうと思ったね…。今でも思うけど。もう少し段取り踏んでくれないかな、子どもにも。それから、お小遣いが上がってほしいからと、お正月に「おこづかい」と書いた凧をあげたら、お母さんが「それなら『ぶっか』と書かなくちゃ」と言ったことも覚えているわ。物価が上がらなかったら、お小遣いも上がらないというお母さんの言い分。主人公の女の子も、読み手の私もそんな経済の話わからなかったよね。話の中でそれが解説されるわけでもないのだけれど、でもわからないという余韻が、また良くもあった。子どもは、わからないことに成長する希望をもつように思うよ。どうなってんだ?せかい、って。

あなたが「おじさんのかさ」の感想文になんて書いたか覚えてないのが惜しいわ。そこに、あなたの創造性が描かれていたと思う。

それで、障害をもつことと、虚しさについてだけれど。私が尊敬する、NPO法人で若者支援をしている方が、「知ることが支援の第一歩」と仰っていた。彼はいつも、引きこもる若者、働けない若者のことを知ろうとしている。でも、知ることの唯一の方法は無いのだと思う。彼の行動を見聞きする限り、彼はいつだって止まっていないし、終わらない。本当のことを知ることは、根気のいることだと思う。覚悟も。彼との出会いについてはまた別の話だけれど。

私たちは、ただ知ろうと思えば良いのではないかしら。障害をもつことについて、その家族について。今の私が、ちちの言葉に付け足すなら、「虚しいと思えないことが虚しい、のかもしれない。」「そして知る努力が必要だ。」かな。ちちはいろんなことをよく知っていたけれど、そのことについては知らなかったと思う。

あれ、おとうとの言う通りじゃない?ただ知ろうとすればいいんだ。おとうとの話を知る努力はした?…長いことかかるよね、一生かかっても理系のあの子の話は私たちにはわからないと思う。謙虚に聞いていましょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?