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心をフラットな地平に置くということ

「note登録1年おめでとうございます!」とメッセージが来たので思い出した。そういえば、note…ほったらかしだったな。

というわけで書いてみた。

タイミングが合えばそれは必然。

昨日、想田和弘監督と妻の柏木規与子プロデューサーによるドキュメンタリー「精神0」を観に行った。監督のフェイスブックに登場する奥さま語録のファンで、夫妻揃っての舞台挨拶があると聞いて駆けつけたのだ。前回の「精神」も「牡蠣工場」も「港町」も観たいと思いつつ、実は初見でして。

シネマクレールは連日の満席で、開演直前に入ったので最前列しかなかった。終わったら頭が当分グラグラしていた。けど良かった。こういう良作を上映するミニシアターはなくしちゃいけない。クラファンでささやかな支援もさせてもらった。

監督のいわゆる「観察映画」第9弾。患者に寄り添い、精神医療に身を捧げる老医師の日常を追うフィルムには筋書きがなく、予定調和もない。大写しの人々の横顔、「そんなことまで?」な会話もリアルに拾いながら、医師の慈しみ深い人柄や夫妻の愛情を温かい視座でフレーミングしていて、心の奥底にすーんと浸透していった。

観る人はみな、診療を受ける心境を疑似体験する。患者はみな、訴える。「こう先生はゆーたよね」と。そうだ、人は誰かの言葉や存在を心の拠りどころにして生きているんだよね。けれどそれは永遠ではなく、いつか終わりがくるという無常…。

暗闇とサイレントが暗示するもの。

心の支えがなくなった時、人はどうすれば良いのか。それがタイトルの意味すること。医師の言葉は薬となり、患者を救っていた。でも双方共わかっていたんだね。それがある種「中毒」にもなり得ることを…。患者を支える医師や妻もまた、精神を0(ゼロ)にして堪える日々があったのだと観る者は知ることになる。

説明なく淡々と進むフィルムに、解決できない「今」の問題が浮き彫りにされていて、時に暗澹ともした。

のちの人生をどう歩むかを決めた医師と、無垢に微笑む妻・芳子さん。優しく手をとりあい歩む後ろ姿は、愛おしく、哀しかった。

観る人それぞれの感じ方で鑑賞されたし。

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