蜃気楼


駅までの道のり、地面に舞っている桜の花びらを見て、今年も気づいたら桜なんて散っていて、あっという間にエアコンの前でうだる日々が訪れるのかと、少しだけ辟易としてしまった。


実は春が苦手だったりする。


新しく始まる生活やコミュニティは最初はアクセル全開で楽しめるんだけど、持久力がないせいか、それともその場だけ無理しているせいか、夏を前にしていつも燃料切れになり、心も体もダウンしてしまう。


そんないつものことに今年も怯えながら、生ぬるい風をやり過ごす。



先日、家に食べるものがなくて仕方なく行ったコンビニで買ったご飯をドカ食いしたら、見事に精神を病んでしまった。

貧乏だから仕方なくしてた自炊。思ったよりも身体にとっては良いことだったのかもしれない。


とっても落ち込んでいたけれど、元気を振り絞ってずっと切れていたリビングの蛍光灯を買いに行った。

グローランプがたらなくて、結局4本中2本しかついていないけれど、今まで1本で照らしていた時と比べたらとんでもなく明るくなってなんか元気でた。


海外から帰ってきた時は体重が4kgも減っていてめちゃくちゃに嬉しかったのに、今朝測ったら+1kgだった。しっかり減量飯食べてるのになんでだろう。

多分単純に食べる量が相変わらず多い。2023年の目標は【大盛り厳禁】

今までご飯を食べに行くととりあえず一番でかいものを頼んでいたけど、今年の俺は違うんだ...!

まあいつも飯を食いに行く2人の友人がドカ食いしかしないのでそいつらのせいにしたい気持ちを抑えて自制の鬼になりたいと思う。



1月末で退職し、3月から新たに始めた仕事は順調とは程遠く、自分が何をやっているのかも、どうやってやればいいのかも、何もわからず無意識なしんどさを常に身に纏っています。

決してマイナスなことではなくて、やっぱり自分にはこの選択肢しかなかったなと思いつつも、マジでちゃんとできるか全然自信ないです。

脳みそに汗をかきたいという理由で辞めたけれど、汗かいて具体的な行動に移すのが今の課題。学びをやめたら終わりだもんね。できないことたくさんやって砕け散ればいいよ俺は。


先日、家に友人が来て、『お前の部屋もう完成されてるじゃん。他のところ住む意味なくね?』って言われたんだけれど、まさしくすぎて何も言えなかった。


築40年 駅徒歩20分

車は置けるしバイクも置ける。家具は完全に揃ってて趣味の道具もたくさん置けるし人を呼んでも申し分ない広さ。

仮住まいとして短い期間だけ住むつもりだったけれども、気づいたらもうすぐ1年が経とうとしている。


同棲をやめて1年が経ったのもあって、ちょっと遊ぼうと思ったけれど、結局時間と時間と時間を溶かしていくだけで、後に残るのは無駄なトーク履歴と謎に引かれてる銀行口座だけだった。

思ったよりたくさんの人と会って、たくさんのことを話したけれど、今の自分に残るものは砂粒1つあるかないか。

あれ、ここ数年、心に残るものってなんかあったっけ?


年齢はあくまで記号としての意味合いしか持たないけど、自分のいる世界や感情、感覚が澱んで留まって鈍化していくのを実感するタイミングが今の年齢なのかなとも思う。


このまま行っても結局幸せなんだろうけど、それは今あるものを受け入れた先にある幸福なわけで、己から拓いて行った景色がそこにあるわけではない。


そういう意味じゃ仕事を変えたのは、一つのきっかけとして良かったのかも?答えはいつ出るかもわからんけどさ。


有休消化中に一個だけ素敵な出会いがあったのは救いかもしれない。

馬鹿みたいに刹那的ではあったけれど、それをひっくるめてなんか良かったなあ、なんて感情に浸れる材料があるだけで、意味としては十分だったりする。

自分の感情が、一切の躊躇い無しに楽しいって思ってたのが何よりも答えだしね。


色々定義づけたり、自分が納得しやすいように動きすぎて、本当はシンプルなことをどんどんと複雑化させてしまうことがどうしてもある。

お前の世界はお前にしか見えてないのに。


じゃもう素直で何も考えてなくて、側から見たらその無鉄砲さのせいで人から後ろ指を刺されるくらいでいいじゃんね。


こうやって駄文を投げれる時はやっぱり心の状態が芳しくない。

なのに残った抜け殻を後から見てみると、元気を貰うことが多い。



これからももっと乱高下していいと思いますよ自分。

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