見出し画像

ずっと一緒に遊んでた友人がアメリカへ旅立った


今まで見送られることばかりだったけれど、今回初めて友人の旅立ちを見送った。


思えば、僕がいろんなところへ無鉄砲に発つ時には、いつも周りに大好きな友達たちがいて、後ろ髪をフルパワーで引かれてばかりだったなぁ。


ふと、思い返す。


こんなことがなかったら、感傷じみた言葉を浮かべることもなくて。
小さな未来に訪れるはずだったであろう日々は、過去からの連続で。

脈々と続いてきた日々が絶たれるからこそ、一時的に失った感覚を今、とっても味わっています。



その友人はというと、今現在、唯一関わっている高校の同級生で、高校を卒業してから、もしかしたら一番時間を過ごしてきた人で、なにより同じ目線であらゆる楽しみを共有できた人だった。


とりあえず暇な時には、行くあてもなくドライブしまくってた。多分だけど、総走行距離は地球1周分くらい到達してる気がする。


僕はとにかく家にいたくなかった。実家の時も一人暮らしを始めてからも。

常に誰かと遊んでいたかったんだよな。けれど誰でも良かったわけじゃなくて、無駄に酒を飲んだり、しょーもない遊びに時間を使うことは極力断ってきた。


そんな僕にとって、彼の価値観は本当に合っていて、道端にあるちょっとしたもので感動して、叫んで、大爆笑していた。


僕がいつも「暇」と呟いていた、地元用のTwitterアカウントがあるんだけど、ほとんどが彼の反応を期待して呟いていたものだったと思う。これいうの恥ずいな。


カッケェ車をバカみたいな格安で買ってきて乗せてくれたり、ミニバンで謎にワインディングを爆走したり、高架下で燻製始めたり。。。

意味わからんくらい細い道を探検してテンション上がって

交差点で叫んだら無駄にやまびこして大爆笑して

ドライブ行く度に事件が起きて警察めっちゃいたり

一晩で五回くらい踏切に引っかかったり

かと思えば、頭から大量に血流したおっちゃんを助けたり

「土手でバイク乗りのおっちゃんと仲良くなったから、今度一緒に林道アタックしようぜ」とか言ってきたり、


思い出せることばかりなくせに、その1つ1つが大きくて、多すぎて、書ききれないや。


間違いなく、10代後半から20代前半、正気を保っていられたのは彼のおかげだと心から思う。


住む家を失った時、彼が引っ越しを手伝ってくれた。

タコ部屋から逃げる時は、彼についてきてもらった。

終電逃した時は、何回も迎えにきてもらった。

彼とドライブしている時に限って、昔好きだった女の子から唐突にラインが飛んでくる。隔年で4回くらいあった。魔法かよ。


思い出が止まらないなぁ。彼から教えてもらった場所が何個も浮かんでくる。



僕がなぜこんなことをつらつらと書いているかというと、彼の旅立ちにエールを送りつつも、これから僕はどうやって彼と経験してきた楽しみを、彼がいない中で再現しようかと、全く想像が沸かない不安に押しつぶされそうになっているから。

彼がいないのはたったの3ヶ月〜6ヶ月なのに。俺はメンヘラか?


暇な週末、深夜。

田舎道を走らせて、夜風を感じるだけで、心の底から「まじでいいね!」なんて言い合える奴にそんな簡単に会えるかよ。

きったねぇラーメン屋で、食べ終わるまでお互い無言で、丼をカウンターに上げるタイミングを揃えて退店して、車までの道のりに感想を言い合うのを誰とやったらいいんだ?


毎年夏にはどこかしら行って、マイナーな場所とかばっかり見つけて、自分たちの宝物を増やして行ったのに、今年はできないんだなと。

どうせ二人とも彼女いないし、俺なんかそういうバカみたいな遊びが人生で一番楽しいんだから、もうやることないじゃん。花火大会なんて無縁だし。最後に見たのは二人でツーリング途中かなんかに見たアレが最後だわ。


バイクも誰と乗ったらいいんだろうね。また訳わかんねぇ道突入して、土手を爆走して季節の変わり目を体いっぱいに感じたいんだけどな。






出発の前日、二人でお決まりのラーメンを食べに行った。

道中、彼が「人生は何をやってもプラスになる。多分無駄なことなんてない」なんて言っていたことが、僕にとってはすごい大きかった。


そんな言葉、どこかしらに落ちている前向きなものではあるけれども、20歳前後、彼の口癖は「いいことないかなー」だった気がする。

常に世の中に悲観的で、どこか自信がない様子で、俺はどうにかしてそれが変わればいいなと思っていたけれど、そんな簡単にいくものではないと割り切っていた。

そんなのを差し置いて、面白いところがたくさん合ったから全然良かったのだけれども、やっぱネガティブだなーと思っていたり。


不思議なもんで、何がきっかけか、そこからどんどんとわかりやすく変わって行った。人間、歳を重ねれば重ねるほど、自分を変えるのは難しいのをよく知っているからこそ、「ああ、やっぱこいつすげぇや」と、尊敬が尽きなかった。


自分を着実に変えて行ったのは目に見えてわかったし、何より言動にネガティブな要素が減っていった。個人的にそれがすごい嬉しかった。


大嫌いな高校の中で、唯一俺が仲良いだけあるな。なーーーんて自分を棚に上げちゃったり。

でもそういう目に見えない部分に惹かれたからこそ、こうして今も続いているんだと思う。

高校の時に書いたブログにこんなことが書いてあった。

2014年の記事


ここでも自分のこと棚に上げててくそわろwww 語彙力停滞してて悲しくなった。上から目線なのが癪に障るな。


高校時代、周りの人間に辟易としていて、本気で全員くたばれと思っていたけれど、この時から、こいつとは絶対一緒に何か楽しめるって感じていたのが面白いよな。

クラスなんて一回も被っていないのに、すげぇや。




自分が思っている以上に、僕は、友人が家族のような拠り所になっていたのだと思う。

それは必要以上に依存したり、何か特別な意味を求めるとかそういったことではなく、ただ一緒に遊ぶ、楽しむ、時間を過ごすっていう当たり前のことが、僕の中では大きな意味になっていた。

それが己の人生を最高に謳歌する上での、最も大切な要素に、やっぱりなっていた。薄々感じてはいたけれどやっぱりね。






一抹の不安を一瞬だけ、今だけ感じている。それだけ。


「めっちゃ面白い自販機見つけたから行こうぜwwww」なんて言って、僕を連れ出してくれる人は、この先現れないのは知っているからさ。

だから、思いっきり異世界を楽しんでこいよ。きっと地元や車で行ける範囲であんなに楽しめていた感性が、一気に崩れるくらい、世界の彩度がグッと上がると思ってる。

経験の幅が格段に広がった分、好きだったものが、より光って見えたりするから、帰ってきたら今まで以上に俺らのバカにブーストがかかる気がして楽しみなんだよな。



そんでまた、埼玉の田舎道を窓全開で駆け抜けよう。季節の狭間で僕は待っているぜ。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?