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高齢化率日本一の村でおばあちゃんの優しさに触れた


「長生きしているといいこともあるもんだね。今は一人で暮らしてるけど好きな時に好きなことして楽しいよ」

駅はおろか鉄道すら通っていなく、コンビニなんてものもない。さらに驚きなのが信号機すらこの村にはない。まさしく山奥の秘境である。

それもあってか高齢化率日本一、若者の人口割合最下位、日本で最も消滅に近い村とも言われる場所。

偶然にも、そんな場所に辿り着いた僕が、素敵な出会いに遭遇した時のこと。



8月末に仕事を辞めて、ニート街道爆走中です。まぁ爆走する元気もないんですけどねアハハハ。

面接がない日は、誰とも話さずに1日が過ぎてしまい、それが積み重なるとどんどん心が暗くなって、ネガティブ通り越して鬱状態になってしまっております。

10月に入ってようやく暑さも落ち着き、たまたま1日予定ない日が晴れの予報だったので、最近全然乗ってあげれなかったバイクでふらっと森を感じに、山の中へ赴いた。平日に気ままにどこかへ行けるのはニートの特権かもね。久しぶりにワクワクしながら朝5時に目を覚ました。

直前までどこへ行こうか悩んでいたけれど、好きな道があったのでそこまで行って、あとはテキトーにふらつくことにした。冗談抜きに30個くらい山を超えたと思う。ワクワクする方へ思いつきで進んで行ったら、気づけば四方八方を山に囲まれた道まで迷い込んでしまった。

その日の朝は思いの外寒くて、薄着で出てきてしまった僕の身体は耐えきれないほどに凍えていた。Google Mapで調べてみると、いい感じの山奥に温泉があるではないか。平日の昼間に一人で行く温泉に胸を躍らせ、スロットルを握る手に力がこもる。


進むにつれ山深くなっていく道を進むと、途中学校の跡地があって、これはアツい!と思いながら近づいたら、再利用で民族資料館になっていた。

民族資料館。あぁ、なんて好奇心をくすぐる響きだろうか。東京にある大きな博物館と違って、地方にあるこぢんまりとした資料館が僕は大好きだ。こうして旅をしている時、いつも町や村1つ1つの歴史や歩みがすごく気になってしまう性の僕にとって、地域密着型で現地の歴史が知れる施設はなによりも好奇心を惹かれてしまう。

バイクに乗ってる時に、
「あの家、あんな山奥にあってなんの仕事してるんだろう」
「ここの人、買い物どうしてるんだろう」
「ってか昭和中盤とかどんな生活しとったん?」
「学校まで何分なんだ…」
なんて考えまくってる脳内の答え合わせにはぴったりなのだ。

ちょうど校庭を利用した駐車スペースに入る時、おばあちゃんが通り過ぎたので軽く会釈したら、僕に向かって何か言っていた。もしや威嚇されてる…? と思ったけれど、バイクのヘルメットを被っていた&マフラーを変えてるせいで何も聞こえなかったので、そのままスルーして中に入った。

今まで訪れた資料館の中でも群を抜いてすごかった。こんなん博物館行きじゃないですか?的なものが普通に置いてあるし、その地域に暮らす方のご好意で民家にあった当時の品々が寄贈され、校舎4階まですべてのスペースに所狭しとものが並べられていた。

平日かつとてつもない山奥の廃校。見事に中にいる人は僕一人だった。

バイクだったから気づかなかったけど、車だったら来るの大変になるくらい道が細かったような。そう易々とは来れない場所なんだとぼんやり考えた。

個人的に感動したのは戦前の雑誌と教科書。英語とか普通に難しかったし、雑誌の中にあった広告には、今じゃ考えられない内容のものばかりで新鮮だった。

学校なのでやっぱりあったよ給食用えればエレベーター!

一通り見まくった後、外に出る際に職員の方と少しお話したのだが、「こんな山奥のこんなところに、こんな若い人が来たの初めてですぅ〜!」ってハイテンションで3回くらい言われた。しかもたまたま週2日間しか開けてないウチの1日だったらしい。運命ですか?


民族資料館めぐり、おすすめです。

あとで調べてみると、廃校になった学校の歴史は、1994年閉校、1873年に開設とのこと。100年越えじゃないですか…。

予想外の発見に興奮冷め止まぬまま、本来の目的である、温泉に向かった。ここのおかげで冷え切った身体もかなり落ち着いた。

向かったのは、この先は行き止まりで、登山道につながる道の途中にある温泉。今まで入った関東の温泉でTOP3に入る良さだった。

寒くて泣きそうになりながらバイクを走らせていた身体も温まり、このまま山奥で日が暮れたらそれこそ凍死してしまうので、そそくさと帰路に向かった。

道の果てというかもはや川。バイクでも行けない。




帰り道の途中、また民族資料館の横を通ったら、さっき会釈したおばあちゃんが二度目の散歩から帰ってきたのか、再び外で遭遇した。

そのまま通り過ぎて帰ろうとしたけど、せっかくこんな山奥まで来たんだから、やっぱり現地の人のお話聞きたいなと思い、引き返しておばあちゃんと接触を図った。民族資料館で現地の人の生活や歴史に触れられたから、余計にそうさせたのかもしれない。


ワイ「こんにちは〜。〇〇県から来てこの辺観光してたんですけど〜」

おば「遠くからご苦労様〜」

みたいな何気ない形で話したのだが、ニコニコしていて、元気なおばあちゃんだった。全然威嚇してなかったですね勘違いでした。

散歩を終えたおばあちゃんは家の前に座っていたのだけれど、見るからにとんでもなく年季が入った家で、最初「これは…半分廃屋では…?」と失礼ながら思ってしまった。古民家とは違いそこまで荘厳な作り出なかったから余計にそう感じさせる何かがあった。

聞くところによると、なんと今は廃校になってしまった学校の旧教職員用住居だったそうだ。すごい…! 僕はいま歴史を感じている…! 

使われなくなってから村が管理していたものを、賃貸として住まわせてもらっているそう。そして昔はその家に3世帯住んでいたらしい。この家に3世帯だと…!?

上2部屋は女性教員2人、下1フロアは新婚だった男性教員とその奥さんだったそうだ。いや待て、このおばあちゃん。学校に教職員が泊まり込んでいた時代のことを知っているってことは、純粋なこの村の人ではないか…! 先ほど民族資料館で言葉やモノが語る歴史に心打たれ、ここに来てその歴史を歩んできた敬うべきご老人に直接お話を聞けるなんて…! 

ちょっと耳遠かったけどたくさん質問してしまったのにも関わらず丁寧に答えてくれた。

昔は分校があったことや、おばちゃんの旦那さんは学校の職員だったこと。特に驚いたのは今もこの村には当時の同級生が女性5人、男性5人いるとのこと。おいおい、おばあちゃんも地元卍タイプかよ僕と一緒じゃん。

ん?まったおばあちゃんいくつなんだ?と思い年齢聞いたら昭和6年生まれらしい。92歳。92歳!? いや元気すぎな!!ってか周りの同級生も元気すぎ!

同窓会も無くなってしまったし、あまり会えていないそうなんだけれども、それでもこうして近況を知っている関係性なのはすごい素敵だなと思った。





かれこれこんな話をしていると、「ちょっと上がってきなよ」なんて言われてしまった。正直戸惑った。このご時世、訳のわからない若者が老人の家に上がり込むなんて、見てくれ的にはあまりよろしいのもではない。その村の人にとっては僕は圧倒的不審者で、果てしなく部外者だ。

けれど…せっかくこんな山奥で、偶然にもこんな形で会えたのだ。その優しさに甘えてお邪魔させて貰った。人の優しさに久しぶりに触れた瞬間で、職なし金なし未来なしのカラッカラに乾いた心が一気に潤っていくのを感じた。

軒先を潜る時にふと、「よくよく考えたら、そんな歴史あるお家の中を見させてもらえることなんてなくね?」と思いめっちゃテンション上がってた。社会科見学スタート!

びっくりしたのは中がめちゃくちゃ綺麗だったこと。作りはTHEおばあちゃんちで和室なんだけど、よく思い浮かべるような一般的な家と中身は何ら変わりなかった。

「ここで暖まりな。珍しいけど暖かいよ」と見せてくれたのは、直に炭を入れるタイプの掘り炬燵。すごい!掘り炬燵は自分の祖父母の家にもあったけれど、炭を直接入れるタイプは初めて見た。毎日自分で炭を入れているらしい。僕の初めて見た反応が予想通りだったらしくて、おばあちゃんはずっとニコニコしてた。

カッケェ!!木も年季入っててカッケェ!!そして暖かさが柔らかい!


なんだこの空間。落ち着くという言葉の具現化ではないのか?頂いたみかんをむしゃむしゃ食べながら話を聞いていた。コタツにみかん。日本の冬における無敵の方程式をまさかこのふらっと訪れた山奥の村で感じるとは思わなかった。


大切そうに飾られていた写真と一緒にご家族の話もしてくれた。米寿を迎えた時の写真には何人もご家族が写ってて、すごく温かな雰囲気が伝わってきた。随分と小さいお子さんも写っていたので聞いたらやっぱりひ孫だった。カッケェよおばあちゃん…! 家族って素敵だなと人様の家庭を見て改めて感じた。

今でも日用品や買い物はお子さんが届けてくれるらしくて、人ごとではあるけれどちょっぴり安心した。自分でもこの場所に住んでいたら買い物はしんどいと思う。


ふと、おばあちゃんが手にはめている指輪に気づく。すでに亡くなってしまった旦那さんがもう何十年も前に買ってくれたそう。今でも大切につけているのを見て、こちらまで幸せな気分になってしまった。「もう模様が消えちゃってなーんにもわからなくなっちゃたよ」と手をこすりながら話してくれたおばあちゃん。歳を重ねたその手に指輪はとても馴染んて見えた。

確かに僕から見たら模様は無くて、ただの金の指輪に見えるんだけれど、きとおばあちゃんには旦那さんの記憶と共に、その指輪の模様がはっきりと見えているんだろうな。その話をしている時の顔が一番ニコニコしていた。



一人での暮らしは楽しいと、強さを見せてくれたのは意外だった。「焼肉焼いてビール飲みながら野球見て、一人も悪くないね」なんて話していた様子はほんとに楽しそうだった。いや若いんだよな胃袋が。あと餃子もよく食べると言っていた。僕なんか最近マヨネーズで胃がもたれるっていうのに。負けてらんねぇっす。


ここで初めて分かったのだけど、スーパーでたまに見かける"あのビール"。

135mlと250mlがある。ちなみにカイジは135ml。すくねぇ…!

そうカイジ缶だ。(勝手にこう呼んでる) この250mlのサイズなんて誰が飲むんや?と思っていたけれど、おばあちゃん曰く250ml缶が一番ちょうどいいらしい。なるほどこの層に需要があるのか。確かにお年寄りで少しお酒を嗜みたい時にはベストだよなと思った。

ビール飲んだ後は、お猪口1杯ほど日本酒も飲むらしい。いやさらに飲むんかい!92歳でそれはすごいです。


野球はほぼ毎日見ているらしく、前に妹と一緒に東京ドームへ野球を見に行ったことを楽しそうに話してくれた。きっと、ずっとその村で育ってきたおばあちゃんにとって、現地での観戦は知らない人に話したくなるくらい大きな出来事だったのだろう。僕自身初めて祖父と訪れた東京ドーム、ゲートを開けてた瞬間中に広がる異世界に覚えた感動を今でも忘れていない。


いろんな話を楽しそうにしてくれて、その度に「長生きしてるといいこともあるもんだね」と言っていたのがすごい印象的だった。まだまだおばあちゃんの人生におけるストーリーの1000分の1も聞けていないんだろう。楽しいことばかりではなく、辛いことや悲しいことを僕の何百倍も経験してきてるはずだ。それでも「今を楽しいと思い生きる強さ」みたいなものを、目の前にいる人から感じ取れたあの時間は、27歳の若造にとって宝物になったと思う。





おばあちゃんの家があまりにも居心地が良すぎて、このまま田舎に泊まろうしてやろうかと思ったけど、さすがに自重してそろそろ帰るねと伝えた。

テレビ東京が誇る名番組


帰り際なぜか僕が感謝された。意味がわからない。平日ど真ん中にバイクで来た変質者同然の若造を迎え入れてくれた挙句、たくさんの素敵な話と、あったかい空間までいただいて、感謝しても仕切れないのはこっちの方だった。なによりとても丁寧な言葉で、「帰りは気をつけて無事に家に着いてください」と言ってくれたのを思い出す。


実はそんな長居するつもりでもなかったので、道の端っこにバイクを置き、鍵も差しっぱなし、後ろにかけたカバンに財布や免許も入れっぱで1時間くらい放置していた。幸いバイクはそのままの状態で無事だった。山合いのせいか一気に村全体が日陰になり、気温が下がったせいかシートが少しひんやりとしてた。


今回の突発的な旅に、予想外の充足感を覚え、来た時よりも暖かい状態でバイクのエンジンをかける。あの時勇気を出して声をかけて良かった。人生は予想もできないことばかり起きて、そのほとんどは人が与えてくれるものだということを再確認した。

改めておばあちゃんの家を見ると、玄関先まで出てきてくれて手を振ってくれた。川を挟んだ向こう側だったのに、多分目もそこまで良くないはずなのに。僕は肩が外れそうなくらい大きく、そして思い切り手を振り返した。


夕暮れが差し込む山合いの村。日本の古き良き原風景が残り、信号なんて全くない道を、1人の素敵な人に背中を押されて帰路に立った。



この年になると日常で起きる出来事なんて、ほとんどが予想できるものばかりになってしまう。それは仕事をしていてもニートをしていても同じで、年を重ねるという経験のせいか、目新しさは無くルーティーンとして繰り返す毎日が基本になる。

ちょうど僕自身、特に仕事もやることもなく、ただ太陽が登って起きて、ご飯を食べて、日が沈んだら寝る、といった全く変わり映えのしない日々に辟易としたタイミングだったし、それに伴い心がどんどんと暗くなっていた。


そんな状態の僕が思い切って外に出て、知らない世界に飛び込んで、勇気を出して声をかけた結果、すごい素敵な出会いに巡り会うことができた。最初は行くことすらちょっと億劫だったのに、やっぱりそういう時に限って、思い出に残る出来事になるのは昔から変わっていないなと思った。


何より嬉しかったのが、日常に目新しいことが何もなく腐っていた自分が、誰かの日常に新しさを与えられたことだった。来てくれて、話せて嬉しいというおばあちゃんのあの言葉が、これからの自分を力強く生きさせてくれると思う。

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