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「トラペジウム」(人物編④)

「東西南北」④ 

・東の星 東ゆう

今までに無いタイプの主人公

本作の主人公。実は、私はこの映画の事をSNSや弟のレビューで知りました。さっとレビューをチェックすると強い言葉での賛否両論が。これによって、私のこの映画を観ようというモチベーションが上がったんですよね。

そんな彼女を理解するには、一つの前提があります。映画本編や小説の文章には出ていませんが、あらすじに記載されている4箇条。

  • SNSはやらない

  • 学校では目立たない

  • 彼氏は作らない

  • 東西南北の美少女を仲間にする

「トラペジウム」あらすじから引用

最後の4つ目が「トラペジウム」のあらすじなんですけど、残り3つを分かってて鑑賞するのとそうでは無いのとでは、後半の部分を理解するのに大きな差があります。それを踏まえた上で、彼女の人物像を見ていきましょう。

特徴

・黒髪前下がりボブの髪型。
・小学4年〜中学2年まではカナダに住んでいた。卓越した英語力を身につけている。
・「絶対にアイドルになる」信念を持っている。

カナダに住んでいた中で、和製英語と現地での英語のギャップでコミュニケーションの壁を体験。ここで味わった屈辱感は英語力を身に付ける原動力になったものの、小学時代のドライな性格に男勝りな要素が加わったのかと思います。

アイドルへの憧れや信念を抱いたのは、カナダ在住時代。日本のアイドルグループのパフォーマンスを見た事がきっかけ。特に彼女が憧れるアイドルの髪型を真似し続ける為に地毛を黒く染めるほどでした。

印象的なシーン

「トラペジウム」は彼女の視点から語られる小説なので挙げるとキリが無いのですが、物語のキーになってると思うところを挙げます。

夢を語る同志

この作品の一番のポイントといえる、協力者の真司に喫茶店でアイドルになりたい動機を話す場面ですね。

「それ以来ずっと自分も光る方法を探してた。周りには隠して、嘘ついて。でも自分みたいな人、いっぱいいると思うんだよね。みんな口に出せない夢や願望を持っていて、それについて毎日考えたり、努力してみたり。勉強してないって言ってたのに100点取る人と一緒でさ。」
「そういう奴ほど目の下、黒くなってる。」
「でもそういう奴ってかっこいい。」
喫茶店には今日もお客は2人だけだ。いまにも潰れそうなこの店いっぱいに、笑い声を響かせる。一瞬の沈黙が訪れると、自分の発言が急に大言壮語に思えてきたが、もう遅いだろう。本心を他人にさらけ出すことは赤裸々という文字通り、恥ずかしいことだった。

「トラペジウム」102〜103頁

初見時に、「これを早く3人に語れよ!」って思いました。原作小説では、夢を語った後に「恥ずかしい」と東ゆうが思ってるんですよね。これが後々まで尾を引き、作品最大の問題点である「東ゆうの目的を知らない友人3人がいつの間にかテレビに引っ張り出されてしまった」という図式を生む要員の一つです。

では、何故彼女は友人に夢を語れなかったのでしょうか?東ゆうというキャラクターの根底には「常人以上のプライドの高さ」があると考えています。

これは亀井美嘉を加えて東西南北が初めて揃った時の、車椅子の少年少女達の登山補助イベントで窺い知ることができます。

東西南北の4人揃って写真に収まる事を目的にしていましたが、いざイベントが始まると4人は2:2でバラける事に。主催者側の理由は至極当然なのに、それを大河くるみと華鳥蘭子の2人に告げないまま、混乱する2人を置いて登山を開始してしまいます。

自分の不手際を認める事は東ゆうにとっては弱味でしかなく、自分がリーダーシップを発揮し易い状況を保とうと思うあまり、根底の信頼関係を揺るがしかねない事態を引き起こしています。

弱味を極力作らずに、もっともらしい理由や状況を作って3人をコントロールしようとする彼女にとっては、夢を語る事によって生じる恥を避けたかったのだと思います。

「同じ星」

もう一つ、東ゆうの内面を考えるにあたって外せない序盤のエピソードが。

くるみは男性用のスーツ、サチは丈の短いドレスのようなものを選んだ。
「さっちゃんのこれは、何のコスプレですの?」
「これはねぇ、アイドル!ふりふりで可愛いもん!」
「さっちゃんは本当にアイドルが好きなんだね。」
車イスのハンドルを握っていた美嘉が優しく少女の頭を撫でた。
まさか、サチも私とー。

「トラペジウム」147頁

東ゆうのキャラ紹介には、象徴的なセリフとして「可愛い子を見るたびに思うんだ。アイドルになればいいのにって。」が紹介されています。

映画版でこのシーンを見たとき、テンプレートならサチの夢を応援する言葉が出る筈、と思いました。しかし、東ゆうは無言、警戒するような表情でさえありました。本当にキャラ紹介の通りなら、おかしい反応ですよね。

それで考えてみると、アイドルを志望する人は大勢オーディションを受けてほんの一握りだけがデビューします。ライバルは少ない程良い筈です。

このセリフは彼女が自分の夢を正当化して、仲間に説明しないための口実なのだと理解しました。可愛い女の子は内心では皆アイドルになりたい願望を抱えている、私(東ゆう)はそれを叶える手助けをするんだ、と。これによって彼女は夢を語る恥ずかしさや、友人達から否定的な反応をされるかもしれない懸念から逃れたのです。

活動期間が短い割に多いファンレター
この300人は絶対コアなファンになったのに

東ゆうの性質は、彼女にとって予期し得なかったデメリットを引き起こしました。

コメント数はくるみ、華鳥、美嘉の順になっており、自分は最下位であった。アイドルに対しての情熱はこんなにもあるというのに、それを巧く発信できない自分に腹が立っていた。

「トラペジウム」227頁

映画版では、東ゆうのナレーションで他3人の人気を説明していましたが、自分の事は「SNS対策」とノートに課題を記しただけでした。

それまで守っていた4箇条の一つ「SNSはやらない」でこの結果になったのでしょうか?そうではありません。

自分の夢を仲間にすら語れない人物が、自分の熱意を他人に伝える事が出来るのでしょうか?

更に言えば、コメントやいいねの「数」でしかファンを見ていないというところにも引っ掛かります。ファンレターに対しても一瞥するだけなんですよね。

他3人に比べて数は少なく、本質は理解してなくとも本人も発信技術の見劣りを自覚してるのに、それでもアイドル・東ゆうを見つけてくれたファンを見ようともしません。

原作小説では翁琉城観光ガイドの老人達との連絡を絶った事で、彼女達を見出してくれた古賀さんとの連絡を取れなくなるかもしれなかったのです。夢への道の途中に関わってきた人たちを蔑ろにしてしまったという問題もここに現れています。

しかし、果たして欠点の無い人間や、少年少女時代に他者との軋轢を経験しない人間等いるのでしょうか?

物語の構造を理解するためにキャラクターの考えの穴を考察する事は有意義ですが、だからといってそのキャラクター自体には何も罪は無い。東ゆうは憧れを叶える為に愚直に進んで行く過程で多くのものを取りこぼすだけで、彼女の性格や人格自体は真っ当だと思います。

自分が支えた車イスの少女は、一日中空を見上げていた。彼女は生まれつき筋ジストロフィーという病気らしい。彼女の母親は、今日のお礼にと絵葉書を3班全員に配った。
「わぁとっても可愛い。」
「娘が描いたんです。」
森林の中を青い鳥が羽ばたいている。彼女の描いた木々は優しい色合いをしていた。現実よりもはるかに美しい風景。私は、悲しくなった。こんなに素晴らしい才能を持った彼女の筋力を奪う、その病気に腹が立った。
「ありがとう。」
私も美嘉も、車イスの高さまで腰を曲げ、絵葉書の作者に直接お礼を言った。

「トラペジウム」126頁

残念ながら、映画版ではカットされた描写です。計画通りに行かなくて不機嫌なまま山登りをしていた際に、ゆうが支えた少女とのやりとり。不条理を嘆き、しっかり他者を思いやる言動をしているんですよね。原作小説を読んでいない方は是非読んでいただき、東ゆうの優しさも理解して貰いたいです。

「(仮)」はどこから来たのか?

実は、原作ではグループ名は「東西南北」なんですよね。元々、東ゆうが「地域の東西南北の美少女達でグループを作る」というコンセプトで作ったグループで、本人達も「東西南北」という呼称には納得があったはず。

にも関わらず、映画では「(仮)」が付けられています。それこそ美嘉からしたら「私たちの友情に(仮)なんて付けないでくれる?」と言い出しそうなのですが…。

勿論、映画制作者がどうしてもあの4人がアイドルをしてた時は「仮」の集まりだった事を表現したい事は分かっています。ただ、あの世界の4人にとってグループ名に「(仮)」を付ける肯定的な理由があるのだろうか?という疑問は残ります。

  • アイドルデビューの企画が立ち上がったばかりだから?

  • 東ゆう以外の3人のアイドルへの情熱が高まりきっていないから?

皆さんは、どう思いますか?私はその答えを探しに2回目の劇場版の視聴か、円盤の購入を検討しようと思います。


他の方の解説も多数あったので、予告編にも出ていた彼女の発言については、敢えて取り上げませんでした。それよりも、もっと「東ゆう」の根底にあったものを考えたかったのです。

ここまで長々と語ってみた「トラペジウム」の話は一旦ここまでかな、と思います。もっと語りたい内容はあるのですが、話すには現実のコンテンツを学ぶとかしないといけないでしょうし。2回目以降の視聴をする際には感想を皆さんと共有したいという衝動に駆られるかもしれません。

何度でも観れる、幾らでも解釈できる懐の深さを持った映画・小説だと思います。作者の高山一実さんの才能にも驚きました。文章自体が平易で、それでいて各キャラクターの感情が読者に伝わってくるので、夢中になってあっという間に読めます。これをアイドル活動をしながら発表したのは本当に凄いですよね。


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