氷川きよしのこと
もう2月です。感覚ではついに三日前に年明けしたくらいの感覚です。
昨年末の紅白歌合戦では、歌手の氷川きよしさんがきらびやかな衣装を身にまとい、お馴染み「限界突破×サバイバー」を声高らかに歌い上げました。
僕は、氷川さんのそうした活躍を目にすると、必ずと言っていいほど思い浮かべる映像イメージがあります。それは、よくNHKとかで放送されているネイチャー系の特番。世にも珍しい美しい羽根を持つサナギが蝶になる瞬間。
あの、タイムラプス映像です。
氷川さんはあるときから、演歌界のプリンスをやめました。そのイメージ、“型”はとても強固なものだったと思います。ファンや仕事に及ぶ影響の大きさや不安がきっと大きな黒い重石みたいに心にのしかかってきたと思います。歌も聞いてもらえなくなるかもしれないって。
でもプリンスを辞めました。
「本当に伝えたい音楽や生き方を軸にしたい」と。
その自身を解放していく様が、僕の目には羽化の瞬間に見えたんです。力強く、鮮やかに、それでもやっぱり切なさを纏いながら自分を解放していく姿を見て「氷川きよしすげぇ」って何度も心の中でつぶやきました。
僕だってそんな瞬間が人生の中にあったかなと思います。社会的に女だと認識されているし実際に身体はそうなんだけど、でもある時、それがもう無理になってしまって、トランスとして生きてみようと思う瞬間が。
その一点だけ見れば一種の清々しい決断の瞬間でしたが、そこに至るまではとても怖くて苦しい、長い長い過渡期にいました。
なんの“プリンス”でもない(当たりまえ)、なんの理想像もあてがわれていない僕ですら苦しかったのだから、国民のほとんどにその名を知られているような氷川さんが抱いたであろう恐ろしさは想像に難くありません。
ただその“氷川さんの羽化”は、同時に僕に大きな感動をもたらしました。
そして、多分、いや絶対に、それは僕一人だけじゃないはずです。いろんな型にはめられたり、もしくは自分ではめ込んだりして苦しんでいる人の心を動かしているはずだと思うのです。
氷川さんはゲイであるとか、MTFであるとかそういう具体的なカテゴライズの話はされません。僕はそれが逆に素敵だなって思っています。カテゴリー云々じゃなく、「とにかく自分らしくいられる姿を目指す」ってとってもシンプルで、一番自分に対して真摯な姿勢だなって思います。「〇〇らしい振る舞い、恰好…」そんなものじゃなくて「今一番自分がどう存在していたいのか」ということだけに集中する。僕も絶対に忘れずに生きていこうと思っています。あぁ…また感動がぶり返してきた…。
氷川さんは45歳だそうです。
これから休養期間に入るということなので、今まで進んできた時計を一旦止めてその羽を存分に休めてほしいなと心から願っています。
あんどう
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