日本ではなぜMetooが盛り上がらないか

Metooって運動は、世界的に今年盛り上がったらしい。

伊藤さんのBBC報道、各大学の女子を不当に点数さっぴいて落としてましたーって犯罪行為、一見善良ヅラジャーナリストのセクハラレイプなんかが記憶に残っているが、韓国でも大変盛り上がっているらしいのに日本ではまだまだそれには程遠いようだ。

かわりにプリキュアだのアニメ上での新しいこと(?)は話題になる。

これについて面白い意見を聞いたので書き留めておく。

Metooに限らず日本人は政治デモなどしないで諦めやすい。

その日本人のあきらめはどこからくるかといったら、「日本は地震や台風などといった自然災害が多いから、振ってくる不幸に逆らい続けてもしょうがない、被害が出ても、またしのいで、新しく生活を立て直すしかないという国民性ができた」「一方で水など自然の恵みも豊か、またこの狭い国土でリソースを奪い合って殺し合っては生きていけないので、主張しあわずしのいで真面目に生産をして生きていく習性」「おかみのバカも自然災害のようなものと捉えて、とりあえずは耐える、しのぐという習性なんじゃないか」ということ。

うーむそうかなあ。妥当かどうかわからないが同僚がいったこの意見が面白かった。

それに加えて「おかみとか、天皇とかは親のようなもの」みたいな認識とかあるのだろうか?

まあ源氏物語の昔から、光源氏という権力つかって女をレイプしたり囲ったり捨てたり放題の男に対して女キャラができたのは「出家」であって宮殿を燃やして革命しちゃえとかは思いつきもしないしな。昔であっても苛烈な女のいる国ならそのくらい発想の可能性あったかも。なんて。

しかし、レイプや痴漢や女性を不当に落としたり、やれる体力や時間があるときでも「あえて」家事育児は女にやらせて自分が奉仕を受ける優越を楽しむという男害は「自然災害」ではない。人間の、自分の意思で選択するものだ。
その「自分の意思や抑制」を投げ捨てて楽をしてその分女を地獄に落としておいておちんちんよしよし文化のぬるま湯に浸かり続けたい鬼にしてみれば「男の性暴力は自然災害だし僕にはどうにもできないしする気もないから女が被害受けてしのいどけよ」ってしておくほうがいいし口をぬぐってしらじらとそうしておきたいだろうけども。

前の意見とかけあわせると日本でMetooがそれほど苛烈にならないのは差別が「普通のもの」になってしまっているから、そしてそれを女自身がそこそこ諦めてしまっているから、

つきつめれば「この国の男は弱いから、正面切って女が本音をぶつけてぶつかっても受け止めて変わるような、そんな強さはない。言っても彼らは逃げるだけで何も変われない」と、むしろ「男の弱さを熟知している女がこの男たちはどうせ変われないと諦めている」ことに根がある気がする。

それで結局女がこの性犯罪はある程度大きくないと性犯罪とも言わないし「女はコミュ力強いから落とすよ」とか平然と公的に言えるような大人の国で「戦わないが、できる限り奴隷にもされないで生きる」には「子供を産まない」という消極的選択肢くらいしかなくなり、つまりは少子化って結論になるんじゃないだろうか。

個人的な環境の中の女たち、その子どもたちのことを考えても、もうしょうがない、自分でやったほうが早いやとなって、彼らから引いて、被害をかぶってもしのいできた結果、ちょっと貧乏になったり職業や子供の進路で不利にはなって苦しいけど仕方ないって生きてきた人生が多く見受けられるな。

生きることはできるけど男が養育費から逃げたり女のほうが不当に賃金低く設定されていたりで、子供の進路や教育費で子供が苦労すんのは、そうでない権利を勝ち取ってきた国に比べたら、新しい社会の成員が、「可能性を持っていてもその先へはいけない」ので、じわじわとその差で国別長期チーム戦に負けていくんだろう。

まあ、答えは未来にもうじき出てくる。

医大をはじめ、各大学の不正発覚のうえ、その言い訳を見て、「日本が女の協力はいらないよっていうなら、まあしょうがないよね、無理にあげないよ。それが必要だよ、ちゃんと見合う報酬払うよっていう国へ行くわ」って言い出す子いたし。頑張っても女子の頑張りはいらないっていうならあげないよね-無理に。そりゃ不正した上に不正は妥当だとか言い訳満載しだすようじゃ見放すわ。無理だってこれ。

てわけであれよという間に外国人のほうが多くなっていたりするんだろうな。

そのときも「おちんちんよしよし文化を捨てないおのこ」は「女がおとなしく子供産んでおちんちんよしよし社会に仕えないから悪い!俺らなんにも悪くない!」っていい続けるんでしょうけども。

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