離婚へGO!④自由への扉はDVまみれの冬休みから

クリスマスイブには、煮魚はあまりいい思い出が無いんだよね。前にお付き合いしていた彼に「僕は君の母親の息子になるのが我慢できないからもう付き合えない」って宣言されたのもクリスマスイブだったなあと、パソコンに向かって今更ながら思い出したり。コンビニの配送工場でピッキングの深夜パートをやっていたとき、ピッキングが下手だった煮魚は、バット洗浄に回されることの方が多くてね。バットってのは、コンビニの商品を配送するときに商品を入れるプラスチックのかごね。使用済みのバットは熱湯で洗浄するんだよ。機械の速さ次第だから、自分のスピード能力には左右されないのね。のろまな煮魚は中々ピッキングする機会は無くて。ちょうどイブのその日も担当発表で洗浄に指名されちゃって、「これがほんとの洗浄のメリークリスマスw」とか思ったよね。ピッキングのバイトにも色々思い出があるけど、また別の機会に書くね。

さて、本題。せっかくのクリスマスイブの深夜に出ていけって言われて、結局他人くんが怒って家を出て行ったとき。その時は、子魚と抱きあって眠りつつも、ああまたいつものことか、って思っただけだった。結婚して18年、夫婦のバイオリズムというものはこんなもので、どん底の時をやり過ごせばとりあえずマシになると思って、いつものように眠ろうとしていた。で、その時ふと、クリスマスプレゼントをまだ子魚に用意してないことに気付いたんだよね。で、子魚に聞いたんだ。「そういやプレゼントまだだったよね。明日買いに行こうよ。何が欲しい?」って。すると子魚が答えたよね。「コロコロって、荷物引っ張っていけるバッグ。家から逃げ出す時に、そっちの方が便利じゃん。リュックは重いし疲れるよ」って。
もう、頭を殴られたようなって、まさにこれだったよね。
前の年のクリスマスには、プリキュアのぬいぐるみをねだっていた子魚。翌年には、家を逃げ出すのに便利だからって理由で、キャリーバッグを所望するなんて。これはもうだめだ、離婚だね、って腹を括った瞬間だった。でも、それでもこの時はまだ「数年後には」って思ってた。子魚はこの時小6でね。ちょうど、中学受験を控えてたんだ。いいなーって思える中高一貫校があって、それを子魚に勧めてみて、なんとなく子魚も乗り気になって塾とか通いだしてね。仲良しのいる地域の公立もいいけど、アカデミックなことが好きで、お勉強ごとが割と得意な子魚にはいい選択かなとも思えたんだ。ただ、難関だったから無理かもしれなくて、公立に行ってしまったらその間は転校させるのも厳しいしなあって、年明けたらすぐ受験って時に、離婚なんて言ってられないって思ってた。

でも、その日から冬休みに入ってしまうことが、最悪な年越しまでの暗黒週間の幕開けになっちゃったのね。実は、詳細を思い出そうとすると少しぼやけるんだ。記憶にあるのは、とにかく辛かったことばかり。
二階で寝起きする煮魚と子魚3、一階で寝起きする他人くんと子魚2。子魚1は家を出ていたからここでは割愛。もうすぐ正月だからっていうのが不幸中の幸いで、おせちの準備のための食材が冷蔵庫にはいっぱいあったんだよね。だから、他人くんが寝静まった夜中に階下へ降りて台所で調理を済ませて、煮魚と子魚の一日分の食事を持って二階へ戻る。そして子魚を起こして夜中に食事して、寝る。次の食事はまた次の深夜までお預け。階下に行けないからね。二階にトイレがあったのだけは幸せだった。なんていい間取り!ってその時すごく思ったのを覚えてる。
そして昼間は、他人くんの気分で二階へ上がって煮魚を責める、詰る、恫喝する、そしてまた階下へ降りる。とってもひどい事を言われ続けた日々だった。途中で思いついて怒鳴られてる最中にレコーダーを回して録音もしてるんだけど、結局今まで一度だって聞き返したことは無い。だって、怖いもん。ただ、煮魚は忘れっぽくって、びっくりする程いろんな事を忘れてるのね。解離性健忘っていうのかな。で、その頃には自分は嫌な事はきれいさっぱり忘れる性格(いや、よく考えれば性格って問題じゃないんだけど)って自覚してたから、言われたことを書き留めてたんだよね。離婚するのに、嫌な事されたの忘れたら、煮魚のことだし「ま、いっか」って結婚生活を続けちゃうかもしれない。それは駄目だ、キャリーバッグを欲しがるような子にしちゃいけない、って強く思ったんだよね。だから、言われた嫌なことを都度、書き留めた。で、今、その禁断のメモを何年振りかに見返すことにするね。それらをここに書いて、もし他人くんに見つかったらどうしようって気持ちにもなったけど、まあいっか、って思う。だって警察が味方してくれるからね!じゃ、書くね。


・契約とはシンプルなもので共感や思いやりは必要ない。結婚とは同意を得ずにセックスさせることなんだから、お前がセックスを拒否するのは契約違反だ
・男が仕事が嫌だから働かないと言えば非難される。なぜお前がセックス拒否するのだけが許されるんだ。だから俺は被害者だ。
・暴力があってこそ正しい議論が出来る。エンタルピーとして正しい。暴力は効果的な非言語コミュニケーションだ。
・俺と出会った時にお前が貯金も無くて引っ越し代を払ってやったってことは、お前が俺に会う前に男に使った金を俺が払ってやったってことになるだろう。お前が貧乏な時に俺と会ったということは、俺がお前の浮気に金出してるのと同じだ。
・お前はスピリチュアルバンパイアだ。お前と出会って人生が無駄になった。


あー。まだまだあるけど、これ以上書いてたら動機息切れめまい、救心救心♪な感じなのでここまでにさせてください。機会と胆力があればまた書くけど。とにかく、冬休みの間、日中は6時間おきくらいにこんなことを言われ。私だけならまだしも、子魚に対しても「お前に好きな事やらせるために、俺は嫌なことやらされて日曜とか休みの日も働いてるんだぞ!」って怒鳴ってて。これは駄目だよね。完全アウト。そんなこんなで、一日一食、息をひそめて二階に引きこもる日々を6日間、続けたの。そして大晦日、とうとう食料品が尽きて、元旦になった深夜にこっそり、窓から外に出てコンビニに行ったんだ。夜の冷たい風の中、何買う?ってワクワクしながら子魚と夜道を歩いて、1月1日の夜更けだったから、多分子どもと歩いても違和感も無くて、しかも私たちは久しぶりの外気と買い物というイベントにワクワクしてめっちゃニコニコしてたんだ。きっと、DVハラスメント真っ最中の親子とは、絶対見えなかったはず。それくらい、久しぶりの解放感に二人で喜びあってたんだ。あんたたちって幸福のハードルが低いのね、と、「きのう何食べた?」の中でジルベールが言ってたけど、まさにそんな感じ。追い詰められ続けた中で、深く息を吸ってひそひそ声じゃなく喋れる、買い物に出られる食べたいものを買いに行けるありがたさを、心底感じてたんだ。

あの時の私たちはDVの真っ只中にいたけれど、世界でも最高級の笑顔で笑い合ってる親子だったと、今でも思ってる。


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