ツイートに収められない只の呟き

「奪う」と「失う」(2021年9月14日 20:51)

2019/10月末から徐々に全身3D配信が減っていき、毎週木曜の定期生放送も全身3Dではなくなって、2020年に入ると全身3D配信は「何か特別な時」だけにお披露目されるものにすり替えられていった気がする。

彼女の同僚も同様に2020/1月に毎週月曜の全身3D生放送が終了となり、以降は「特別な時」にしかお目に掛かれなくなった。

●たかだか週に一回1時間程度ではあるが採算性の問題

●「組織としての方向性」にそぐわなくなった

仮定や推論・想像ベースの話でしかない以上「奪った」とは明言しづらい。だが個人的には「奪われた」と考えているし、「失わされた」と思っている


失わさせられるまでに我々が共有してきた体験と同等のことを、今体験する機会がほぼ存在しないというのは、企業全体の機会損失ではないのだろうか。

輪の外 (2020年9月16日 00:01)

「輪の外」に、

●踏み出す
●踏み込む
●踏み入る

そうすると、「輪の内」では手に入らないものが見つかることがよくある。

只、ポジティヴなものばかりではなくてネガティヴなものも見つけてしまう。

「興味が無い」や「理解がない」ならまだしも、「偏見・侮蔑」なんかも多いだろう。

残念だけれど未だ道は遠くて、「輪の外」はそういう世界。

その世界で、彼女は何度ネガティヴなものを見てきただろうか。

それでも、折れず・曲げずに「輪の外」へ向かうのか。


彼女が自身の意思で「輪の外」に向かい続ける限り、その背中に応援を届け続ける。

傷つき、疲れた時は穏やかな言葉で迎え続ける。

何を否定するでもなく、何を上げるでもなく、何をdisるでもなく。

彼女自身が「周囲への自発的な尊敬」を見せてくれるように、彼女へ「尊敬の念」を送り続けたい。